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娘の卒園式

先日、長女の卒園式があった。

保護者席の前に着席した娘は、両膝をピタッっとつけ、背筋をしゃんと伸ばした。こちらを見るかな?との私の予想は外れ、娘は唇をきゅっと閉じてまっすぐ前を見続けている。

そんな娘の姿を見ながら、6年間の園生活が脳内に浮かびは消え、また浮かび、印象的だった一コマでふと止まった。娘がこの園に通いはじめた3年前の夏だった。

娘はこれまで3つの保育園に通った。0歳で認可外保育園に入り、1歳で認可転園。人見知りのはげしい娘は、そのどちらの園でも初日から数日間は大泣きで、通勤電車のなかで私は、娘の泣く声がいつまでも耳から離れない4月を過ごした。

2度目の転園は、実のところ予想外の出来事だった。1歳から通った認可園は、娘も私もとても好きな園で、このまま小学校入学までお世話になるつもりでいた。

ところが、二つ下の弟が娘と別園に通うことになり、

「わたしも弟くんと同じ保育園がいい!」

という娘の希望が叶い、「クラスに空きがでので転園できます」との通知が舞い込んだ3歳の初夏。急な転園に、涙を浮かべる私と担任の先生の横で「しんぱいごむよう!」と笑う娘に、「あの…泣いてばかりだった○○ちゃんが……」と、さらに泣けてしまったのだった。

転園初日、「今日からよろしくお願いします」という私の後ろに隠れて先生を見上げる娘に、「ほんとうに大丈夫……?」と不安になるが、先生に手をひかれて娘はクラスの中にすんなり入っていった。

娘のクラスに大きな窓があり、そこから窓辺で遊ぶ子どもたちの姿がちらりと見える(奥までは見えない)。

園の外に出ると、窓にピタリと顔をつける娘の姿があった。娘は、自転車にのる私を発見し、思いっきりこちらへ手を振った。負けじと私も大きく手を振る。その日から、窓越しのバイバイが私と娘の日課になった。娘が見送りしてくれた朝は、幸せの余韻とともに通勤電車に揺られた。

ある朝、いつもの窓を見ると娘の顔が見えなかった。「今日はバイバイできなくて寂しがるかな?」と、ゆっくり自転車を進めるけれども、一向に姿は見えない。

その翌日もその翌々日も。私を見送る娘の姿は窓辺に現れることはなかった。背伸びして奥を覗くと、お友達と遊ぶ娘の姿が微かに見えた。そのとき、娘の笑い声が聞こえた気がした。

「さよならぼくたちのほいくえーん」

子どもたちの歌声がホールに響く。この日のために家でこっそり練習していた娘も、大きな口を開けて歌っている。

娘の卒園式は号泣しちゃうだろうな、と思っていたけれど、不思議と涙は出なかった。代わりに、娘がバイバイしなくなった日に感じた気持ちとよく似た感情が心を満たしていった。それは、自立する子を目の当たりしたときの、大きな大きな「安堵」だった。


娘ちゃん、卒園おめでとう。

君の晴れ姿を見ることができて、母はとてもとてもとってもうれしいです。


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