ブラック校則感想「で、世界は変わったの?」※ネタバレ注意※
えーーーと・・・前回ガセットに本格的にハマった理由について述べますと書いてから結構な時間が経ってしまいました。3日坊主どころか1日も持たなかった私・・・
ガゼットに限らずセクゾ沼に足を踏み入れた経緯についてもじっくり語りたいのですが、取り急ぎ、「ブラック校則」の感想を書きます。
世が停滞している今だからこそ、多くの人にこの映画を観てほしいと思ったので。
※※※以下、結構がっつりネタバレしてます。鑑賞前の方はその点ご留意くださいませ※※※
映画の序盤、私は自身の中学時代に思いを馳せていました。そこでは一年生はまげゴムやピンはカラフルなものはNG、ジャージのチャック全開はNG等、生徒手帳には載っていない「裏」校則なるものが存在し細々としたルールが生徒達(特に女子)の間に、生徒達によって敷かれていたのでした。事情を知る教師に「そんなものは気にしなくていい。」と諭されても・・・まぁ裏校則を守る人は多かったですね。先輩達が全員支配的だったわけではありませんが、先輩の目が無くても同級生同士でお互いを牽制し合う空気というかね。
小学校もあまり好きではなかったけど、中学校は輪をかけて息苦しい場所でした。私のクラスが特別だったのかもしれませんけど。
さて、佐藤勝利演じる創楽ですが、彼は学校では目立つタイプではなく異様に厳しい、、というか生徒の人権まで抑圧する様な校則に違和感を抱えながら高校生活を送っています。髙橋海人演じる中弥は楽観的で飄々としていて友人の創楽とは真逆なタイプ。しかし笑顔の裏に底知れなさが見え隠れしているというか、色々達観している面が何気ない台詞からも窺える様な、そんな男の子です。
冴えない毎日を送る中、創楽は同じクラスの希央(モトーラ世理奈)に一目惚れをします。彼女は校則に引っかかる様な亜麻色の長髪を靡かせ、体育教師の手代木(ほっしゃん)から説教という名の脅しを受けても、淡々とした反応を見せるのでした。
本当は地毛なのに証明できる写真がない希央。
そんな彼女を救うべく、自由を勝ち取ろうと創楽は立ち上がります。中弥と共に。
いや~・・・手代木が酷過ぎる。ほっしゃんを嫌いになりかけました笑(ほっしゃんに罪なし)。ミチロウ演じる田中樹も嫌な役がはまっていましたね。上手。一見怖そうに見えますがいつも子分を侍らせているあたり、彼も弱い人間なのでしょう。彼等は潜在的に創楽の様な芯の強い人間を恐れているのではないかな。自分の王国を脅かす存在ですからね。しかし、地毛が証明できないなら髪を染めろだなんて・・・染めるのは校則違反じゃないんですかと、私だったら言い返してしまうかも(理屈合戦)
ある日創楽は中弥が希央と二人きりで話している所を目撃します。それはまるで中弥が希央に告白している様に見えたのでした。更に校舎の白い壁に「farewell dear M」と書かれた落書きも見つけてしまい、中弥が希央に宛てて書いたものなのではないかと悶々とします。
複雑な思いを抱えながらも、落書きのある校舎裏(裏庭みたいな場所)で中弥と相も変わらずつるむ創楽。そこには時折掃除婦(ヴァージニア・ウルフと呼ばれる。演じるのは薬師丸ひろ子)も来て、二人とたわいもない会話を交わしたりするのでした。
この落書きが発端で、生徒達の諸事情が浮き彫りになって行きます。吃音を持っていて周囲から存在を軽んじられている生徒、ミチロウや、創楽に片思いをする派手目の生徒、模範的な委員長・・・ヒエラルキーの上位にいようが下位にいようが、それぞれが何かに怯え、息苦しさを感じていました。「farewell dear M」の落書きの周りには、そんな生徒達の他人には吐けない胸の内が書き連ねられる様になるのです。
そして、鬱屈した思いを抱えるのは生徒だけではなく、惰性で教師をしている人達も同じなのでした。
更にキーになるのが放火犯の存在です。創楽達の暮らす街では連続放火が起きており、それが不法滞在による外国人労働者達の仕業なのではないかと噂する人もいた、、様な気がします。(すみません、ここら辺の記憶が曖昧なのです。重要なことなのに・・・)希央は偏見を持たずに外国人労働者と創楽達を交えて楽しい時を過ごしていましたが、彼等が働く作業場で火災が起こり、その場に居合わせていたことで手代木に目をつけられてしまいます。
窮地に立たされる希央。
彼女を何としてでも救いたい創楽。
色々ざっくりと端折りましたが、ここまでが起承転結で言うと承なのではないでしょうか。
職員会議が開かれた時、創楽が咄嗟に取った行動によって物語が大きく転がって行きます。
個人的に吃音を持った男子生徒、東君(達磨)のラップシーンが映画の中では一番好きでした。インタビューでも達磨さんは吃音を持っていたと語られていて・・・苦悩した経験が役に反映されていたのか、真に迫ったラップでした。後半になるにつれて熱がこもって行く感じがとても好きです。
希央の為に立ち上がり、ラップを通して自分達を取り巻く現実を訴えかける外国人労働者達。彼等の様な思いを抱えた人達は、きっと沢山いるんでしょうね。見えてるけど見てないだけで・・・
そこへ続く創楽の叫び。希央は創楽にとって原動力となった存在でした。創楽の叫びに、野次を飛ばしていた周囲も静まりかえります。
