交渉の入り方

「先生、とりあえず内容証明1本打って下さい!」
「いやいや、ちょっと待って下さい。どういう方策が良いのか、よく考えましょう」

弁護士であれば誰もが経験する、相談者とのやり取りです。
内容証明郵便というものは、その名の通り、郵便局が郵送した手紙の内容を証明してくれる郵便方法です。配達証明を付けることで、その内容の郵便を間違いなく相手が受け取ったことを容易に証明することが出来ます。日本の民法では、契約解除などの通知を相手が受け取って初めてその効力が発生するので、後に訴訟で解除の有効性が問題になったときに、解除を通知する内容の手紙であったこととそれを先方が受け取った事実を第三者である郵便局が証明してくれることは、極めて重要です。
しかし内容証明郵便は、このような本来の用途だけではなく、強い意志や態度を示すものとしても多用されています。それ故に注意が必要で、ほかの伝達方法でも足りるところを安易に内容証明郵便を選択してしまうと、その文書内容が丁寧なものであったとしても、相手が気分を害して態度を硬化させ、かえって交渉をこじらせてしまうこともあります。

日本ではあまり交渉法がクローズアップされたり学ぶ場所がないためか、とにかく強く押すのが交渉だという誤解が蔓延しているように感じます。先方より当方が一方的に強い力関係であれば、強く押していくだけの交渉法でも目的は達成しうるでしょう。しかし、まだまだ法律事務所の敷居が高い日本において、わざわざ弁護士に相談・依頼をしなければならない状況になっているということは、双方の力関係がある程度拮抗していることを意味しています。したがって、われわれ弁護士のところへ来ていただいている時点で、ただ強く出るだけで解決できる事案ではなくなっているということです。

交渉あるいは交渉法は、あくまで目的を達成するための手段でしかありません。ここで一番大事なことは目的の達成です。反社会的勢力の関与や他者からの嫌がらせを排除するのが目的であれば、弁護士からの内容証明で強く警告することが最も有効な手段となることもあり得るでしょう。しかし力関係の拮抗した双方の利害関係が対立している場面では、それぞれの優先順位を擦り合わせて「落としどころ」を見つけなければ、紛争は永遠に続きます。その擦り合わせ作業を行うためには、まずは相手に交渉のテーブルについてもらわないことには何も始まりません(私はよく「土俵を設営して、そこに上がって貰う」と表現します)。交渉のテーブルについてもらわない限り目的達成が適わないのに、居丈高な文面の書面を、しかも内容証明郵便で送りつけて相手を意固地にさせてしまっては、元も子もありません。

まともな弁護士は、クライアントから情報収集した後、まずはその事案におけるクライアントの目標設定を試みます。その上で、その目標に応じた手段とプロセスを選択します。そのプロセスの端緒となる交渉の入り方は、弁護士にとって毎回悩ましい課題です。クライアントと異なり弁護士自身はまだ相手と接触していないので、先方のキャラクターなど情報量が限られています。その限られた情報に基づき、交渉の入り方を決めなければならないからです。例えば、交渉相手との初回の接触方法としても、いったんはクライアント自身から先方に弁護士入れることを伝えた方が良いのか、いきなり弁護士から連絡を取っても良いのか、連絡方法は電話が良いのか手紙が良いのか、手紙は普通郵便が良いのか内容証明にするのか等々、選択肢は沢山あります。事案によっては、依頼を受けた後も弁護士は一切おもてに出ないで黒子に徹した方が良い場合すらあり得ます。その対極にあるのが、いきなり提訴することでしょう。どの手法が良いかはすべからくケースバイケース、その事案と当事者たちの個性特性によって変わります。しかしその判断はけっこう難しく、20年近く弁護士業をしている私にとっても、ここはかなりのエネルギーを要する作業です。

ともあれ、作業そのものは単純です。前述の通り、まずは目標を設定し、その目標達成のために最も効果的かつ効率的と思われる手段を選び、それに応じた交渉の入り方を適切に行う、この作業の繰り返しです。何事も身につけるために必要なのは、基本作業を正しく繰り返すことです。年がら年中こんなことをひたすら繰り返す仕事だから、弁護士は交渉のプロになっていくのです。

弁護士 國本依伸

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