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人を推すのが怖かった

人を推すのが怖い。そう思っている人はいないだろうか? 私もそのひとりであるし、今もまだ怖い気持ちは抱えている。

この文章では、人を推すことに恐怖を覚えていた私が、とある俳優さんのファンクラブに入るに至った経緯を簡単に記す。私と同じような恐怖を抱えている人に、彼の素敵な考えと言葉を知ってもらえたら嬉しい。


人を推すのが怖い理由

永遠を約束できないから、人を推すのが怖い。

人や何かを好きになりたての時、気持ちが盛り上がっている時、「ずっと好きでいたいな」と思う。
「永遠に好き」「一生好き」「ずっと応援する」
そう言いたくなる。昔はつい口にしていた気もする。言っていたし、実際信じてもいたのだ、永遠に好きでいると。

しかし、年齢を重ねて、永遠などないのだと知った。狂おしいほどに好きだったけれども、気持ちが離れてしまったものがある。
私は人間で、生きている以上変化する。まったく変わらない人間などいない。わかっている。誰しも、かつて抱いた情熱を手放して今を生きている。ちゃんとわかっている。
それでも、自分の中に確かにあったはずの「好き」が消えてなくなってしまうのは悲しい。

どれだけ好きでも、どれだけ大切にしたくても、その気持ちは薄れることがある。私はそれがとても寂しく思えてしまう。人や何かを好きだな、とふんわり思う時、私の心はブレーキをかける。「失ってしまうかもしれないのに、手に入れようとするのか」と。

私は「好き」が大切だ。キラキラとした宝物だと思っている。自分の「好き」を眺めるのは楽しくて、嬉しくて、ワクワクする。

その「好き」を失うのは苦しくて悲しくて、寂しい。

だから、私は何かに夢中になることが怖い。人に対してとなると、別の理由も加わって、なおさらだった。

人は変わるし、間違える。好きな人が良くない言動をした時、私の「好き」はきっと揺らぐし、それを手放すこともあるかもしれない。
応援している人が何もしなかったとしても、「好き」という気持ちが消えていく可能性は十分ある。

ふんわりと「好きだな」と思った人の情報をチェックする習慣がいつの間にか消えていたと気づいた時、何かでふとその人を目にして「好きだと思っていたときもあったな」と思う時、どうしようもなく苦しくなる。自分にがっかりする。一瞬でも好きになったことのあるその人に、申し訳なくなる。

こんなに好きだと思っていても、こんなに応援したいと思っていても、いつかこの気持ちは消えてなくなるかもしれない。そう思うと、心臓が焼けるかのように痛かった。
「好き」がなくなるのは悲しいし、情熱を失ってしまった後、私はきっとその人の顔を真っ直ぐに見ることができない。どこか後ろめたい気持ちを抱えてしまうだろう。

だって、その人も人間なのだ。
私が見せてもらっている顔は、姿は、気軽に消費していいコンテンツなどではなく、その人の毎日なのだ。生活なのだ。人生なのだ。

私ひとりが好きでいることをやめたからとて、その人は気づかないだろうし、収益的な打撃もほとんどないだろう。それでも、申し訳ないという思いが拭えなかった。

「ずっと好きでいたい」と思っている。永遠を願っている。それでも、きっといつかはこの情熱を手放すときがくるのだろう。それがわかってしまうから、人を好きになることが怖かった。

永遠でなくとも

昨年末、ひとりの俳優さんへの感情を持ち始めた。少し前からぼんやり好ましいと思っていた方で、年の暮れから、急激に「好きだ」という気持ちが育っているのを自覚した。梅津瑞樹さんという方である。

珍しくファンクラブに入会することを検討するほど、気持ちが盛り上がるのを感じていた。しかし前述の通り、人を推すことへの恐怖が私を縛った。
ファンクラブに入ってしまうと、いつか情熱を失った時、私はきっと退会するだろう。「好き」を手放した事実が可視化されるであろうことが、恐ろしかった。

「梅津さんが好きだ」という思いと、「いつか来るであろう別れがつらい」という思い。この二つに挟まれて、苦しんでいた。

そんなある日、梅津さんの過去のInstagramの投稿を読んだ。

こうして好意を向けてくれる人達、皆に幸あらんことを願わずにはいられない。

諸行無常という揺れるダンスホールの上でかろうじて踊っている体裁を保っているだけという自覚があるので、楽しかった日の夜は、いつかきっと飽きられる日が来るのだろうなぁとぼんやり考えたりもするが、それは仕方がないことというか、至極当然のこと(何故ならば僕達は皆生きているからというところに帰結しそう)なので、むしろその日がいつ来ても後悔しない様にしっかり今を感じていたいと思う。
こうして今、僕を、僕の生み出した何かを好きだと言ってくれる人達だけでも、どうかこの先も、例え僕を忘れても幸せであれと思う。

梅津瑞樹/Instagram

梅津さんは、「永遠でなくてもいいよ」と言ってくれている。「いいよ」というか、「それは当然のことだから、好きだと言ってくれている今を大切にするよ」と言ってくれている。

永遠を約束できない私を、静かに肯定してくれているように感じた。私の「好き」が一過性のものである可能性をわかったうえで、「それでもいいよ」と、「その一瞬を嬉しく思うよ」と腕を広げてくれているような、そんな気がしたのだ。

そのうえ梅津さんは、「一度好きと言ってくれたのなら、自分を忘れたその先も幸せであってほしい」とまで言う。これほどに柔らかくあたたかく、そして寂しさを含む愛があるだろうか、と思った。同時に、「この人のことが好きだ」と強く思った。

梅津さんの言葉は、自分で自分を縛り付けていた私を、そっと解放してくれた。私が彼のファンクラブに入ることを決めた最終的なきっかけは、この言葉だったように思う。

穴に潜むことにして、そろそろ五ヶ月が経つ。(梅津さんのファンクラブの名前は「梅津の潜む穴」である)。

今日、梅津さんが好きだ。きっと明日も好きだ。でも梅津さんを好きでいる毎日を重ねていった先、私の気持ちがどうなっているかは分からない。薄れる日が来るかもしれない。

永遠に好きでいたいという思いはあるけれど、それが難しいこともわかっている。でも梅津さんはそれを柔らかくゆるしてくれているから、いつか、情熱を手放す日が来てしまったとしても、穏やかな気持ちで見送ることができる気がしている。

明日私の「好き」がどうなったとしても、梅津さんを好きでいる”今日”を、誠実に抱き締めていたいと思う。

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