子どもを「死なせないようにする」しか出来ない

将来の夢は何か、とか、どんな仕事に就きたいか、とか、そういうことを子どもと話をする。
けれど子どもは、なんの夢も目標もないと言う。
なりたいものもない、結婚もしないと思う、と子どもは言う。
子どもは受験生だ。
メランコリックな気持ちになっているだろうし、モラトリアムな時期でもあるかもしれない。
そして、良くも悪くも親の背中を見て子どもは育っているんだろうとわたしは思っている。

子どもの父親が、なんの目標もなくなってしまったと言って自ら命を絶ったことを、子どもには伝えていない。
子どもは、父親にそっくりだ。
年々似ていく。
脳の構造が似ているのだと思う、最近びっくりするくらい重なる。

育てているわたしといえば、生きる喜びを子どもに教えられるような人間ではない。
若い頃には腕を切っていたし、服薬自殺未遂もしている。
厭世観から早く人生が終わったらいいのに、と思う部分は今も持ち合わせている。

子育てがわたしを生かしている、社会参加のきっかけにもなっている。
けれどわたしには、心の底から生きたいと願う気持ちがないのかもしれない。
なんてこと、こんな人間が子どもを産んで育てているなんてと自分で思う。
だから子どもに、生きる喜び、困難や不安を乗り越えた先に幸せや充実感があると教えることが出来ていない。
人生は突然、なんの前触れもなく取り返しのつかない不幸が襲いかかってくることもある、極めて不平等なものなのだ。

これからも子育ては続く。
子どもには何も教えられない。
わたしとは違う人間である子どもが、自分自身で生きることの自分なりの価値を見出して欲しい、ととても酷いことを思う。

わたしには、衣食住を与え、子どもを「死なせないようにする」しか出来ない。


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