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書くということは、心の模写ではない。

こんにちは、よろずです。

今週か先週か忘れてしまったんですが、正式にアンチをされてる人と話す機会があったんですよ。

なんというか、悪口を言うアンチって、ストレス溜まってんのかなとか、色々あるんだろうなって正直気持ちが分かってしまうので理解をしているつもりなんですけど、「本物」ってまじで曲者なんだなって勉強になりました笑

自分はアンチしてもらえる様な器じゃないので、自分以外のアンチをしている方だったんですけど、考えがしっかりしていて、良い言い方をすれば物凄く正義感が強いからこそ間違った情報が許せない。そういう人でした。

確かに、知名度が高くなると、その分人に与える影響力は強くなります。
例えばYouTuberのHIKAKINさんが募金を募れば、視聴者は募金の「方法」を知ることができ、さらにそこで学んだ「知識」を共有出来るようになります。

だから影響力を持った情報発信の第一人者が、間違った情報を発信するのは許されないのだと、その人は責任感を持って僕に話してくれました。

めちゃくちゃ勉強になったんですよ。
最初は嫌悪感しかなかったんですけど、そういうことなら分からなくもないなって思って。

ただそういう読み手がいてこそのこの「書く」という行為にも、なかなか難しいことがあるっていうことを伝えるために、今回はこの記事を書いていこうと思います。


普段、僕らは話して生きていると思います。

あんまり喋るのが好きでなかったって、学校や職場でコミュニケーションを取るために一度は話すだろうし、先輩や上司にあった時に挨拶したり、一言も話さずに一日を終える人はかなり少ないと思います。

だから言葉に対して深く考えることは普通に生きていて少ないだろうし、ありがとうと思ったら「ありがとう」という人がほとんどではないでしょうか。

でも書く、知っている人に対して手紙やLINEを送るのとは違って、自分の全く知らない人に考えを共有する時には、「ありがとう」と誰かに伝えたい時、あえて「うざい」なんて言葉を使ったりします。

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