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掌編『さよならごっこ』

 僕らはいつでもさよならごっこ。今日も彼女と喧嘩した。もう別れるとか、愛想がついたとか、さんざんにお互いを貶して、罵って、泣いて押し黙ったりもしたりして。何となく終わっていく夜の次の朝には、何でもないみたいにラインで連絡し合うんだ。いくらやったって飽きやしない。そう言う僕らのさよならごっこ。

 もう死にたいとか呟いて、カッターナイフを手にあてて、ちょっぴり流れた血を見て想う。ああ、なんて僕は死にたくないんだろう。きっと世界の誰よりも、僕は生きていたいんだ。ビルの屋上から落ちるとか、電車の前に立ちはだかるとか、そんなことは出来やしないさ。そういうことばっかり考えてはいるけれど、いっつも答えは堂々巡り。こんがらがってワケわかんなくなっちゃって。いや、本当はもう分かってるんだ。そうだよ僕は死にたくない。明日も明後日も来年も。悲しい未来を怖がりながら、僕は誰よりしぶとく生きるだろう。そんな僕のさよならごっこ。今日も死にたがって、死にたくなくて、よく分からない一日が終わる。

 二度とは会わぬと決めたとて、名残に押されてメールする。一期一会なんて時代じゃないよ。僕らは何度だって繋がれる。そんな時代に生きているから、別れの台詞も軽くなった。でも悲しい言葉の価値なんて、下がっていった方がいい。永遠に断ち切られるくらいなら、少しでも寄り添っていた方がいい。それは指先と指先がかすかに触れあっているような。互いの温かみを感じることはできないけれど、それでもそこにいることは感じられる。それで十分なんだ。それ以上のことを求めるなんて、おこがましいことなんだ。
 さよならごっこは嘘じゃない。僕らにとっては冗談でもなんでもない。それは本気でさよならしようとしていて、出来ない僕らの愚かさなんだ。あまのじゃくな僕らが語る、精一杯の本音なんだ。だから僕らは、さよならを言うたびに、泣いたり、怒ったり、時には笑ってみせるんだ。

 諦められない弱さなんだと、人は言うかもしれないけれど、僕はこうして、こうやって生きていくしかないみたいだ。今更強くなんかなれやしない。だからこの、弱音みたいで、言い訳みたいなさよならを、僕はいつまでも吐き続けるだろう。

 それでも本当は、さよならなんて言いたくないんだ。できればずっと一緒にいたい。辛いことがあったり、面倒なことがあったりもするけれど、誰とだって別れるのは楽しくない。面白くもなんともない。それでも僕らは人間だから、どうしたって上手くいかないことがある。距離を置いた方がいい時もある。そんな悲劇や、喜劇を少しずつ積み重ねていきながら、僕らは別れてまた出会い、もうちょっと前へ進んでいけるような気がする。

 そんな僕を許してほしい。誰かに。世界に。こんなに悲しくて寂しい人間が生きているということを、どうか許してもらいたい。面倒だとは知ってるけれど、さよならごっこに付き合ってほしい。そうしたら、どうにかして、僕という生き物は生きていけるから。

 さよなら、さよなら。明日もきっと会えますように。

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