見出し画像

ジャーナリングから深める「わたしにとってのコーチングとは」

この1カ月、まるで精神と時の部屋に入ったかのように取り組んできたことがある。

それは「ジャーナリングでコーチングと向き合うこと」だ。

3月の前半後半でテーマをもらい、
ひたすらに思考と感覚を文字に打ち込んでは読み返し、また思考を繰り返してきた。
その濃さは、自分の経験としてはここまでのものはなかったのではないか。

トライアルの試みとして、他2名の方とテーマを共有し取り組んできた。限られたメンバー内のみのクローズド環境での書きものだったので、自分のための言葉も多くあるが、その現在地をここにも残そうと思う。

激励と感謝をこめて。

まずは前半のテーマから。

あなたにとってコーチングとはどのような営みですか?また、ご自身の思うコーチングにおいて、あなたはどのような役割を果たしているでしょうか?あなたの果たす機能的・実務的な役割とあなたの存在が果たしている役割(影響)はそれぞれどのようなものですか?




*自分を探る*

具体的な体験からということを意識すると、中々進まなくなってしまった。知識としての組み立てはしやすい(認識しやすい)が、体感的な体験となるととたんに記憶と感覚が遠のく。
これは、今直面している「より体感すること」と結びついているかもしれない。日常での体感を増やしたいと思っていることと、

記憶のなかの体感を手繰り寄せること。言葉にするより、結構難しく感じている。

さて、気を取り直して考えてみる。

自身の体験をもとにした
「コーチングとはなにか」
「自分がコーチングにおいて果たしている役割はなにか」

振り返りから入ってみる。

ぼくのコーチングの世界に足を踏み入れたきっかけは、「問い」からだった。
これは2019年4月、日本羊毛フェルト協会の講座内で「みらいのひつじ」という、「今の自分・過去の自分・未来の自分から連想する情景を、ひつじを入れ込んで描く」ワークだった。

これを受けた際に未来の自分において、

「自分のアトリエが庭にある喫茶店のようなところで、ナナメの関係を築ける場がほしい。なにをしたらいいかわからない人は、ふらっと立ち寄ったり時にはぼくの仕事を手伝ったりしてみて、なにかを感じていってもらう。また、この学校でも職場でも家でもない場所に、ものづくりの人や色んな職業・年齢の人が立ち寄ることで、自然と対話が生まれること。そうすると、どうしたらわからない人も、何かの影響を受けられる。そんな場所にぼくは、自活をしながらゆるりポツポツと話を聴いている。」

そんな情景を絵に描いた。

そんな話をきいて、コーチングを習っていた協会の先生が「しまうらさんもコーチングやってみたらいいと思う」と誘ってくれたのがきっかけだった。

そう、初めは

「よく人の話を聴けるようになりたい」

「いい問いかけができるようになりたい」

それが始まりだった。

自分の個性として、「女性のなかに交じっても違和感を感じさせにくい性質」と、「誠実そうに見える雰囲気、落ち着いてみえる雰囲気」というのが昔からよく言われていた。
そんな相手を攻撃的・防衛的にさせにくいことが、ぼくが対面コミュニケーションをする際の、利点となっていると思う。それは安心感のひとつでなないだろうか。

また、自分の名前の漢字の難しさからか、漢字に対する興味もやや強かった。思い起こせば、小学校の図工の時間、篆刻でハンコを作った際、自分の名前を旧字体やらパーツの意味やら調べたなぁという記憶が浮かんできた。

そんな経験もありながら、「漢字の意味、構成」「漢字の組み合わせによる言葉」なんてところから、言葉に対する意識も高い部分があるのだろう。
自身が発する言葉や、クライアントが発した言葉を拾い、その意図や感じているものについて深めるという時間は結構好きだ。

(追記:あぁ、もしかしたら幼稚園から小学2年ころまで、言葉によっていじめられていたことも影響があるのかな。当時はすぐに涙が出てきて、からかわれても言われても言い返せない。我があっても涙がでてきて言葉が出てこない。動じない自分や、対抗する術がほしかったな。)


そんなところから自分のコーチングは、

「安心感を感じさせやすい性質」と「出てきた言葉にアンテナが張られている」という、

特徴があると感じている。


過去のことを思い出しやすくなっている今、もう一度コーチングとは何かを考えてみる。

自分が初めて体験したコーチングで、驚いたのは「そんな質問の仕方あるの!?」だった。

これはコーチングのオンライン練習会に参加したころの感覚だが、先輩たちの問いの幅広さと深め方に驚いた。(当時はとにかくスキルの部分が目についた)

立場を変えて考えるとはよく聞いていたけど、五感のそれぞれに集中した問い方や、シンプルだけど粘り強く問うていく対話。かといって、詰問ではない、うーーん…と言いながら、向き合っていけるその場の雰囲気。

