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掌編『死者の波』

 某地方の海岸には、秋の彼岸を過ぎて肌寒くなってきた頃に、数多の死者が波濤となって打ち寄せるという。

 それは文字通りの死者であり、即ち遺体の群れである。その内訳は老若男女多種多様であり、腐乱し、半ば液状化したようなものもあれば、比較的綺麗な肉体を遺しているものもあるようだ。

 人里から遠く離れており、交通手段も皆無、そもそも徒歩で辿り着くにも幾つかの山々を踏み越えなければならず、故に明確な事実関係が掌握されているわけではないが、当該地方の集落や寺社仏閣には、死者の波に関する記録が幾つか残存しており、細々と語り継がれている。それによると、死者は名前はおろか、戸籍すらも持ち合わせていない。一見矛盾しているようにも感じられるが、彼らは生者としてではなく、元々死者としてこの世に現れたのだという。つまり彼らはあくまでも死者の集団として取り扱われるべきであり、個々人の素性を追及することは無意味に他ならず、無粋であるとすら言える。

 彼らを、黄泉国から送り返された大罪人であるとする説もあるが、真偽のほどは不明である。伝承されている説話に共通しているのは、毎年のように大挙して押し寄せる死者と、実社会で確認されている行方不明者の間に大きな隔たりがあるらしいということだ。

 うらぶれた浜辺を埋め尽くす遺体の光景は、想像する限り極めてグロテスクであるように思われる。しかし実際のところは然程の惨たらしさも見受けられず、相応の腐臭さえ漂っておらず、それどころか一種の神秘性すら感ぜられ、見る者の美的感覚を刺戟するという。そしてそれこそが、多くの宗教観や道徳観に反しているこの説話に生命を吹き込み、説得力すらも与えている節がある。

 今や限界集落と化してしまった農村のほど近く、針葉樹に取り囲まれて薄暗い林藪の中に、質素な石碑が建てられている。その石碑には『弔』の一文字だけが彫り込まれており、他には何もない。管理の手も行き届いておらず、昨今ではすっかり朽ち果ててしまっているその石碑こそ、波濤となる死者へ手向けられたものであるのだと、付近に居住している少数の老人たちに信じられている。それは、名も無き死者に対して生きる者が伝えることの出来る、簡素にして唯一の弔辞であるのだという。

 漂着した死者のうち、多くは時を経ずして再び何処かへと流れ運ばれていくのだという。しかし、当該地方を除いて死者の波に関する民話や確たる証拠が残されている地域は、現時点では確認されていない。再び海へと旅だった死者の波は、やがて勢いを失ってその躰ごと泡沫と消えてしまうとも云われている。

 浜辺に打ち上げられた儘の死者たちも、冬が来る前には忽然と姿を消してしまうようだ。風雪を乗り越え、春が到来すると、浜辺には小ぶりの美しい花々が咲き乱れ、種々の野生動物たちが賑わいを見せる。これは、土に還った遺体が土地を肥沃にしている恩恵であるとも云われている。そのためか、春から夏にかけて隆盛を誇る自然の動植物も、また訪れる秋の彼岸前には去ってしまうか、或いは種子だけを残して枯れきってしまう。その、ある種システマティックな季節の物語は、まるで生者が死者に風土を明け渡す儀式であるとすら形容される。

 そしてまた、秋の彼岸が訪れると、どこからともなく死者の波が打ち寄せてくるのだという。

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