生きるための食べ物をつくること。
安全に暮らすための建物をつくること。
健康に過ごすための衣服をつくること。
これができたら、いのちは保てるのではないか。
多様性と利便性が求められることで、さまざまなことが分散していく。
それらを否定するわけではない。自分にフィットするものは心地よいし、便利なものは楽ちんだ。
でもそれが行き過ぎると、生きる基盤に費やせるものか薄まって息苦しくなるような気がする。
そのいのちのベースがあって、
余暇をあそび、もらったところへ還元する。
水、空気、土。
ここへ還元する。
生きるニーズを満たし、魂が求めることをし、生かされている地球を愛する。
宇宙へつながるのだろうが、まずは身近な恩恵へ。
消費者ではなく、生産者ではなく、循環者である。
まだその方法も把握できていない。意思も不確かだ。
経験もほぼない。理想論を振りかざしているだけだろうか。
いや違う。覚悟の問題だ。
循環者として
灯りに惹かれたものとして
羊と出逢ったものとして
自分を知りたいと願うものとして
その共通核があるとしたら、それはなんだろう。
2022.1.15 Sat / 0:50
追記
自分を知りたいと願うと、「知りたい」が叶うのだろうか。
そうではなく、「知っている」が叶ってほしい。
言葉を替えて、「自分のことを知っている」と思ってみよう。
静かに、耳を澄ますときこえてくる、
はっきりとしたこころとたましいの声を。
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