そして人それぞれ、自身の特性が活きた対話の仕方。

言葉少なに相手に話してもらう人もいれば、エネルギーや表情を感じ取って話を進める人もいる。その多彩さに、人はみんな違うけど、共通するもので関わり合っているという感覚を覚えた。表現が違うだけ。

ぼく自身のコーチングにおいては、「ことばになっていないことに向き合えること」ということを大切にしている。

これは、20代の企業勤めのころ、「自分には合っていない気もするけど、なにが好きでなにをしていけばいいかわからない」ということに覆われていたとき、
「なんだかわからないけど気持ちも晴れなければやる気もわかない。どうしたらいいのか」ということを、中々口に出して相談できる人が少なかった。
書籍だけでは突破できなかった自分だった。あの時、他者との対話があったらもっと気が晴れやすかったのではないかと思う。そんなどうにもならないかもしれないと思ってしまうことも、大真面目に対話してほしかった。言葉のやりとりがほしかった。

*わたしにとっての8つのコーチング*

そう、コーチングとは、「相手と自分の、ことばとことばにないもののやりとり」(①)

である。

そこにはほとんどの場合言葉が介在し、交わされている。沈黙もあるが、その時自分の内側に対し言葉で対話しているし、全くないとしたらそれは瞑想かもしれないしエネルギーワークかもしれない。(自然と打った順番が相手が先だったのにも、無意識を感じた。)

そのことばの中には、その人の人生、感性、不安、希望、見栄、自信、やさしさ、厳しさ…
あらゆるこの生をいきる活動がある。生活がある。生を活かす、生が活きる。その端を発し、言葉となって現れるものを出し合って、震わせあって、関わっていく。そして、そのことばになっていないものも聴いていく。声なき声を、聴く。

ちなみに「ことば」とは、「こと」の「端」という意味合いも含む場合もあるらしい。「言」は「神様にお告げをする誓いをたてる。宣誓」に語源があるという。
そして神とは、ぼくは自分自身のなかにあるという考え方が好きだ。解釈はそれぞれだが、神社の社になぜ鏡が祀られているのか。そしてなぜ形上人は鏡に向かって祈りを行っているのか。それは自分自身への祈りだからだ。自分自身へ言葉を発する行為。それが神社でのお祈り。そんな解釈が気に入っている。

目的はいろいろあるだろう。幸せになる、が終着点かもしれないし、通過点かもしれない。

(追記:対人関係を学ぶ上で、心理があるが、この心理を学ぶことを避けている自分がいるのは、1つに「その人自身をみる」という前に、「判断」が入りやすくなるんじゃないかという気がある。
これはまだ自分に実力が伴っていないからか、「わかったような、見透かしたような顔つきになる」のを避けている。自然に内包できれば、いいのかもしれないが…)

だからぼくがコーチングにおいて果たしている役割は、「相手から湧き上がったり、隠れていたりすることばを感じること。そしてそれを言葉にし、出すことだ」。(②)

だからこそ、そのやりとりを豊かにできる、自分の中の気づきや成長、自立や整理を願っている。

出し合って、響き合って、辿り着く。安心のなかで。

ぼくにとっていま、コーチとして目指すことは、「その人のすべてを感じられるようになること」、(③)そして「どこよりも安心な場所であること」(④)かな。果てしないけど、極めたらすごいな。

また一方で、コーチング内で話された課題や次への一歩などは、宿題にされない。あくまでやるかやらないかは自分次第。代わりに自分の人生をやってくれるわけでもない。自分の口から出ても行動しないと変わりにくい。(意識が変容すればエネルギーが変わるので、変化がないわけではないが)

その点でコーチングは、自分で自分の人生を歩むための鍛錬の場(⑤)でもあると思う。気づき、知り、口に出す。行動の起点をつくること(⑥)となる。

その部分の役割としては、依存関係にしないように、相手の思考と成長のペースに合わせて、支えながら寄り添うことが必要だ。その中で様々な想像を提供する。制限のない世界だったり、時空を超えた世界だったり。

そう、コーチの果たしている役割として、想像の提供(⑦)がある。または、内なる体感の想起(⑧)といってもいいかもしれない。

①「相手と自分の、ことばとことばにないもののやりとり」について、具体化してみる。

コーチングは一対一で行われた。(グループコーチングもあるが、基本的には問う人答える人が1人ずつだ)

そしてクライアント側からテーマを出し、答えを出していくスタンスで行われた。メンターコーチングの場合もあるが、考え方は提案していくが、答えはやはりクライアントが出していく。なので、「相手」が先にくる。

これは自身のクライアントととしてメンターコーチングを受けた経験からだが、

人生経験・業界の知識や情報など、人間として体験談を伺うことも多い。役立つことや視野の広がりに繋がることも多いが、やもするとすぐに話し過ぎてしまい、こちら側が置き去りになりがち。やはりベースは相手の話にすることが、より濃い時間になるように感じる。

