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「めざまし時計」がない世界に想いをはせる

わたしは朝に強いほうだと思います。
何時に寝ても、朝8時までには目が覚めてしまうからです。(朝型というより睡眠障害……?)

それもあって「目覚まし時計」はあまり使いません。
在宅勤務するようになった2年ほど前からは、スマホでアラームを鳴らすことすらやめてしまいました。

自然に起きるのが一番スッキリするんですよね。

けれども先日、5時半起きの予定があり、久しぶりにスマホのアラームをセットしました。

翌朝、アラーム音で飛び起きました。
突然起こされるあの嫌な感覚に襲われながら……

一気に飛び起きた勢いで内臓は痛いし、目もすっごくしょぼしょぼで、全身とてもダルかったです。

そんな不調を感じながら、「やっぱり自然に起きるのが一番だな」と思ったわけです。

目覚まし時計をつくった人って、ある意味とても罪深くないですか?

だって目覚まし時計がなければ、この社会はこんなにも「時間」を意識しなくてよかったのですから。

もちろん「時間」があるからこそ、いまの社会はうまく回っています。
日本はとくに、そうした部分がしっかりと機能していて本当に凄いと感じているのも事実です。

だからこそタラレバをうだうだ言っても仕方ないのですが、それでもやはり、"目覚まし時計のない世界" というのも悪くないんじゃないかな?という幻想は消えません。もちろん、とても非現実的な思考ではありますが。

けれども、わたしたちは日ごろ「時間」にかなり拘束されてはいないでしょうか?

「時間にそって生きること」が当たり前となっているから、「間に合うためにがんばる自分も当たりまえ」と思い込んでいますが、「もしかしたら、無理してしまっている部分もあるんじゃない?」ともまた思うことが度々あるのです。

時間がない世界はとても混沌としてしまいます。
だからせめて「目覚まし時計のない世界」に憧れてみたのでした。

ほんとうは目覚ましがなくても5時半にスッキリ起きれるくらい規則正しい生活を送るのがベストです。

でも「早起きな生活リズム」を作れていなかったわたしだからこそ、こんな思考と出会っているんだなとも思うわけです。

「考えること」との出会いもまた一期一会ですね。


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