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記憶の中に

祖母は孫の私のことも「さん付け」で呼ぶ人だった。

年上や近所の人にはもちろん、自分の息子や娘のこともそうだ。

祖母のゆっくり優しいトーンで呼ばれる自分の名前は、幼いながらもなんだか自分が認められている嬉しさを覚えた。

私の記憶の中の祖母は、優しく、柔らかく、くすぐったい時間の中にいる。


祖母が病気で倒れた。

今までと同じように過ごせるなんて思っていたわけじゃなかった。けれど、祖母の弱った姿に少なからずショックを受けた。

涙を流すことが増えた。諦めるような言葉を度々聞くようになった。周りの人の名前を忘れるようになった。歩くことを嫌がった。

以前の控えめながらも優しい笑顔、人への柔らかい物腰、何気ない事も気にかける姿。

変化にばかり目がいった。戸惑いが大きかった。寂しかった。
子どもの私は、祖母と過ごす時間に救われていたから。

今思えば、祖母の方が自分の体への変化に誰よりも戸惑って、困っていただろうことは想像に難くない。彼女の性格から、周囲への申し訳なさもあっただろう。もっと一緒にテレビを見て、ご飯を食べて、何を思っているか、よく聞くようになった怖いが何なのか聞けばよかったのに。自分の至らなさばかりだ。

祖母は色々なことを忘れ、段々と言葉を発することがなくなった。
それでも以前よりずっと穏やかな顔をしていた。忘れた記憶には幸せと共に辛いこともあっただろうから。

今の祖母はどんな記憶の中にいるのだろう。

祖母に会った時、何が幸せか、何が人を人たらしめるのかを考えていた。

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