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夜の海を漂う誰か。

深夜。ベビーベッドで寝ている子の寝息が、すぅすぅからフンガフンガに変わった音で目が覚めた。

時刻は2時。そろそろミルクを飲ませる時間。

重い体をなんとか布団から引き離し、台所でミルクをつくる。体温ほどに冷ました哺乳瓶をもってベビーベッドの赤ちゃんを覗きこむと、フンガフンガからフンギャ~~と本格的に泣きはじめた。

どうぞ。お待ちかねのミルクだよと、そっと抱きかかえ哺乳瓶をくわえさせると、0歳児は勢いよく飲みはじめた。

しばらくして、とろんとそのままま寝ることもあれば、うとうとしつつも飲みほしたあと、なぜか覚醒してしまうこともある。どうやら、今日は後者のよう。仕方がない、眠くなるまで付き合うか…。

赤ちゃんを抱っこしたまま立ち上がり、ゆらゆらしながら部屋を移動する。隅に設置してある、オレンジ色に光るスタンドライトの明かりを消すと、リビングのなかは暗闇に包まれた。

次第に目が慣れ、家具の輪郭がみえるようになったので、赤ちゃんの背中をトントンしつつ、大きく円を描くように部屋のなかを歩きまわる。

テレビの待機電力の赤いランプが。空気清浄機の緑に光るボタンが。コードレス掃除機の青いライトが。

私と赤ちゃんの道しるべのように、ピカピカと小さな光を放っている。

……ああ。この部屋は夜の海みたいだな。

私は、20代はじめの頃に住んでいた、とある海辺の町の光景を思い出していた。

* * *

その町は、化学工場と漁業が主要産業の、海辺のちいさな町だった。

私は、新卒で入ったメーカーの地方事業所に配属され、そこに移り住んだ。総合職の女性社員は私しかおらず、知り合いもいなく、けれども時間だけはたくさんあったので、初めの一年間は海ばかりみていた。

家からも職場からも、その町の私の居場所からはどこでも太平洋が見えた。

当時、今よりもっと不規則な生活を送っていた私は、よく、深夜から明け方にかけての風景が好きで眺めていた。

そこは、空と海の境界が分からないほどの深い闇につつまれている。と、そのうちに暗闇の合間をぬって1隻、また1隻と、漁船が水平線を往きはじめる。ぽつ、ぽつと、小さな灯が増えていく...。

「ああ。いま起きているのは、自分だけではないんだなあ」と、あたりまえの事実を目の当たりにして、センチメンタルな気分に浸っていたあの頃。

ひとりだったけど、孤独ではなかった。

* * *

私の腕のなかで、小さく丸くなった赤ちゃんの体温がすこし上がった。

目は完全につむり、ちいさな鼻ですぅすぅと呼吸をしていることを確認して、やっとソファに腰かける。

赤ちゃんを抱いたまま、スマホを手にとり、Twitterをぼんやりと眺めた。

深夜の3時のタイムラインはおだやかに進行している。

私と同様、赤ちゃんのお世話で起きているママに、「お疲れさま」と ”いいね” を押す。

なかなか寝付けないと、布団にくるまりつぶやく誰かに、「そんなときもあるよね」と ”いいね” を押す。

一方で、早々と起きて自分時間を謳歌しているママに、「おはようございます」と ”いいね” を押すと、部屋の片隅にあるWi-Fiの緑色のランプが、ペかぺか点滅した。

……ひとりだけど、孤独じゃない。

今日も夜の海を漂うような誰かのつぶやきと共に、私は赤ちゃんとの深夜を過ごしている。

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