「ことばとことばにないもののやりとり」としては、まず「ことば」とは、その人の経験の一端である。体験のあるものはことばで認識できるが、体験がないものは感覚の範疇になる。

ただ、認識が上で感覚が下というわけではない。それは単に未経験だったり言語化できていないだけで、本人にとっては大事なことだ。その上、既に存在する「言葉」に置き換わっていない分、純度が高いものではないだろうか。

そこをクライアントに感じてもらう場をつくることは、コーチングにとって非常に大切だと思う。

そしてさらにそのことばになっていないものでやりとりすることも許される。話してはいけないもの、遠慮するものが減っていく。その制限の撤廃が、コーチングの価値の1つだと思う。

それを自問自答に促したり、他問自答を進めていくことで自分に気づいていくこと。

②「相手から湧き上がったり、隠れていたりすることばを感じること。そしてそれを言葉にし、出すことだ」について具体化してみる。

これはぼく自身がコーチングを行っている際、相手の話の中の言葉を拾い上げることがある。

楽しい・怖いなどの感情を伴う言葉だったり、何度も出てくる言葉、言いにくそうな言葉、言い換えて現れる言葉など。相手の中で湧き上がり、最終的に口から出てきた言葉から辿っていく行程だ。それによってふと出た言葉でも、実は普段からよく口にしていてずっと引っかかっていたり、受け止められていなくて消化できていない事柄などにつながることがある。

また、隠れていることばにも注意を払う。「なぜその言葉を使ったのか」と同時に、「なぜ他の言葉を使わなかったのか」という両面性がある。他にも、何かを庇っているがための表立った言葉ということもある。自分を守っていたり、受け入れられずにいることから。そこにそっと触れていく。そうすると、扉が開き、一層奥の部屋に入れることがある。

相手からしたら、そうやって少しずつ、自分の部屋の扉を開けていくことになる。一人では開けるのを避けていたことも、信頼できる人と一緒ならのぞきやすくなる。

③「その人のすべてを感じられるようになること」について具体化してみる。

文字面だけ見るとどこぞの仙人かSTARWARSのジェダイのような文面だが、ここを目指すとしたらば、自身の伸びしろは限りなくなるだろうと思う。

実際に出会う先輩コーチの方々も、心理や量子力学、アートや自然など、論理と感性を伸ばしている人も多い。そうしてもらっていることで、こちら(クライアント)がどんな球を投げてもいいんだという安心感が生まれる。個性として、能力として、迷いとして、可能性として、受け止めてもらえるだろうという心持ちにさせてもらえることは、有難いことだ。

一方で、どんなことも赤子のように、純粋な気持ちと好奇心で相手の話を受けとめるということも必要だ。そうすることで、相手がどんな知識の持ち主であっても、臆することなく、平等な立場として向き合える。

大学の時に行っていた少林寺拳法の教えの中にこんな一文がある。

「我ら一切の既往を清算し、初生の赤子として、真純単一に、この法修行に専念す」

それまで習ったり知ったことがあっても、生まれたての赤子が習うかのように、教えと修行に専念しなさい。というような解釈であったと記憶している。その無垢な心で相手と関わることで、純粋な気持ちで相手を感じることができるのだろう。

また好きな文に、「聴くのなかには”十四の心を耳にする”がある」という言葉がある。自分のなかにどれほどの心が聴ける耳をもっているのか。

そんな経験から感じる目指すコーチ像へは、まだまだ精進は長く続く。

④「どこよりも安心な場所であること」について具体化してみる。

元気な時も、しんどいときも、「あぁ、あそこに行きたいな」と思える場所って、すごく貴重だと思う。

体感的にも精神的にも、安心できる場であること。それを用意することが、コーチとしての役割のひとつだと思っている。

そうするには、コーチ側の自己状態が良好であることがとても重要だ。自身がコーチとしてお迎えするときも、よく眠れていて、頭がすっきりしていて、セッション前に準備ができて、セッション後に振り返りができている時と、寝不足でばたばたしている状態で臨むセッションだと、その安心感は差のあるものになった。

そしてより自分らしくいられることが、コーチとしての能力を最大限に発揮してくれるのではないかと、最近感じている。

それは、より自然な自分でいられた方が、相手もよく話してくれて、沈黙もよく使ってくれて、直感的にもなったり、粘り強く考えられたりしているように感じている。よりぼく自身が自分の素質にいられることが、どこよりも安心な場所であることにつながっていくような気がしている。

