弁護士視点からの「ウ・ヨンウ弁護士は天才肌」解説〜第3話

ヨンウがミョンソクの執務室に入るとき、まだ直ぐには入られないものの、以前のように3つ数えることはなくなってるように見えます。

第1話では検事が被告人を勾留しなかった理由を説明する場面がありますが、この第3話でも人が亡くなっている重大事件でありながら被告人が身体拘束されていません。
実は日本でも法律上は逮捕・勾留出来る場合は、かなり限定されています。逮捕と勾留はあくまで被疑者や被告人による逃亡や罪証隠滅を防ぐための捜査手段であり、犯罪を犯した容疑があるというだけで無条件に認められるものには法律上はなっていないのです。ところが日本の裁判所は、警察や検察が逮捕状や勾留状を請求するとほぼ無条件に認めてしまうので、容疑者になる=逮捕されるという実態が生じてしまっています。かかる実情や警察発表を事実であるかのように垂れ流すメディア報道の影響もあり、日本では”悪いことをする=逮捕される”という誤解が社会に定着してしまっています。
他方、韓国司法の実情については、自分はよく知りません。しかしながらここまで本作を視聴してきて非常に精緻に作り上げられており、実際の司法実務をかなり反映している様子が見てとれることから、むやみやたらに被疑者や被告人を逮捕・勾留しないようになっているのかなと想像しました。

「アボジ、質問があります。21歳の自閉症の男性と話すにはどうすれば?」
「どうしてですか?」
「守秘義務のため話せません」
これ弁護士家庭あるあるですね。弁護士は自分の家族には取り扱っている事件のことは一切しゃべりません。自分から質問しておいて何やねんと思われるかもしれないけど、まあこういう職業なのです。
しかしこのお父さんを演じるチョン・ベスという役者さん、自分が今までに見てきた作品ではいずれも警察官役ばかりだったので最初はこの役に違和感がありました。が、社会的ハンデを持つ娘を男手ひとつで懸命に育て支える芝居があまりにも見事で、あっという間に引き込まれてしまいました。
「ありきたりでも実践するのは難しい」
「努力はすぐには実らない」
さらっと名言、名セリフが現れるので本作は油断がなりません。

さて第3話の名場面と言えば、ハンバダの弁護士たちがペンスーのラップを歌うところですね。このシーンに出ていないミヌ役チュ・ジョンヒョクが見事に歌い上げるバラエティ動画に感銘を受けたのですが、改めて探すと見つけられなかったので、代わりにこの歌のオリジナル動画を引用しておきます。

学生時代、ミョンソクと一緒に障害者支援ボランティアをしていたという女性が、ヨンウと一緒にいるミョンソクを見て、またボランティアをしているのだと思い込み、それを口に出してしまいます。障害者支援をしていた人ですら、その言葉を聞いたヨンウがどのように感じるかに思い至らない、障害者とは健常者が手を差し伸べてあげるべき可愛そうな人々であるという枠組みに囚われているさまが描かれています。下手すれば障害に対する誤解や偏見を助長しかねないテーマを取り扱っている本作が、果敢にマイクロアグレッションにも立ち向かっていることに自分は感銘を受けました。

無自覚の差別行為「マイクロアグレッションとは?」日本財団ジャーナルより

第3話も第2話と同じく、実質的な依頼者と弁護士がその利益を守るべき当事者が異なるケースです。しかもその当事者自身が自閉症者で自分の意見を流暢に言語化することが出来ないので、第2話のケースよりも更に難しい。しかしだからといって弁護士は、実質的依頼者である親の意向におもねることは出来ません。特に本件は刑事事件ですから、弁護人たるもの被告人の利益に反することは絶対に出来ないのです(弁護士が刑事事件で被疑者・被告人の代理人となったとき、その立場のことを弁護人といいます)。

ニュース報道では被告人はA氏、被害者はB氏と匿名化されています。判決が確定していない段階でも顕名で報道する日本メディアのやり方は、その被疑者・被告人が犯人であるとの予断を生じさせるのみならず、たとえ無罪判決を獲得したとしても回復できない社会的ダメージを与えるものとして、何十年も前から批判され続けています。この場面から推測するに、韓国社会では既に犯罪報道の匿名化が実現されているようです。
また日本でもヤフーニュースの書き込みに攻撃的な差別文言やヘイトスピーチが溢れることが長らく指摘されてきましたが、ヨンウが障害者への偏見に満ちた書き込みを目にしてしまう場面を通じて、韓国でも同様の問題が生じていることを描いています。

重度自閉症者である被告人の母親がヨンウに対し、会話が可能で弁護士として稼働しているヨンウを見ているとどうしても我が子と比べてしまう、その苦悩を告白するシーンはとても繊細で、脚本家がかなり入念かつ丁寧に当事者家族への取材を行った上で作り上げたのではないかと想像しました。

その場面に続けて、第3話はナチスが優生思想に基づき多数の障害者を虐殺したいわゆるT4作戦とハンス・アスペルガー医師の罪に鋭く切り込みます。ラブコメでありながら障害というテーマをご都合的に利用しない、真正面から向き合う本作の気概と気迫に圧倒されました。

H・アスペルガー医師、ナチスに「積極的に協力」か 研究
2018年4月20日 15:43 AFPBB News

わずか80年前、自閉症は生きる価値のない病気でした
わずか80年前、私とジョンフンさんは生きる価値のない人間でした
今も数百人の人々が”障害者じゃなく医大生が死んだのは国家的損失” このコメントに”いいね”を押します
それが私たちが背負う この障害の重さです

彼女たちが背負わされている重さを作り出しているのは誰なのか?何なのか?
ヨンウが我々に問いかけます。

公判シーン、ミョンソクとヨンウが弁護人を務めています。依頼者である父親は、被害者である長男が自殺を図ったことが原因であることを表に出すのであれば依頼を撤回すると言っていたので、2人が法廷に立っているということは父親の方針を飲んでしまったということでしょう。その結果、弁護方針は自閉症状を原因とする心神耗弱主張一本やりとなり、ヨンウらは窮地に立たされます。被告人の利益を徹底的に追及すべき弁護人としては、あってはならないことです。

しかし他方で、条件を制限された上でもなお全力を尽くすヨンウらの弁護士としての姿勢が父親の態度変化を促し、長男の自殺企図を表に出すことを認めさせます。実はこれも弁護士をしているとままあることです。弁護士は自身の職業倫理に従い、専門家として正しいと考える方針をクライアントに提案しますが、クライアントがそれを受け入れるまでには時間を要することがあります。そのときが来るまで姿勢を崩さないで待つ、それも弁護士の仕事のひとつです。

わたしは被告人の力になれる弁護士ではありません

この第3話のストーリーの中で伏線として丁寧に張り巡らされてきた数々の社会的偏見の集結点となるセリフです。しかし同時にこれは、弁護士という仕事の核心を表す言葉でもあります。弁護士としての専門的知見をフル稼働させた結果、クライアントの最善の利益を実現するべき弁護士は自分ではないとの判断に達したとき、自ら退くことが弁護士の任務だからです。ヨンウはこのことをきっかけに弁護士を辞めてしまいますが、実は彼女が紛れもなくプロの弁護士であることを示す場面でもあるのです。

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