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【エッセイ】私の推しはコンテンツ


私の推しは、コンテンツだ。
つまりどういうことかと言うと、私は推しを人だと思っていないのだ。
とは言っても彼は札幌在住の30代後半独身男性。普通に人である。
たしかに食事量は人並以下だし口を開けば嘘しか吐かない、自覚はあるらしいが相当な人間だ。人間らしさで言えば誰よりも人間くさいのではないだろうか。
でも私は、かたくなに彼をコンテンツと呼ぶ。

その彼というのが前に趣味の投稿をしたとき書いた配信者のこと。
彼の周りには数人のクリエイターがいる。そのクリエイター陣が言うには「彼はわがままだし人を振り回す、けれどなぜか手伝いたいとか一緒にやり遂げたいと思わせる人」らしい。不思議な魅力がある人なんだろう。
実際、彼をずっと見てきて今では毎月550円を支払う私にもその気持ちはわかる。見捨てられないというか、なんというか。

彼は自分のことを"根っからのエンターテイナー"、"ピエロ"と称している。配信を見ているとそれがよくわかるのだ。
たとえば居酒屋に行ってもたとえば地元の祭りに行っても自然とギャラリーを集めるし、人生はどのページをめくっても黒歴史。ピエロの血族なのだと、言っていたこともある。

ともに配信をやってきた小学2年生のころからの幼馴染は去年の5月に彼から離れてソロ活動にいってしまった。ショックだった私はいまだに、そちらを見れていない。
彼とその幼馴染の友情の深さは私がここで書ききれるほどのものではないので、また今度どこかで。

この人たちは人気があったから、常識のないファンに家凸とか住所特定されたりしたことがあった。彼は自分だけに矛先が向いているあいだは黙っていたけれど、幼馴染に被害が及んだ瞬間弁護士に相談して告訴という流れを成した。

いちリスナーの私には、彼らのあいだには友人関係以上のなにかがあるように思えた。恋人関係だとかそういうことを言いたいわけではない。
過ごした時間が長すぎて家族みたいな、そんな感覚なんだろうなと思っている。

始めのほうに書いたとおり、彼は嘘つきだし話を盛るし、被害者面をするのだって得意だ。そういう自分に酔ってるんだろうなと思うことさえある。
炎上したら自ら油を追加投入して炎の柱を立ててしまう。
土下座謝罪をすればお家芸と言われて次の瞬間には開き直っている。

それでも私が彼を推すのは、彼がどうしようもなく"人"だからだろう。
彼が持つ優しさも情も醜さも生きづらそうなところもぜんぶ、胸が苦しくなるくらい"人"なのだ。
そんななによりも人らしい彼を、私はコンテンツと認識していないとやっていけない。
そうでもしないと、人としての彼を無視しないと、かなしくてやり切れなくて、しんどくて、見ていられない。
そうまでして彼の声が聴きたいし配信を見たい。一種の中毒だと思う。

ところで私は、彼を見ていると
「世を呪い人を呪い、それでも生きたい」
を思い出す。これはもののけ姫に出てくる台詞。

なにがなんでも生にしがみつこうとするこの台詞が、私は人間らしくて大好きだ。
別に彼がこの台詞を言ったわけではないしこの台詞に彼はまったく関係ない。私が勝手に結び付けているだけ。通じるものがあるなって、思っただけ。

私の推しへの愛は真っすぐだと思う。
人間らしさが大好き。
でもこんな世の中でそれを直視することはできない。

だから私は今日も、推しをコンテンツと呼ぶ。

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