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捨ててみること、諦めてみること


お久しぶりです。
このブログを書くタイミングは、いつも心を整理したい時。

つくづく私はわがままだと思うこの頃。
昔から欲しいものは絶対欲しい、行きたい場所には絶対行きたい。

そして興味があることは自分でやってみたい。

自分で感じてそれをどう思うのかで
私には必要なのか、不要なのかを判断したい。

だから、それができる人を昔は羨ましいと思っていたし
どうやったら自分の思い通りに生きれるのかと考えてばかりいました。
(自分で書いていて結構ひどい性格。。😇)


最近忙しい毎日の中で、その気持ちが蘇って来る時がある。

「なんで私はこれをしているのか?
どうして自分の人生なのに思い通りにいかないの?」

私の時間なのに思い通りに行かなすぎて
悔しかったり、悲しかったり、疲れてしまったり。


それを繰り返していたら
いつの間にか

「まぁ、どーせまた出来ないだろう。」

そう思うことが当たり前になってきてしまった。


でも人間は不思議なもので
一旦その時のどん底まで落ちたら”落ち着く”もので。。。

そうそう、落ち着いてきたんです。

ゆっくりと周りを見れるようになってきた。
私はすごく単純で、自分の心が気持ちよく、
空気を吸って、生きていると感じることが出来たら
忙しくても楽しむことが出来るんだなぁって。

疲れてしまうとぐっすり眠れるということ。
明け方に起きてしまっても、空の明るさに驚いて、
月が照らしてくれる月明かりに感動したり。
自然に流れる川の水が美しくて、「あ〜まだ世界は美しい。」って
それだけで自然を大事にしようって思える。

本当に小さな幸せに気づけるようになってきた。



そしたら、なんかもう未来を考えすぎたり
私は将来どうなっていたいとか考えることはやめにした。
もちろん目標は持つのだけれど、
もう少し今の自分がしたいことをすることを許してあげようと思う。


私は将来こうなりたいから、今はこんなことしている暇はない。

みたいなことをずーっと考えて生きてきた気がする。
でも生きていればトラブルや想ってもいなかったことは起こる。
その時に結局、”あの時に無理してでもあーしておけばよかった”ってならないように。

”今”の自分がどうありたいかを大切にしようともう。

いい意味で諦めること。
そしていい意味でそんな希望は捨ててみる。

今私はこうありたいから!を貫いていたら
将来も結局やりたいことやっているだろうし
好きな人と、好きな場所でその時の”今”を楽しめていると思うから。


尊敬する友人が

”死なないように生きるな、生ききれ”

と言っていた。
そう、多分生き切らないといけない。

この世には生きたくても生きれなかった人がいるし、
どんな形であれこの世からいなくなってしまった人たちがいる。
でもその人たちがどうだったかは本人しか分からないけれど
生きている私たちは多分、明日死んでもいいように生ききらないといけない気がする。

私が尊敬する内藤礼さんの言葉で
”空間というものが、何かの理由で
素晴らしいものが隠されることがないように、
隠れてしまうことがないように、
裸にしていくということが私にとっての空間への考え方”
と言っていた。

人も、動物も自然も同じ気がする。

自分の、大切な人の素晴らしいものが隠れてしまわないように
見つめたり、見つけたり、探したりしたいと思う。


きっと捨てて見えるものがって、
諦めたり、許したりしてわかることや手に入れる強さがある気がする。


misaki







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