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これから大学生になる人向け 史料の調べ方

追記 03/23 22:39 あたしは大学での研究者ではなくただのIT系サラリーマン。だけどどこかの大学に属してちみちみ研究している物好き。 ------ あたしの専門は史料を使った男性装束の研究。 装束=衣裳って見てくれだけではない。 結局それらを着用する人の官職、場所や儀式の意味などを知らないと表層的なものになってしまう。 そこの部分をやるかやらないかで「研究」か「物好き」かの違いが出るのだと思う。 それはさておき早速、史料の調べ方について。 【古事類苑は使え】 日本

    • 袞冕十二章のこと

      03/17 22:15に『土右記』の記述も記載。 --- 03/17に放送の「光る君へ」で袞冕十二章が出てくるのでコメント。 前提 (スタッフさんごめんなさい。ダメ出しから)一条天皇即位は幼年に即位しているので、「冕冠」は着用せずに「天冠」を着用したので、シーンで出てくるジャラジャラした玉暖簾のような飾りはないです。 どんな時に使う装束?天皇の正装ともいえる「袞冕十二章(こんべんじゅうにしょう)」は現在、皇室の儀式では廃れて見ることはできない。 なんでか? 明治維新時に

      • 石帯について

        追記 24-05-12 「余談」に書いた内容を少し調べてみたので補足。 石帯が2つに分かれた理由について「リペアを簡単にしたため」と記載したけど「永陵玉大帯」というものが1942年から43年にかけて発掘されているのね。この石帯はバックルで分かれていた事が確認できるので、ひょっとしたらこの影響かも。 永陵玉大帯(成都永陵博物館のリンク:音楽が鳴るので注意)は五代十国時代の前蜀、王建墓の遺物で年代としては10世紀初め。日本は醍醐天皇の延喜のとき。時期的にもリンクしている。 で

        • 下襲の長さのこと

          「光る君へ」の第4話に出てきた下襲の長さについて少し検討をしてみたので。 15:59ごろのシーンに注目このシーン、兼家が花山の後釜になる懐仁がいますねぇ、という話のシーンで兼家が登場する際に頭を下げた五位官人の後ろ姿に下襲のサイズ確認になりそうな画面があったので、計算をしてみた結果、おおよそ7尺。 7尺は微妙に「さもありなん」のサイズ感。なのでちょっと驚き。 このシーン キャプチャではないので画像は粗いです。。 ふくらはぎから出てきた下襲(裾)を折り目を左にして腰(石

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          「改定」花山天皇の即位についてまとめた

          01-29 花山天皇即位後の新嘗祭での五節について、『小右記』からピックアップしました。内容も少し変更しています。 「光る君へ」で第四話で花山天皇が円融天皇から受禅されるので、その時の記録から即位までの流れを古記録なんかから抜粋してみた。だけど、実資さん、五節舞について記載していないから五節舞は省いています。 あと、小右記はこれ日記か?というほどに長文なので、あたし目線で面白そうな部分だけ。(実資さんの記録の付け方などは、”『小右記』と王朝時代、編集 倉本 一宏, 加藤 友

          「改定」花山天皇の即位についてまとめた

          実資の麴塵袍について

          実資の着用していた麹塵袍 やはり桐竹鳳凰麒麟が前後とも正しい方向で織られていた。 第二話で見えた実資の歩いているシーン(12分ぐらい)で肩と後ろ袖、襴が見え、文様が全部、正方向だったの! そして前見頃の首上を少し下がった部分(あごから10センチ下ぐらい)でちゃんと折り目が見えている。袍の縫製は後身頃にハコエと呼んでいる部分があり、前は腰のあたりではたくしあげて("こみ"を作って)懐を作るため、長さが違うので着用しない場合、首上が後身頃側に付随する形になる。 (図1の通り

          実資の麴塵袍について