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クロネッカーの青春の夢

6月が終わってしまった。驚いた。

月の終わりごろになると、「そろそろ今月の所感なるものを書かねば」と思うのだけど、今のところ毎回、きちんと、「書かねば」で終わっている。よろしくないルーティン。

でも正直、7月になった、と言われてもちょっとピンときていない。
もう7月も5日目、えッ、5日目? と何度もPCの日付を確認しては、己の記憶を疑っている。

雨、散々降っていた。お気に入りのサンダルは水たまりに突っ込んでびしょびしょになったし、濡れた折り畳み傘は広げられて玄関を占拠するし。
紫陽花をあちこちに咲かせてたし、熟れた梅は落ちていい香りで、あとカエルも鳴くようになって、蚊も出て(これは嫌)。

そんなにめちゃくちゃ、私を雨で濡らして写真を撮らせて、腕とか脚とか痒くさせて、そうやってむちゃくちゃするのに、6月、抜けるときはすぅっと抜けるじゃん。何なん?

これを書いている今も、カエルの鳴き声がする。雨の気配が庭の濡れた土にまだ残っている。暗くて見えないけどきっとブロック塀も、濡れて一段と濃い色をしている。雨で洗われたように見えて、ただ塗り替えられた、塗りこめられただけの夜です。

7月という感覚、正直しないです。涼しいし。まだ6月を引きずっている。
7月という、名前の、青春感がちょっと憎い。6月はなんか嫌な感じさせるくせに。イメージの問題。

***

6月、カレンダーを確認したら色々とやっていた。
ひとつひとつに対して集中すれば、「あぁたしかに」と思うのだけど、改めて「6月何やったん」って聞かれたら頭の中に浮かぶのはたくさん撮った紫陽花と、イベントで行った海の色で、あとはややぼやけていて、あんまりすぐに思い出せないのは、ボケたのかな。
ピアノは弾いていたな、それで今も肩がちりちりと痛むのだ。

実は、1年前の6月に、日記をつけ始めていて。
それからちまちまと続けて、1年になった。ことにはなる。

もちろん書いていない日もあって、断続的、内容もまちまち。一言で終わるときもあれば、たくさん書いているときも、写真だけのときもある。
2020年6月なんて5日分しか書いていない。ただでさえ30日までしかなくて、短いのに、それの中で5日分なんて!

1年前の日記を読んで、あまりの自分の幼さと浅はかさに笑ってしまうけど、でも書いているという面ではとても偉いよ。と、思った。人は1年でこうも変わるのだな。

***

膝の上のパソコンが、ブゥンと音を立てている。あまりにも薄型だから、どうしてもファンの音はこれ以上小さくならない。
頑張っている音をカエルの鳴き声に沿わせて、ちょうどうしろの網戸から入ってきた空気が渦巻くあたりで、変な和音を響かせている。

私はこのパソコンを買った年に、このパソコンに「ファンファン」と名前をつけた。ファンの音がうるさいから。
道具に名前をつけるのが好きだ。彼等はそうでもないかもしれないけれど。

あだ名をつけるような感覚で、ちょっとばかしの感情と思い出と共に呼ぶ。呼ぶたびにそれを重ねていくように思う。雨を念入りに塗りこめるように。私のものだ、と呼ぶたびに心の中で思う。

あだ名をつけるの、実は好きなのだけど、あだ名をつける前に名前を聞いて、それで呼んでしまうからたいていつけることがない。好きなのに。

大学の友人とは、そのどちらでもなく、ハンドルネーム、偽物の名前で呼び合っている。私も偽物の名前で呼ばれている。
名前が増えるたびに、私の中にもう1人増える感じがする。唯名論と実名論。お葬式は私を私と認識する人がひとりいなくなったという認識のため行う。

私は大学の友人にいつ会えるのだろうか。会いたいのだろうか。もうこのままでいいとやや思ったりもする。ぞ。なにしろ、認識が不安定ですから。

ちなみにこの文章はクロネッカーの青春の夢に一切、マジで関係がありません。これ書き始めたの「名前の由来」ってお題を見たからなのに、全然本題じゃなくて、あっちにふらふら、こっちにふらふら、ってしている。でも、自分の気に入った数式を「青春の夢」って呼ぶのは、ずるいなって思います。

あそんでみてください ↓


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