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甘い男

ほぼ実話です。以下小説。



「おれこんなサシ飲みとかできる女友達鈴木くらいだよー?」

目の前の男がグラスを傾けながらしれっとそんなことを言う。


「俺ほんとに今久々に本音で話せてるもん」
こちらをじっと見つめて真剣なトーンで言ってくる。じっと見つめられて少し照れてぱっと目をそらしてしまった。

ああ本当に、変わってないな、と思う。
本当にこの人は「自分はこのひとにとって特別な存在なんじゃないか」と勘違いさせるのがうまい。
みんなに優しくて、みんなと仲良くできるくせに、ふたりになった途端、妙に親密な空気を出してくる。甘いことばと空気に騙され、ほだされ、勘違いしそうになる。
「えーそうなのかー」と何気ないふりを装って軽く答える。

彼は高校時代の友達で、倉田という。サッカー部のエースで、頭も良く、明るく社交的な彼はみんなの人気者だった。女の子によくモテて、男友達にも何かと頼りにされていた。

わたしは彼に憧れながらも、そんなことはないように装って一番安全な友達というポジションを大事に大事に守っていた。

高校二年生のころ、わたしと彼はとても仲が良くて、よく話したりよく遊んだりしていた。
わたしたちはいろんな話をした。友達のこと、部活のこと、自分の恋のこと、勉強のこと、行きたい大学のことから将来のことまで。狭い世界の中で生きていたわたしたちは、その世界のほぼ全てを共有しようとしていた気がする。

わたしはその状況に勝手に優越感を感じて、彼がこんなに仲良くして心を開いている女の子はわたしだけなんじゃないか、なんて本気で思ったりしたものだ。

その当時のわたしは、彼も実はわたしのことを大事に思ってくれているんじゃないかという幻想を本気で信じていたのだ。わたしのことが好きだからきっと彼は特定の恋人を作ろうとしないのだ、なんて考えたり。

ただその直後に彼はあっさりと、わたしのよく知らない、とてもとても可愛い女の子と付き合い始めて拍子抜けしたのだけど。

すこしのバツの悪い気持ちと、彼女がいる手前とで、それまでのように仲良くするのに気が引けてそれからはだんだんと距離を取るようになってしまった。

今となってはあの頃のわたしたちの関係がどれほど特別なものだったのか、もはやわからない。全てわたしの勘違いだったのではないか、とさえ思う。

彼から約2年ぶりに連絡がきたのはつい数日前のことだ。その日はちょうどわたしの20回目の誕生日で、「おめでとう」と連絡がきた。それで久しぶりに会おうという話になり、今日に至る。

わたしたちはお互いに20歳を超えていてあの頃のわたしたちとは少し変わっているはずだ。

彼は待ち合わせに少し遅れてきた。「ごめん、ごめん」と悪びれる様子もなくにこにこしてこちらに走ってくる。少し髪色が明るくなっただろうか。でもあまり変わらない。久しぶりに見るその顔に少しホッとする。

「ここ、安くてうまいんだ」と彼に連れられて入ったごちゃごちゃした安居酒屋はうるさくて混んでいた。「らっしゃっせー!」と若い店員の声が響く。賑やかなのが好きな彼らしいなと思った。

一番安いサワーとつまみを何品か適当に頼む。すぐに出てきたサワーのグラスを持ち上げ、小さく乾杯する。お酒を飲むのにまだ慣れていないから酔って彼に醜態を晒してしまったらどうしよう、なんて不安になりながら恐る恐る口をつける。柑橘系の果実の爽やかな香りの後にツンとアルコールの味がした。

「このチーズうまい!食べてみ?」と先程頼んだつまみのチーズを頬張りながら無邪気に目の前の倉田が笑う。
その笑顔を素直に可愛いと思う。倉田は顔がすごく整っていると言うわけではないが割合育ちの良さそうな上品な顔立ちをしている。笑うと目が細くなってとても可愛らしくなる愛嬌のある顔だ。

この甘い笑顔と、甘い言葉でどれだけの女の子を勘違いさせてきたのだろう。今も彼の周りにはあのときのわたしと同じように勘違いし、知らないうちに傷ついている女の子がいるのではないだろうか。飲み物を口にしながら彼の顔を見つめていたら
「なに?俺の顔なんかついてる?」
と、とぼけた顔で聞いてきた。

「なんでもないよ、ちょっとぼーっとしてた」と答えると

「えーなんだよ、それ。おれの話そんなつまんない?」なんて少し拗ねてみせる。

「そんなことないよ」と笑って答える。彼と二人で飲めているこの状況が楽しくないはずがない。

高校時代の、倉田に恋をしていたわたしだったらこの状況をとても羨ましく思うんじゃないかと思う。
あの頃、みんなで遊ぶことはできても、倉田を二人で遊びにさそうことはどうしてもできなかったし、倉田から誘われることもなかった。
それをしてしまったら自分も周りの倉田に憧れる女の子と違わないことに気づかれて倉田に嫌われるんじゃないかとさえ思っていた。

