実資の麴塵袍について

実資の着用していた麹塵袍

やはり桐竹鳳凰麒麟が前後とも正しい方向で織られていた。

第二話で見えた実資の歩いているシーン(12分ぐらい)で肩と後ろ袖、襴が見え、文様が全部、正方向だったの!

そして前見頃の首上を少し下がった部分(あごから10センチ下ぐらい)でちゃんと折り目が見えている。袍の縫製は後身頃にハコエと呼んでいる部分があり、前は腰のあたりではたくしあげて("こみ"を作って)懐を作るため、長さが違うので着用しない場合、首上が後身頃側に付随する形になる。
(図1の通り)

図1 縫腋袍の前と後ろ(首上:襟の場所)

なので前見頃のあご下に出てきた折り目は装束(衣紋)をたたむ際の折り目。この折り目こそが前見頃と、後身頃の分岐点になるということ。

映像をよく見てみて。
肩にはかかっている文様がこの折り目付近にはない。畳まれることを想定して桐竹鳳凰麒麟紋という特別な文様はあしらわないし、折り目から文様が解れることもある。この紋様は浮紋ではなく固紋なので紋様自体もしっかりしているので生地を裂いてしまうこともある。(なおこのシーンでの衽部分は文様を裏側に折り込んでるよう見える……)(図2は文様の参考)

図2 江戸時代に書かれた黄櫨染袍(桐竹鳳凰麒麟紋)

さて、貴族の袍の文様は通用紋として輪無唐草、轡唐草があり、輪無唐草は上下を気にしないで済む上下シンメトリーだが、轡唐草は大根のような柄なので上下がきっちり判別できる(葉っぱの部分と根っこの部分のように見える)。さらに、これらの文様は生地にまんべんなく織られ、シンメトリーではない、上下がある轡唐草だからといって途中で上下反転はさせない。
(図3:文様はアヒルで代用)

図3 通常の紋様方向と裁断(文様はアヒル)

だから前見頃を正しい文様の方向にすると後身頃は逆転してしまう。
(手元にレシートなど文字が書かれた紙があればそれを上下で折ってみて。前後ろで文字が反転しているでしょ?)

また、襴の部分にも注意が必要となる。通常は襴は横向き。
現代は天皇と皇太子のみが文様の通りの方向に合わせる。

だけど、今回の麹塵袍は前見頃の、折り目付近で文様を上下反転させて織っている。(大事だから2回目)

だからどうした?

と思うが、とんでもない贅沢でとんでもなく面倒な生地を使っていることに驚いている。
そして、『天子摂関御影』の高倉天皇の肖像にある黄櫨染袍の紋様(桐竹鳳凰麒麟紋)と方向が異なっていたことにものすごく驚いた
この図の手前側の奥袖の部分に注目してほしい。州浜が上に、竹が下向きになっている。ということは、文様を反転させていないということ。また端(鰭)袖部分の文様は裏側なのに州浜がした、竹が正しい方向になっている。

天子摂関御影から高倉天皇(Wikipediaから)

位袍を作るときは着物と同じ

一反から作るので、想定される反物の長さ(サイズ)と裁ち方は、現代に継承されている方法と同じならば、生地の端から順に
 袖(奥袖2枚と端袖2枚、都合、4枚)
 見頃(左右の2枚)
 衽(1枚~2枚)と衿など
 襴(1枚)
という感じて同じ反物から全部のパーツを取り出す。そうなると全長、約35メートルの反物が必要となる。(図3を参照)

なお、文様を逆転させる場合には、袖部分の中心部分で上下反転、見頃のサイズの中心部分で上下反転、また襴の部分でも横転させる必要がある。通常の袍の場合、欄の文様は横になるが、やはり下賜品ということであれば天皇と同じものなので襴の文様方向も正面から見て天地左右が正しいのでこの部分だけ別生地か先の説明のように横転させて織らないとならない。(図4で想定)

図4 想定した反物(赤いアヒル紋様が適宜、上下反転と横転した部分)

さらに衽部分は斜めにするため見頃との文様合わせも必要でますます、手間のかかる縫製が必要となる。

最後に現代では力織機(機械織り機)があり、動力を使ってコンピューター制御で思うままに大きな幅で簡単にパターンを織れるが、平安時代には手織りしかないので、もう、それは複雑な手間のかかる手仕事だったと想像は容易にできる。
ちなみに、反物幅は装束用は42~46センチ、着物用は35~40センチ幅となっている。(もし近くに手ぬぐいがあれば測ってほしい。手ぬぐいは反物を手拭き用に裁断したものなので、幅は着物の反物と同じ。)

これは、手機で織れる幅と体格が基準となっているので、これも現代の力織機のような大型織り機が開発されるまではこれぐらいが限度だった。

だから、横幅を倍にすれば何回も反転させなくていいでしょ、ということもできない。
現在、洋裁をやる人には馴染みだが洋服を作るための生地は130センチや150センチ幅がある。

結論

この麴塵袍、平安中期で本当にこのような状況だったらものすごく手間のかかった装束だったということ。また、こんな反物、何反も作れないので相当栄誉なことだったと考えられるということ。

画像提供
ROIS-DS人文学オープンデータ共同利用センター 
『日本古典籍データセット』(国文研等所蔵) 「装束図式」

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