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掌編『酩酊酩酊』

 自殺願望は、たいてい午前三時にやって来る。

 九時間は飲み続けていた。のべつ酒を口に含んでいるし、のべつ話し続ける。コミュ障なのに話すのが好きだから、相手が友人であろうが壁であろうが、いつも同じような調子で喋くってしまう。おまけに笑い上戸ときたものだから、空気の読めない不審者でしかない。外で飲む時などは大抵午後六時あたりから飲み始めるものだから、午前三時まで至ればおよそ九時間だ。

 その頃にふっと我に返る。それまで憑依していた躁病のような自分が唐突に抜けて、本来の自分が帰ってくる。ジェスチャーを交えていた両手の動きが止まり、目の前のグラスに落ち着く。それと同時に酒が急に不味くなり、五感が無闇に研ぎ澄まされたような錯覚に陥る。

 突然過去の失敗を思い出す。田舎生まれの、母親ほども歳の離れた女上司にこっぴどく叱られたことが明確に頭をよぎる。僕が自己都合で退職するまで、彼女は僕に仕事を舐めている、と糾弾し続けていた。その女は就業中ずっとスマホを弄くっていた。それでも上からの評判はよかったようだ。バイタリティに溢れ、日焼けをしていてドスの利いた声で喋る、僕とは真逆の女性だった。

 割かしに順風満帆な人生を送っていた。小学中学の間は神童のように扱われ、高校でやや躓いたものの、それなりの大学に入ることが出来た。学生時代はずっと小説を書いて過ごしていた。僕の周囲には必ず僕の小説を面白いと言ってくれる人がいた。誰も小説なんて読まないような時代でも、僕はいつか小説家になれるかもしれない、と思っていた。

 狂い始めたのは就職活動の時期からだ。幾つかの就活サイトからやってくる途方もない数のメールとあちこちの説明会で聞かされる自己啓発じみた説教で、僕の頭はおかしくなってしまったようだ。それまで気付く機会がなかったが、どうやら僕はいっとう社会に向いていないらしかった。

 新卒で九時五時の仕事を見つけた。今の時代には考えられないほどの好待遇だ。それでもダメだった。仕事を舐めていると怒鳴られたが、それは半分正解で半分間違っていると思う。僕はそもそも何かに打ち込むことができないのだ。自宅学習なんて殆どしたことなくても何故か神童だった。当然のように追いつけなくなっても、まだ才能の貯金があった。しかし社会を渡るための貯金は一円たりとも存在していなかったらしい。僕の社会経験は約三年で幕を閉じた。薬と酒に塗れながらあらためて小説を書き始めた。僕の小説を理解してくれる人は一人もいなくなっていた。精神病や時間の経過が才能の泉を渇かしたのか。あるいはもう、何も出なくなってしまっただけなのか。いずれ、この世では、『何も無くなる』ということが本当に起こり得るのだ。

 そういう過去が一挙に押し寄せてくるのが午前三時だ。茫然としたまま会計を済ませることもできず、結局午前六時あたりまで店に居座る。そして閉店と共に追い出され、妙に眩しい朝日を受けながら家路につく。そうするとたちまち気が狂うのだ。自宅までの徒歩三十分間、僕は何度も自問し続けた。何故俺は生きているんだ。誰の金で酒を飲んでいるのだ。なんでまだ生きているんだ。所詮お前も、惨めを承知で三十路を迎える俗物じゃないか。働かないのか。小説も書かないのか。もう夢もないじゃないか。これからどうするんだ。老齢の母をどうするんだ。いつになったら死ぬんだ。いつになったら死ぬんだ。

 自宅の洗面所で鏡を覗き込むと見知らぬ男がこちらを見ていた。自己認識を全く拒否していたのだ。しばらく覗き込んだあと、したたかに吐き散らした。おもむろにスマホの録音機能を起動する。千鳥足になるほど意識を曖昧へと追いやることも出来ず、はっきりとした足取りで寝室へ向かう。その間僕はスマホに向かって先ほどの問いを繰り返した。自殺願望を願望で済ませないためなのだろう。夢も才能も失った自分に、もう二度と理解されない日本語の羅列を書かせないためなのだろう。

 今、僕はその時の録音をループさせながらこの小説を書いている。まるでノイズのように何も入ってこない。きっと最近の僕はこんな小説ばかり書いているのだろう。素面の僕は泥酔の僕の覚悟を受け取ることができない。いっそその時に死んでしまえばよかったのに、と思うわけだから、僕は最初から死ぬ気など一つもないのだ。そうしてまた意味の分からない日本語を書き連ね、酒を飲んでは後悔し続けるのだ。社会に適合できないまま。才能の泉に小便を継ぎ足しながら。

 そして思う。助けてほしいと。仮に神様がいるとするなら、今の僕をどのように助けるのだろう。もういっそのこと殺すしかないのだろうか。殺すなら殺してくれ。僕は自殺なんてできない。もうさんざん気付かされた。殺すなら殺してくれ。そしてもういいから、助けて。

 助けて。

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