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第9回 コロッケと幸福論

今宵、私が作って食べたのは、コロッケであった。そう、いもを丸めて揚げただけのあれである。

コロッケは、無駄を承知でビジネス的に表現すると、非常にコスパの悪い食べ物であるように思う。完成までにかかる工数をコスト、コロッケをおかずとする夕飯へのテンションの上がり具合をパフォーマンスとした場合において。

まず、作るのが本当に面倒くさい。コロッケの成り立ちには、成形するまでの段階と揚げるまでの段階という、大きく2つのフェーズが存在するが、どちらも途方もなく面倒くさいのだ。

では、成形するまでの段階から考えてみよう。材料はじゃがいも、玉ねぎ、ひき肉である。3つしかないにもかかわらず、「じゃがいも」と「玉ねぎ&ひき肉」は二手に分けて対応してあげないといけない。じゃがいもは加熱してつぶす、ひき肉と玉ねぎは炒めて好きに味つけする。そんで最後に合体させる。

想像してみてほしい。今となっては、じゃがいもなんてレンジで加熱してしまうのが主流になっているが、一昔前までは一度茹でていたということを。成形の段階で、茹でると炒めるが登場してしまっている。それでも最終的な分類は揚げ物。摩訶不思議である。

さて、続いて揚げるまでの段階であるが、成形済みのコロッケになるべくしてそこにある、いもを丸めたものを、正真正銘のコロッケとするには、衣をまとわせてあげる必要がある。その際のステップは3つ。ホップ「小麦粉をつける」、ステップ「卵液にひたす」、ジャンプ「パン粉をつける」である。

当然のことながら、小麦粉と卵とパン粉は、それぞれ別の容器に準備しなければならない。そう、成形するまでの段階を含め、このときまでに、洗い物をしながら調理するという機転を利かせられなかったとすると、シンクがカオスになってしまう。加えて、ホップ・ステップ・ジャンプを繰り返す手は、なんかもうべちょべちょである。

まあ、なんやかんやで最後は揚げればOK。だがしかし、ここに来て「毎度、毎度、私何してるんだろう」と思わずにはいられない。だってじゃがいもも、玉ねぎも、ひき肉も、すでに火が通っている。ああ、それなのに、それなのに、さらに油につけるのね。なぜって衣に色が必要だから。だってこれはコロッケ、揚げ物なんだもの、という具合である。

ここ数日、ジョージ・オーウェルの『1984年』という小説を読んでいた。私はこの小説を学生時代から何度か読んでいるのだが、知的に独立する領域を自己の中に持ち続けていられているかという点を、毎回考えさせられる。そして考え事と、簡単だけど面倒くさい料理は相性がいいように思う。それに、テンションが上がらないという低パフォーマンスなコロッケだとしても、普通に作って普通に食べて「コロッケだね」とかボケっと言える日は、間違いなく幸せといって差し支えない。明日はコロッケパンにしよー。

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