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【私、同世代の誰よりも紫川のこと好きだよ①】

いきなり何の自信なんでしょうね
何が言いたいかというと、私は大学生になって、
北九州に住んで、紫川の流域で約3年間生きて、
「川」という素晴らしい世界を知ることになったのです

蛇口を捻れば水が出てきて、
トイレに行けば水が流れて、
町を歩いていても川は変わらずそこにある
そう感じている人たちはたくさんいると思います

そして川や水に対して、どれくらいの関心を持っているか、
それは子どもの時の自然体験であったりすると思います

私の場合は、川や水に縁のあった子どもでした
自分の話になりますが、、よかったらきいてください

【川はいつも近くにいるよ】

地元は広島県広島市で、一級河川の太田川という川が家のすぐそばにあり、
いつも川はよく目にする光景でした
とはいえ、中流域のその地域では、川幅は比較的広く、
川遊びにはあまり向いていない場所でした

ですが幸運なことに、私は別の場所で太田川を体験することができました
祖父母の別荘が、太田川の源流地「冠山」の聳える吉和にあって、
幼少期は週に一回ほど通い、自然に満ちた場所で何時間も遊びました

アマゴ釣りはなかなか釣れなくて、はぶててばかりだった
弟は釣ってはすぐに針からヤマメを外し、バケツに入れた
夏の暑い空気の中、
目の前のため池で泳ぐ魚だけは涼しげだった
それを見てると気持ち悪い汗なんて忘れてしまった
私は針を取るのが苦手で祖母が全部やってくれました

夏は別荘の横に流れている小さな小川でスイカを冷やして、
いとこたちとスイカ割りをしたり、
祖父が作った散歩道に流れる湧き水に小さな橋をつくってみたり、
こうして振り返ると、あんな時にも水、こんな時にも水があったと
思い出せますが、当時はそんなこと考えたこともなく、
ただひたすらに水や小川で遊んでいたんだな、と思います

小学5年生の時の自由研究で、太田川について
小学生ながらですが、調査したことがあります
どうしてまた、川というものをテーマにしたのかは、全くもって覚えていません
でも無意識に川を身近に感じていたという証拠なのかもしれませんね
上流・中流・下流の石たちを拾い集めて、形にどんな違いがあるのか、
流域にはどんな風景の違いがあるのかなど、母や祖父に車で連れていってもらいながら巡った記憶があります

母が家の押し入れから引っ張り出してくれた当時作ったマップです

【大学生になり、北九州に住むことになった】

川に縁があったとは言えど、
大学生になったころは川の存在は当たり前になってた

そんな時に、たまたま、偶然、運命的に、(←強調したい)
私は水環境館という紫川をテーマにした自然体験施設でアルバイトをはじめることになり、わたしはクルーになりました

太陽の橋、一番外側のうねりは、市街地から南を眺めると見渡せる山々を表現しています
この橋の上から見える山々の連なりが私はとても好きです

クルーとして働き始めて半年たったころ、
水環境館のそば・紫川親水広場で「みずべのゆうぐれコンサート」という音楽会が開催されました

水辺に人々が集い、絶えず流れる水を連想させるような音楽を、
知らない人たちと一緒に楽しむ
川を環に、人がつながる
なんだかすごく人間らしい景色で
あの頃の自分は少し失礼だけど、
こんなことで感動した自分にびっくりしました
「これが水環境館の本当の仕事だよ」と、
師匠の言葉が私を変えてくれた気がします

水の星、地球
世界の4大文明は大きな流域の近くで繁栄しました
言わずもがな、人は水が無い生活など考えられないのですから
植物を育てるために水を引くのにも、モノや人を運搬するのにも、
敵から領地を守るのにも、今や当たり前のことさえ、
それは水や川から生まれた文化なのです
「川と暮らしの文化」「川と祈りや信仰の文化」、
「川と食の文化」「川と芸術の文化」… 

川から人は、平和の心と生きる力を学ぶことができます
川や自然は誰にでも平等に感動も、恩恵も、危険も与えます
そんな環境の中で、人はひとりでは生きていけない
人とのつながり方は様々だけど、
川が近くなるということは、人と近くなることでもある

そのツールがたまたま「川」であっただけだと、
師匠はおっしゃっていたけど、
人は「川」だから変わることがあると信じています
暮らしのそばにあるからこそ、
先人が大切にしてきたからこそ

紫川の起点から、一度水量調節のために水が蓄えられる「鱒淵ダム」
朝のダム霧が幻想的でした…

だから私は今、日本人から遠ざかっている「川」のすべてを、
日本人の心がもっと川に近くなるように、
今住んでいる紫川流域から、その美しい景色や歴史、文化を
たくさんの方に知ってもらいたいと、自分でZINEを作成したり、
紫川の流域散歩を企画したりしたいと考えています

今、とってもとっても将来のことで悩んでいます
私が師匠の「川に学ぶ社会で生きる力を育む」という意思を
たくさん聞いて、話して、そして何より私が「川」で変わった時間が
幸せだと感じたことは私の人生の大きな意義なので、
それを今度は私が引き継ぎたい
生涯かけて関わりたいと思うのですけど、ね

とにかく、紫川への想いは底知れないので、
紫川のことについてはシリーズ化したいな、と
(もうタイトルに数字ふってるし、笑)
よかったら楽しみにしていてほしいです





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