またオンラインが多い昨今ではあるが、リアルな場で体感できる場も、クライアントにとっては安心を五感で感じるための重要な要素だ。

清潔な環境、適温な空間、座り心地の良い椅子、おいしい飲みもの、心地良い音、落ち着く光。そんな場を用意することも、安心な場所であるという体現のひとつになる。オンラインでコーチの表現が伝わらないのであれば、クライアントと共有し、お互いにより良い時間を過ごすためにはというすり合わせの時間を設けてもよいかもしれない。

⑤自分で自分の人生を歩むための鍛錬の場について具体化してみる。

コーチングの最中に、「しまうらさんだったらどうします?」とか「何かいい方法ありませんか?」といった質問を寄せられるときがある。正直自分の考えを話して同意してくれて、うまくいってくれることもとても楽しいと思う。そういう欲求はあると思う。

だけど、それでは(そればかりでは)クライアントが今後、自分の選択をして行動していく力がつきづらくなってしまうと思う。「コーチはクライアントのパートナーである」と言われるが、クライアント自身の人生を歩むわけではない。四六時中サポートすることも少ないだろう。あくまで、コーチングセッションという場と、必要範囲内での日常的なお付き合いになる。自分が先に死ぬかもしれない。そうすると、相手はどうなってしまうだろうか。

そうなると、本当にクライアントが幸せになっていくには、独力を高めていってもらうことが必要だ。だからこその、練習鍛錬の場でもある。自分を知ることを練習し、口に出すことを練習し、出したことを実行してみる練習をし、結果を受けとめる練習をする。まるで「道」のような。なんだろう。「自導道」?思い付きである。

自分自身もそうやってきたと感じる。初めは向き合うだけで終わっていたセッションも、口だけで止まっていた行動も、徐々に自分のオーダーを実行できるようになっていき、自分も環境も変化してきている。

コーチングは結果を出す場ではなく、鍛錬の場である。

⑥行動の起点をつくることについて具体化してみる。

コーチングセッション内で行われることは、そこでものごとが出来上がることではない。

行動に移るためのきっかけを見つけたり、気持ちの終点をつけたりなどして、セッションが済んだあとの人生を歩むための起点をつくることだ。そしてその起点をいかに確固たるものにしていけるのかが、コーチングクオリティのひとつになろう。

起点を確固たるものにするために、五感の体感を促したり、時間軸を動かして想像したり、成功シーンを想起したり、よくセッション中に促されている。ビジュアライズや各種アセスメントからの客観視なども行う。ストレングスやタイプ分け、優位感覚といったテスト結果をコーチが把握し、それに合った言葉がけや促しをクライアントにすることで、より相手の感覚に響きやすいようにするといったことも行われた。

身体という機能を活かして、人間という感情を活かして、その起点をいかに固く強いものにお互いにしていけるか。重要な要素であると思う。

⑧内なる体感の想起について具体化してみる。

前述でも出てきているが、「体感すること・できること」がとても重要になってくる。

自分の気持ちに気づくことも、ワクワクを感じることも、自信をもつことも、体温の変化や表情の変化を感じることも、それは自身が「自分の内側の体感に気づいたから」ということだ。

それはつまり、内側の体感が起こった、または起こさせたという事実が必要である。意識・顕在意識からはもちろん、無意識からでも潜在意識からでも、その体感を想起させていくことが必要である。もし体感がなかったとしたら、それは通り過ぎてしまうだろう。それに未来へ繋げていくほどのエネルギーをかけられるのか。個人的には、実感の伴わないものに大きなエネルギーをかけることは難しいように感じている。

ぼく自身、コーチングを受け始めた当初は「感覚」というものがよくわからなかった。「楽しい」ということを、感覚的に楽しいと感じるのではなく、「なぜこれが楽しいと思うのか」といった論理的思考でとらえていた。そのため、いつまでも自分とその「楽しい」とした物事に乖離があり、自分にもその楽しさにも自信を持てずにいた。

そこでいつからか、コーチング内での問答が感覚を出す練習・感じる練習が出てきたように思う。そうやって少しずつ、自身の体感の湧出させ、感じ、味わってみるということができるようになっていった。その際にコーチが行っていたことは、内なる体感を想い起させる「今なにを感じている?」「その想いはどれくらい自分にしっくりくる?」などの丁寧で粘りづよい問いと場があったことも大きいのではないかと感じている。

以上が、「自分にとってコーチングとは何か」「自分がコーチングにおいて果たしている役割」ということについての現在地である。

次は後半のテーマ
「あなたが自分自身のコーチングや、コーチ・対話者(もしくはその他のご自身が目指す存在)としての自分をさらに深めていくために向き合っていきたいのはどんな問いですか?」
についての向き合いを開きたいと思う。




嶋浦顕嶺の取り組み



おかげさまでアトリエと集いの場を持つことができました* いただいたご支援は、今後の「yoritoco七芽の羊」活動に使わせていただきます🪴 お近くの際はどうぞお立ち寄りください🐏