この一連の流れに、私は胸が熱くなるのを感じずにはいられませんでした。シンプルなものこそ最強、とはまさにこのこと。
そして校長(ラスボス・でんでん)の言葉。
「学校は道徳を教える場ではありません」
彼がこんなニュアンスの言葉を放った時、「この校長だけだったのだ」と思いました。周りの教師の殆どが流されるがままに生徒を取り締まる中、この校長だけは信念を持って生徒を縛っていたのだと。昔の政治家や、やり手のワンマン社長を彷彿とさせられました。良い悪いはさて置き、強烈な信念と自分なりの哲学を持っている感じ・・・。例えばブラックな校則により、心身に支障をきたす生徒が出て告発されたら・・・手代木みたいな人間は保身に走るんでしょうが、この校長は言い訳はしないのではないかと思います。想像ですけどね。
手代木の気の抜けた表情も印象的でした。まるで操り人形の糸が途切れたかの様な・・・行き先を見失ったというか、自分の中の空洞に気がついたのでしょうかね。
正直、希央に関しては鑑賞中「何故自分でもっと動かない?いつ変えてくれるのって・・しんどい環境なのは分かるけど・・それでも自分でも考えようよ」と彼女の他力本願に思える行動に若干の苛つきを感じていたのですが・・・。終盤で見せたあの表情に、彼女が今まで受けてきた傷が本当に垣間見えた気がしました。
そして迎えたラスト。ブラック校則はコミカルでありつつ、始終不穏なものが劇中を漂っているのを感じていましたが・・・。ラストのあの台詞で、私はとあるエッセイ集の中に出てきた「0の恐怖」という話を思い出しました。
「どうして?パンがなかったらケーキを食べれば良いじゃない」マリー・アントワネットがこう言って無邪気に0を一つ落としたことで、後のフランス革命が起きた。戦争や大事件は必ずしも高尚な動機や思想的対立から起こるのではなく、ほんのちょっとした間違いから十分に起こりうるという内容のものです。ラストであの人物が取った行動と台詞からはただ常識を知らないだとか、不注意だけでは言い切れない、何重にも折り重なった社会の深淵が垣間見えたのでした。
また、劇中で放火犯という存在が姿を現わすわけでもなく、肉眼では見えないウイルスの様に人々の会話の中でしか出てこないことにもザラッとしたものを感じましたね。ラストの台詞も相まって、様々なメッセージを想像してしまいます。
・・・はい。ここでこの記事のタイトルです。「で、世界は変わったの?」
本当に、創楽達の世界は変わったのでしょうかね。
目先の問題を解決しようとするだけでは、創楽に片思いしていた女子生徒の「パーマかけたい」という願いは叶いそうにありませんし、第二の希央を生み出しかねません。しかも第二の希央に創楽達の様な存在が近くに居るとは限りません。
そもそも彼等は・・・問題の本質を理解しているのだろうか?
今は良くても、それは一瞬の晴れ間なのではないか。高揚感を感じつつも、悶々とした気持ちで劇場を後にしたのでした。
その後、ブラック校則を観終えた数日後に私は偶然目にしたジャニオタさんのRTがきっかけで日米FTAの問題を知ることになるのですが、それまではスピン報道なるものが存在していたことすら知りませんでした。学校は社会の縮図とは言い得て妙です。麒麟の子の歌詞も・・・初めて聴いた時よりも深く自分の中に刺さってきました。国民にとっての一大事なのに連日のエリカ様報道・・・まさに「目を覚ませ!」ですね。
自分の影響力など大したことがないという思い込み、空気こそが、今日の社会に蔓延している「ブラック校則」なのかもしれません。
2020年の今、コロナがきっかけで今まで見えていなかったことが表に出る様になったと思います。手代木やミチロウの様に、声なき声を覆い被せようとする動きも見えますが。大きな声に惑わされて柵の中に居るか、柵をちぎるかは自分次第です。
ブラック校則はずっと多くの人に観ていただきたい映画だと思っていたのですが、混乱、閉塞感が続く最近は一層強くそう思います。ツイッターでもジャニーズ好きの層だけに限定されるのは勿体ない映画だと以前呟きましたが、サラリーマンや管理職のおじさまにこそ観ていただきたいと今でも思っています。悪者は誰だと言うよりも、何かの仕組みに気づかされる様な、本当の敵とは何なのか・・・そんな気づきを与えられる映画でした。
余談ですが、一緒に観に行った嵐ファンの友人が「佐藤勝利、綺麗な顔してるな。演技も良いよ」とぼそりとつぶやいてくれたことが嬉しかったです。佐藤勝利(my oshiの中の一人)もさることながら、中弥を演じた髙橋海人君の陰と陽を感じさせる演技にも魅せられました。
・・・いやはや・・・長くなりました。最後までお読みいただきましてありがとうございます。色々話が飛んでしまって・・・。記憶を掘り起こして書きましたが、設定等内容におかしな所がありましたら申し訳ありません。
最後に、谷川俊太郎さんの言葉を添えます。
「生きているということ すべての美しいものに出会うということ そして 隠された悪を注意深く拒むこと」
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