サービス提供を拒絶する権利
1992年、当時の日本社会は現在ほどサービス過剰ではなく、客と店の人が対等かつ飾り気なく会話する個人商店も数多くありました。それでも大学に入って初めて民法の授業を受け、「契約当事者は対等」だと聞いたとき、私は法律論というのは形式的な理屈を徹底する学問なのだなと理解しました。「お客様は神様です」のオリジナルは三波春夫で、しかも現在とは使われているニュアンスが異なるとどこかで読みましたが、ともあれ90年代当時も客が偉くて店員は腰を低くして接客するものだという観念は、日本社会に広く根付いていたように思います。
2011年、日弁連の推薦を受け、カリフォルニア州バークレーに留学した私は、同地で暮らし始めてまもなく、我々がいま使っている近代私法の発祥地である西洋社会では「契約当事者は対等」というのは講学上の理屈ではなく現実を反映しており、民法がその建前通り運用されているのだと気付きました。
というのも、バークレーその他ベイエリアと呼ばれる地域の店員たちは、客に対してへりくだった喋り方はしません。いわゆるタメ口です。しかし多くの人は親切でフランク。決して、つっけんどんな感じではありません。自分が子どもの頃、母親が市場の商店主たちと雑談をしながら買い物をしていたときのような光景です。
そしてバークレーの町中では、いたるところで次のサインを見かけました。ありとあらゆる商店に貼ってあるので、私はてっきり州政府や市役所が各商店に配布しているものだと思い込んでいたほどです。
“We Reserve The Right to Refuse Service to Anyone “
私たちは誰に対してもサービス提供を拒否する権利を保持しています
飲食店などに行くと、店に入ってすぐ、必ず目に入るところにこのサインが掲げてあるのです。
2012年、大荷物を抱えて帰国した私は関空でレンタカーを借り、大阪市内の自宅に向けて阪神高速道路に乗りました。その料金所職員さんの対応があまりにも丁寧で、私に対して必要以上にかしこまった態度をとることに強い違和感を覚えました。帰国して初めて入った大阪王将天下茶屋店で、大衆店のバイトスタッフが、あらゆる客にここまでのサービスを提供しなきゃならないものかと疑問を持ちました。
今年の3〜4月、マスクを求める客がドラッグストアに押しかけ、店員さんたちが心ない言葉を投げつけられ、商品が手に入らない怒りをぶつけられる事例が全国各地で多発したようです。
一昨日、大阪市長と大阪府知事の記者会見を受けて、日本中で店頭からイソジンが消えました。それから2日経った本日時点でも、SNSにはイソジンが手に入らないことの怒りを向けられ、罵声を浴びせられることを危惧する薬局関係者の声が数多く流れています。
日本社会はアメリカ社会とは異なります。しかし、客だというだけで何をしても許されるわけではない、人としての尊厳を侵されてまで店側が忍従しなければならない理屈などないということを1人でも多くの人に知って欲しいのです。限度を超えた言いがかりは、日本の法律でも威力業務妨害罪として裁かれます。店員がもう帰って下さいと退去を求めたのに居座る客には、不退去罪が成立します。たとえ犯罪に当たらない行為であっても、不正に商店主や店員を傷つけたなら、不法行為責任を負うことになります。
雇用者は、従業員の労働環境を適正に保持すべき法的義務を負っています。労働安全衛生保持義務というものです。自分の大切な従業員を不当不法な言動を行う客から守る義務を負っているとともに、そのような客に対してはサービス提供を拒否し毅然とした態度をとる権利を有していることを、日本全国の経営者・雇用者の皆さんに知っていただきたいと思います。
なお、権利があると言っても、不当な接客拒絶はむしろそれが違法になりうることを付記しておきます。こちらに紹介するサイトはオーストラリア政府のものですが、年齢、人種、国籍、性別や性的指向、障害の有無などで差別することが許されないのは日本でも同じです。