判断をする/しない=責任を取る/取らない

コロナ、それに伴う様々な事象で、などいろんなことが起きすぎ。
社会実験が行われ、いろんな判断が迫られている。

出勤時間をどうするか?
人が集まっているところに行っていいのか?
風邪っぽいけど、ウィルス検査に行っていいのか?

よく言われるのが「個人の判断で」という言葉とガイドライン
例えば、イベントをやめてください!と政府や厚労省は言わない。
あくまでガイドラインを出す。その先にあるのは要請。

イベントで話をすると
政府がやめろ!と言ったらイベントのキャンセル料はどうなる?
そのチケットを買った人は払い戻す?会場のキャンセルフィーは?
その保険はおりる?
それを考えたら、「政府から命令があった!」と言われたくないので言わない。
やめてほしいなあ。せめてやめてくれると嬉しいなくらいで止まる。
そして主催者の判断に任せます!となる。
ここで主催者がイベントをキャンセルすると言う判断は大きな判断となる。
もしそのイベントでコロナが広がった!となると糾弾される。
人が死んだりしたら、それこそ、大問題なので、キャンセル方向に動く。
さらに日本人の横並びが背中を押す。隣もやめたので、こちらも。と。

でも、待てよ。行きたくて行きたいイベントって
そんなにやめなくていいのでは?とも思う。
人の生き死にがかかっているのにそんなに簡単に言うなというのもあります。
行くのか?行かないのか?はそもそも個人の判断だ。
そのイベントにきている時点で自己責任。
であれば、そこでコロナにかかって死んでも文句を言うな!だ。
もちろん、無策で行うわけには行かない。
わかっている情報とできる限りの努力をして開催してもいいのではと思う。
ここで私は若くて元気だから!という人は行けばいいというのは早計だ。

若くて元気だけど、来週おじいちゃんの家に行くなら考えたほうがいい。
自分が菌を媒介する可能性があることも考えたほうがいい。

そもそもイベントは、学校の学級閉鎖とは違う。
授業やっているから、欠席はできないというのとは違う。
イベントは欠席しても怒られない。

大食いコンテストに参加している方(成人男性)が
口いっぱいに頬張っているところに、
司会に「飲み込まないと食べたことにならない!」と言われ飲み込もうとして
喉を詰まらせ死んだと言う事故があった。これに対し男性の両親が主催を訴えた。

いやいや、小学生に煽ったならまだしも
大の大人が自分の意志で大食いコンテストに参加して
勝ちたくて飲み込むの誤ったんやろう!
そこに、親が出てきて訴えるとか、私が親なら恥ずかしいわ。

そんな責任を取る必要はない。と思う。

「止める判断」と同じくらい「やる判断」も大変だ。
「止める判断」は損害が生じるが「やる判断」には責任が生じる。 

「その任命責任は私にあります!」と何度も行っているが何の責任も取っていない人が今日もテレビに出ているが、責任ってどう取るのだろう?
事故が起こった場合の責任は実は事故が起こる前から始まっている気がする。
事故が起こらないために、どこまで誠意を尽くしたか?
そして事故が起こってしまった場合に、どこまで誠意を尽くすのか?

つまり責任の取り方は誠意しかないとも思う。
でも、誠意って何だろう?

それってちゃんと考えて判断したのか?ってことだけに尽きるのでは?と思う。
何をするにあたっても、きちんと考えて判断したのか?だし
その判断が間違っていたのなら、きちんと謝って、考え直し、学ぶことだと。

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