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書籍「地球のレッスン」と映画「マトリックス」

この地球で
どうやって生きていこうかと思いふけったとき
あらためてこの2つを手にとった

1999年に公開された映画「マトリックス」
今回は
プラグを抜くこと
人間とウィルスについて
という部分が気になった

プラグ
現在は抜きにかかる人が増えているだろうか
なんとなくそんな気もしているが
それともじぶんがそうなってきていて
周りに増えているだけだろうか

劇中のプラグを抜いた世界は
自由だけど過酷のようだ
いや
過酷なのは戦いがあるからか
ぼくらも戦う必要があるのか
じんわりと広がっていけないかなぁ

ウィルス
人間は哺乳類の中で唯一
資源を食い尽くし他に広がっていき
その様子はウィルスのそれを同じだという

人間にも自然のなかで共存共栄していく機能は
備わっているだろう
だがそれとともに
追い求めすぎるなにかがあるのだろうか

それは欲なのか
はたまた希望なのか

それを正そうとするとあまりにも膨大で
取り組む前からあきらめを感じてしまう
共有できる人とだけのコミュニティをつくるというのは
逃げなのだろうか
今世の役割とバランス
自分はどこにいるんだろうか


2009年 北山耕平著「地球のレッスン」の冒頭にこんな言葉がある

「蛙はけして自分の住む池の水を飲み干したりはしない」

これはわたしたちにとって
大きな単位でいえば地球であろう

「われわれは誰なのか?」
「なぜこの地球にいるのか?」

「自然とはなにか?」
「自然とはなにでないのか?」

気づく
知る
思考する
そして行動する

まだ自分の中では実体をつかみ切れていないが
ぼくはこれをあきらめたくないと思う
そして
本気で語り合う仲間と出逢いたいと思う
いや
出逢っていく
そして
それぞれの役割とできることを
発揮していく

このジャーナルを書いていると
「~したい」「~でありたい」と
書きたくなる瞬間が何度もある

そんなときはなるべく
書き直し
言い切る練習をしている

少し心の現状とずれがあっても
そんな希望を引き込みたいと思い
言い切る練習をしている

希望を引き込み
自分を引き上げる


地球のレッスンのなかに
涸れ井戸に落ちたロバの話がある

自力で上がるには深すぎる井戸に落ちたロバに対し
助けるにはどうすることもできないと思い
人々は穴を埋めることにした

土を上からかけ続けるなかで
ロバは降りかかる土を払い
自らの足で地面を固め始めた

そうして少しずつ少しずつ
地面の高さを上げ
一段一段階段をのぼるように上へあがってきたという

人生というのは、上から泥の塊が降り続けるようなものだろう。
その泥は、実にさまざまで、ありとあらゆる種類の泥が降りかかってくる。
人生を生き抜く鍵は、身体に泥がかかったらそれを振りおとし、
振り払った土を足の下で踏み固めて、しっかりと上に上がっていくことなのだ

北山耕平著「地球のレッスン」

地球のことを本気で考え
そこで生きる生き物を想い
人と自然が共生する行動を

まだまだ甘ちゃんな自分だけども
そんな交流がしたいと思う

したいと思ったから
ここに書く

あぁそれが
この風の時代に対する
自分の違和感なんだろう

自分を満たすだけなら
きっと土の時代と変わらない

そんな考えが浮かんでいる

自分を満たす先にある役割課題
その先へ関わっていく
気持ちを持とう


2022.2.12 Sat / 21:44

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