倉田はあの可愛い女の子とまだ付き合っているのだろうか。それを確かめられないまま、大学がどーだとか、友達がどーしただとか、そんなあたりさわりのない会話を続けてもう2時間ほど経つ。

もう昔のようになんでも話せるような関係ではなくなってしまったような気がして少し寂しくなる。彼はさっき本音で話せている、と言っていた。なのにわたしは今倉田に変なところを見せないよう、核心をついた話をして傷つかないよう、繕ってばかりいる。わたしと倉田はこんなつまらない話しかできないような間柄だっただろうか。

「ところでさ、鈴木は今彼氏いんの?」

ふいにこちらを見て「どーせいるんだろうなー」なんてぼやいて、さほど興味もなさそうに聞いてくる。

突然の質問に一瞬固まる。少し沈黙してから答える

「えっまあ、、いるけど、、、」

…「高校の友達と?いいね、楽しんでおいで」とこころよく送り出してくれたあの人のことを思い出す。もうちょっと疑ってくれてもいいんじゃない、なんて思ってしまったことも。

半年ほど前から付き合い始めたわたしの恋人は倉田とは似ても似つかない。背が高く、目つきが悪くて一見少し怖い。無口で、無愛想で、人見知りで、無邪気でも明るくもない。でもとっても優しいひとだ。そしてたまにみせる笑顔が可愛い。そこだけは倉田と似ているかもしれない。

大学のサークルで知り合い、お互いになんとなく気があって付き合うようになった。燃え上がるような情熱もないが、一緒にいてとても落ち着く人だ。わたしは彼のことをとても好きである。

「やっぱりな」と倉田がニヤつく。「なんか鈴木幸せそーだもん。いいな、俺なんか全然だよ」
そうつまんなそうにぼやく倉田の姿は少し意外ではあった。

「高校のときの彼女は?別れちゃったの?」

「あれ、知らなかったっけ。もう卒業してすぐだよ、、、5月くらいかな?そんなもんで別れちゃったよ」
「振られちゃったんだーおれ。」と口を尖らせる。

なんだ、と少し拍子抜けする。高校時代あれだけモテていた倉田のことだ。てっきり前の彼女と続いているか、新たに誰かと付き合っているものだとばかり思っていた。

「なんだよー結局鈴木も彼氏いんのかよ、つまんないなー。俺ちょっと今日期待したのに」なんてニヤッと笑いながらふざけて言ってみせる。
こういうことがさらっと言えてしまう男なのだ。ほんとうにずるい。ずるくてかわいい。

その甘い笑顔に騙されないぞ、とこちらもニヤッと笑って「それはごめんね?まあうちの彼氏倉田なんかよりもいい男なんで」なんて答える。

「なんかってなんだ、なんかって」
また口を尖らせる。

なんだか妙に肩肘を張っていたそれまでの自分が急に恥ずかしくなってくる。
わたしはなんで倉田相手にこれほど取り繕うとしてしまったのだろう。なんでもっと本音で話そうとしなかったのだろう。きっと彼はずっと本音を向けてくれていたというのに。

緊張で固まっていたものがほぐれてからはわたしと倉田は昔のようにいろんな話をした。

それはとてもとても楽しく懐かしい時間だった。

高校生のころ、あの狭い世界で倉田はわたしの全てのような気がしていた。
彼と仲良くすること、彼に嫌われるようなことをしないこと、それが私にとってすべての優先順位だった。
離れてみて、外に出てみて、わたしの世界に倉田はそれほど必要でなかったことに気づいた。彼がいなくたってわたしは全然生きていけるし、彼だって当然そうだろう。
倉田に執着せず、別の人を愛し、愛されながら過ごす今の自由な世界はとても心地がいい。

それでも、あの、狭くて閉塞的で、制限の多い世界で、将来の不安に怯えながら、短い春を必死に楽しもうとしていたあの時間こそが青春だった、と今は思う。


何杯かお酒を飲みながら、ひとしきり話していたらもう最終電車の時間が近付こうとしていた。
「そろそろ帰ろう」という話になり、居酒屋を出て駅に向かう。

「今日は楽しかったわー、また遊ぼーな!あ、彼氏心配する?」

「きっと大丈夫」

「ほんと?そしたらまた飲もうね」

「うん、ばいばい」

彼とは反対方向の電車に乗り込み、小さく手を振る。

電車が発車してしばらくすると彼からlineが来ていた。

「今日はありがとう。次はいつにする?」
なんて。にこにこする彼の顔が浮かんでくるようだ。

わたしが倉田の恋をすることはきっともうないだろう。でも、また新たになんでも話せる友達になれそうな気はしている。
それも悪くないなと思う。
今度は倉田の恋の話でも聞いてやろう。
わたしはそっと微笑んで彼と次の約束をする。

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