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掌編『BSS童貞プアマン、リアル美男子受肉して死す。』

 さて、二百六十年前に実用化された意識の移植手術は、二百五十九年前に完全に規制されてしまった。理由は単純明快で、つまりそれが人権の侵害であると当時のインテリに断定されたからだ。ヤツらは元々頭が良く、顔も良い。要するにこの世を牛耳るセレブリティどもにとって、他人の肉体に己の精神を宿らせる作業なんて全く無意味だったわけだ。故に美徳の名の下に禁じられた。未だ建設現場で人が死ぬ。鎮痛剤で現実逃避する貧者が溢れている。意識の移植手術は、金持ちのために貧乏人が死んでいくことよりも不道徳で危険で前時代的であるとされた。時代は常に富める者を救い病める者を蹴落とす。この意味が分かるか分からないな分からないまま死ぬんだと思っていたでも今の俺なら分かるんだよ。何故ならつい二時間前、俺は谷戸メイヴァの脳をハックすることに成功し、彼の身体を完全に乗っ取ったからだ。そう、きみが愛してやまない谷戸メイヴァだ。今や俺は谷戸メイヴァの親指や腹筋や坐骨神経を完全に支配している。ところでこれはきみへの恋文になるはずだった。第六次世界大戦の頃に途絶えてしまったと言われる前時代の文化だ。谷戸メイヴァになる前、俺は俺が谷戸メイヴァをハックした事実を誰にも話さず墓場まで持って行こうとしていた。きみには何一つ知らせず愛と子どもを育み人間としての幸福を最大限に噛み締めながら天国へ旅立つこともできたわけだしかし俺はそうしなかった! 谷戸メイヴァの記憶と感情と思考回路の一切を把握した。その上で、俺はこの肉体を粉々にしなければならないと、俺が元々持っていた愚かしい肥満体に混ぜ込んでも分からなくなるぐらいにぐっちゃぐっちゃにしてしまわなければならないと、心底確信したのだ。そのためにこれは恋文ではなく遺書、或いは犯行声明に変貌した。悠久なる人類の歴史においてたった三ヶ月だけ存在していた『レンタル賢者』と呼ばれるサービス。前述した意識の移植手術を活用し、プロスポーツ選手や科学者の身体を借りることができるサービスだった。顧客の精神を一時的に商品の肉体へ植え付け、その間、顧客の肉体と商品の精神は凍結される。そして定められた契約期間が終了すれば、速やかに元へ戻すという具合だった。通常、身体を売るのは弱者の仕事である。売血に児童労働に代理出産と、先進国の金持ちが健康に生きながらえ、自由を謳歌するための搾取機能には枚挙に暇がない。しかし『レンタル賢者』は基本的にエリートが身体を売るビジネスであった。生活に困窮するアスリートや十分な支援を得られない研究者たちが身体、知能検査を乗り越え登録されていた。その報酬は莫大で、一生困らないだけの金を僅か一ヶ月で稼いだ者もいたという。顧客もまた社会的地位の高い者に限られていた。故に何も問題はないはずだった。しかし、どうやら過去のブルジョアは現在ほど完璧ではなかったらしい。インターネットには次々と商品のプライバシーを毀損する映像がアップロードされ、挙句の果てには代理自殺とでも呼ぶべき殺人事件……まさに今、俺が谷戸メイヴァにやろうとしていること……すら発生した。日頃から肉体労働者を安値で買い叩いて生活している人権派たちはこぞってこのビジネスを批判し、『レンタル賢者』は僅か三ヶ月で幕を下ろした。彼らが最も危惧していたのは、商品となったエリートたちの堕落である。先の通り、ハイリスクさえ覚悟すれば人生を一変させる取り引きだった。それこそ、未来の明るい若者たちを高級酒の海に溺れさせてしまうほどに。『全ての人間は生きている限り自己を研鑽し続ける必要があり、一秒足りと他人に身体を貸している暇などない』。実家の太さとコネだけで人生が保証されている進歩主義者は声高に主張した。彼らの高い意識によって助かった人もいたのかもしれないし、逆に将来を閉ざされた人だっているのかもしれない。長々と語っておいてなんだが正直なところ知ったこっちゃない。俺は商品になれるエリートでもなければ、顧客になれるほど偉くもない。それはきみだって重々承知しているはずだ。だからこそきみは俺ではなく谷戸メイヴァを選んだ。俺はきみの幼馴染なのに。保育園から高校まで同じだったのに。俺はかつてきみに言った。いいか、きみは上流階級を選ぶような立場ではない。せいぜい上流階級にピックアップされ、使い捨てられて終わる立場だ。俺たちとあちらの世界の間には壁がある。その壁は、人類の進歩に比例して途方もなく高く積み上げられてしまった。ネットという名ののぞき穴から出歯亀のように彼らの生活を盗み見て憧憬を抱いても、俺たちが俺たちである限り決して向こうへ行くことはできない。それは紛れも無い現実で、きみが無意味な高望みで時間を浪費しないための、これ以上ない真摯な忠告なんだよ。最下層でなかったことを喜ぼう。しかしきみは聞く耳を持たなかった。盲者が容易く視力を手に入れられるこの時代に、恋は盲目と言い張るのはあまりにも時代遅れだろう。