見出し画像

「カゾクトークvol.2」の記事が出たので改めてお葬式について考えてみた|イベントの裏側

こんにちは、よりそう広報のタカダです!

先日開催した「カゾクトーク vol.2」の様子を、共催のwithnewsさまが記事にしてくださいました!

▼イベント前に書いたnoteはこちら

当日私は緊張のあまり大したことをお話しできなかったのですが、とにかく宮川さんの深すぎるお話と、神戸さんのさすがの取材力に助けられ、無事終えることができました。
知見を持つ方に聞きたいことを聞けて、本当に大切なことをお伝えできるイベントの機会は本当に貴重です。

さて、作家であり死別経験を持つ宮川さんとお話しさせていただくなかで、印象に残ったことがありました。それは、「誰かの死は、時に人の人生を先に進めることがある」ということです。
※もちろん、悲しみが深く、しばらくはそこに留まっていたい方もたくさんいらっしゃるかと思います。なので、進むか否かに善悪はない、という前提で読んでいただければと思います。

宮川さんのコアメッセージは「死は必ずしもネガティブな側面だけではない」ということでした。宮川さんにとって死はとても悲しいものだったけれど、それをきっかけに人生が動き出した結果いまの人生がある、と。

お母さまを亡くされた後、いまに至るまでの宮川さんのご活躍はご存じのとおりです。しかし、そのきっかけは生活の端々にお母さまの痕跡が残っていて辛かったこと。お母さまの好物だったアイスの実や地元のスーパーがフックになって悲しみが押し寄せ、吹っ切るために東京に出てきた宮川さんは、「当時は逃げるように上京したが、今となっては母の死が後押ししてくれたように思う」と語っています。

宮川さんは死の受容について「インストールする」という表現をされていましたが、お母さまとの思い出そのものが宮川さんの糧となり、(上から目線ながら)成長のきっかけとなっていることがとても印象的でした。さまざまな紆余曲折を経ながらも、最終的には咀嚼して前に進めることもあるんだな、と。
もし「大切な人を失った悲しみから抜け出したい」と考える人がいたとしたら、何か手掛かりになるお話だと思うんです。自分自身のなかに既に大切な人がいると思うと、なんだか心強くないでしょうか。そしてどこに移動しても心の中にいるのだから、そこにとどまる必然性はなくなります。
大切な方がいなくなってしまった自分の人生を自分の足で歩んでいくうえで、死の事実を心にインストールして受容していくのはとても大切なプロセスなのですね。

そして、気持ちの区切りがついたタイミングとして宮川さんがお葬式や一周忌をあげておられたのも納得感がありました。
詳しくは宮川さんの書籍を読んでいただければと思うのですが、お葬式も法要も《主役が不在のパーティー》のような一面があります。当たり前のように故人さまの話題で盛り上がり、時には新たな情報がもたらされるので、インプットの量が一気に増えるんですね。
ご遺族の方は特にやることが多いので、ゆっくり悲しみを受容できず大変かもしれませんが、やるのとやらないのではインストールできる量や質が変わってくるのではないでしょうか。

そんな話を間近で聞かせていただいて、改めて「人ひとりの人生が変わるかもしれない《お葬式》という特別なタイミングに関わらせていただいている」ということを自覚し、背筋が伸びる思いでした。ちゃんといいものを届けたいな、いろんなお別れのお手伝いをしたいな、と。
前の記事でも書いたように、お別れにはいろんな形が存在します。その分、お葬式に求めるものは人それぞれです。
お葬式のかたちに悩む人に、それぞれに合ったお別れを選んでもらえるよう、そして悲しみから一歩踏み出したいときに思い出してもらえるような場面をご提供できるよう、今回のようなイベントに限らずできることからコツコツと頑張っていきたいと思ったタカダなのでした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?