俺はただきみの身を案じていた。しかし一方で安心してもいたんだ。谷戸メイヴァがきみなんかを選ぶわけはない。俺たちよりも数ランク上の美男美女が常に彼を囲んでいるんだ。きみは視界の端にはいることさえできないだろう。遠からず夢は終わり、現実へ立ち返るときが来る。そう思っていた今でもそう思っている思っていたいしかしそうならなかったなんてどういう理屈だ? 谷戸メイヴァはきみを選んだ。それも遊びではなく本命として、だ。時として馬鹿なエリートがわざわざ下界に降り立ち荒野を目指すという話は聞いたことがある。しかしその相手に選ばれるという妄想は、買ってもいない宝くじの賞金に期待して仕事を辞めるようなものだ。きみにとっての圧倒的な幸運だったのか俺にとっての圧倒的な不運だったのか。いずれ俺には谷戸メイヴァに勝てる要素がどこにもない。資産も才能も顔面も身長も遺伝子も……いや、一つだけあった。それはきみとの長い付き合い、そしてその中で密かに培ってきたきみへの愛情だ。俺は所詮下流にうごめき、富豪の皆様のお目こぼしで生きることを許されている労働者だ。だから自尊心などというものは最初からオミットされている。自分からガツガツ行くというようなことは考えられない。そんな風に言い訳を積み立てている間に、見事に横取りされたわけだ。これが同じ階級の体育会系ならば諦めもしただろう。しかし相手が安穏な生涯を約束されている谷戸メイヴァであるという事実は俺に余計な不安を搔き立てさせる。わざわざきみを狙うためにこちらの世界へやってくるなんて、相当のモノ好きだろういやモノ好きで済むだろうかもしかしなくてもサイコパスでは? 最初から手に入れてもいないのに喪失感は一人前である俺に出来ることといえば、谷戸メイヴァという男が如何なる狂人であるかを暴くことぐらいだった。故に俺は計画を立てた。ヤツはきみに会うためしばしばこの界隈に訪れる。そこを捕獲し、ロストテクノロジーである意識の移植手術を受けさせ、ヤツの真意を確かめようとしたわけだ。この時点で俺に殺意はなかった本当だ俺だってできれば死にたくも殺したくもない。とはいえ、俺みたいなひ弱な醜男の力ではどうにもならない。そこで僅かばかりの資産と最大限の借金をし、必要な機械を取りそろえた。それはすなわちスクラップ工場から仕入れた移植装置、コールドスリープコクーン、全自動拉致監禁ロボ……。仕事も財産も全て失ったがそれだけの価値があるはずだった俺はきみのために真実を暴くダークヒーローになるはずだったところがどうだ俺は今谷戸メイヴァになりヤツの記憶を辿りヤツの感情を理解したそして気付いたヤツがきみを愛する気持ちは俺のモノよりも遙かに大きかった! そこには理路と情緒があり、きみを幸福にしたいという希望に充ち満ちていたんだ。俺が抱いているような自分勝手で将来性のない妄執じみた片想いとは異なり経験と知性に基づいた素晴らしい愛情だった。俺はこの優れた美男子に、一切合切の要素で敗北してしまっていたのだ。どこを探しても邪悪な思いなど見当たらない。それどころか、記憶の引き出しをこじ開けるたびにきみの美しい笑顔と真剣で甘美な目の色ばかりが飛び出す。まるで自分の実体験みたいで喜びすら覚えてしまう自分自身が屈辱的だ。元々俺に勝ち目はないそんなことは分かっていたしかしここまで差が開いているだなんて想像もしていなかった嗚呼きみがこの男と結ばれたならばおそらく未来永劫きみは幸せに生きていけるきみのことを第一に考えるならば俺は素直に引き下がり谷戸メイヴァを解放しその足で自首するべきなのだろう事実俺の中にそのような一抹の良心もまだ残っているだがそれ以上に嗚呼それ以上にこの事実を受け入れられない自分がいてソイツが俺に俺もろともこの男を殺してしまえと囁いている囁いているどころではない絶叫している俺はもう正気でいられないいや最初から正気でなかった死ぬのだ殺すのだ終わらせるのだ自分の中に滞留する欲情と上流階級への羨望と怨恨にケリをつけるのだそのために俺は用意しておいた機械を使うそれは超絶損壊バラバラ殺人マンだ本当は悪に染まった谷戸メイヴァだけに使うつもりだったが計画を変更する共に殺される心中をする粉々に破壊される今しがたコクーンの中から俺の肥え太った肉体を取り出した俺たちは二人で粉みじんになるもうぐちゃぐちゃになってしまえばきみは間違えて俺の骨を抱くだろうかそんなことは望んでいないいやちょっとは望んでしまっている超絶損壊バラバラ殺人マンが迫ってくる無数の回転ノコギリとトンカチを振り回して迫ってくるきみは一生俺を許さないだろうそれでいい出来れば忘れてほしいがそんな資格すらないだろう最期に一つだけ言いたいことがある谷戸メイヴァの意識は移植装置に保存されている削除するのを忘れていたんだ俺はどこまでも半端な男だもう間に合わない愛している愛していた谷戸メイヴァを愛してやってくれ。

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