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自己肯定感が高くなったら他人から好意を持たれることが怖くなくなった話

長い間メンタルを患っていたり、不安定な人間関係を築くことしかできなかったから、「安定感」とは無縁の人生だった。「ヤベー、あたし、超安心」みたいな安定が訪れたのは2年前。長年のモヤが一気にすっきりした。そんな気がした。(あとで友人から聞いた話によると、私が安定を感じ始めるようになった26歳というのはホルモンが安定する時期らしい)

不思議なことに不安定な人間関係で戸惑っていた時期は「自己肯定感なんてどこの国の国歌の歌詞かよ?」というくらい謎めいた感覚で、「不安定な私、最高」と思うことが私にとっての自己肯定感だった。

で、2年前に安定し始めた頃から「自己肯定感を高めよう」と心して、仕事探しの勉強をしたり、スキルアップに励むようになった。これまでの巨神兵のような顔貌が嘘のように人間に戻っていった。そんな期間だった。そのころの私にとっての自己肯定感は、「スキルを高めるほど高くなる。外部の魅力をつけるほど高くなる」だった。史上最速で好きになった推しに会うためにジムに通ってシェイプアップしていく自分を見つめるたびに恍惚に浸っていた。TOEICのスコアがアップするたびに「デキる自分」が見えて嬉しくなったし、ようやく見つかった転職先が就職したい業界だったから長年の夢が叶った気分で「やればできるんだな、すごいな私」と思うようになった。生まれてこのかたずっと「私なんかどうせ〜〜だから」と自分自身に勝手に鎖をしていたから、それが湘南乃風のタオル回しのスピード以上で外されていく、そんな爽快な2年間だった。

やりにやりきった。でも、どれだけ人生の挑戦問題をクリアしていっても、なかなか解決できないのが恋愛だった。どれだけシェイプアップしても、スキルを身に付けても、やりたかった仕事ができても、好きな人ができない。昔みたいに変な人に言い寄られることはなくなったけど(マジであれは地獄)、好きな人ができない。「恋愛というオプションが私の人生についてこなかったんじゃないのかしら?」と思うくらいに音沙汰ない。

そんな時、「本当の自己肯定感てさ、自分を高めていくことなんじゃなくて、今の自分でも全然オーケーやん、と思うことなんちゃう?」と思うようになった。これから先の未来で、素敵な人と出会ったりもっと良い仕事をするためにTOEICを必死に勉強したり、シェイプアップしてスタイルをよくする。これも間違ってないけど、頑固な私の場合「今がだめ」と思ってやってきた行動なんだなと気づいた。(ま、そもそもの顔貌が巨神兵だし仕方ないか……)

そんなところで、ここ2,3ヶ月ほど「今の私でええやんプロジェクト」に取り組んでいて、毎日がとても楽しい。「未来に向けた投資」の量を減らして、「本当の私ってこうだよなあ」と思うことばかりしている。たとえば絵を描いたり、ピアノを弾いたり、踊ったり。長年の推しバンドマンが載った会報を眺めて、彼の独特のセンスにツッコミを入れただけの休日を丸1日過ごした。そんなアホな休日の使い方をしたのはいつぶりだろうと思った。心は完全に中学生に戻っていた。

そんな時間を過ごしているうちに、自分のなかに時折湧いてくる怒りとか嫉妬とか悲しみとか、そういったネガティブな感情に対しても蓋をしなくなった。おおらかな気持ちで受け入れることができるようになったし、臆せず人に打ち明けるようになったから、日頃のストレスも減った。そんで、最近心が落ち込んだときに使えるなって思ったのは、自分自身の心の声をエヴァのシンジ君にしてみること。ちょっと笑えてくるし、勝手に心の中で喚いてるとミサトさんがやってくる。ミサトさんいい女。(シンエヴァ観たけどいい女でしたよね。泣)落ち込んだときの一人エヴァごっこは即座に笑いに変えられる。

「今の私でええやんプロジェクト」と「一人エヴァごっこ」を楽しんでるうちに、勝手に毎日が愉快になっていった。

そんな愉快な日々を過ごしているうちに、「この人私のこと好きなのでは?」と思う出来事に遭遇した。人の好意に鈍感な私なのだけども、出会った時から「この人なんか好意あるんとちゃう?」と思っていた人で。でも長年のダメンズ経験から「また同じ感じになるんだな」と勝手に決めつけていた。彼の言動について男女関係に詳しい知人に相談したら「もしかしたら好意があると思う」と意見をくれた。

それを聞いた私の感想。「ほぉ」だった。「えっ、それだけ?」って感じだけども。

自己肯定感が海底どころかマントルで、いつも巨神兵のような表情をしていた頃の私は、誰かから好意を持たれていることがわかると「ぎゃあああああああああああ嬉しい!!!!!!!!!!この人がこんな私を好きになってくれたなんて!!!!!!うわあああああああ!!!!!嬉しいけどどうすりゃいいんだよおおおおおおおおおお!!!!!!!!」とクールに装いつつ心の中は発作を起こしていた。でも、そんな気持ちがあるのにどうしても言動は「ダメ、こんな私を好きになってくれるあなたはダメなんだよ」とつっけんどんな態度をとったり、好かれようと必死で追いかけ回して、良からぬ関係になってしまうことばかりだった。

それが今では「ほぉ」。ただ、それだけ。異性が抱く「もえちゃん好き」は別に特別な感情でもないし、「オムライスが好き」みたいな気持ちなんだなと思う。それがだんだん、関係を深めるにつれて「オムライスが好き」の気持ちが濃度が高くなっていくんじゃないかな〜と思う。

昔の私は、相手の「オムライスが好き」というラフな気持ちに対して、「じゃあ私はこれから良い食材を仕入れなきゃならないのかあああ(=相手に見合った自分になるためにやることたくさんあって辛いぜ)」とか「こんなオムライスでも良いんか?(=こんな私でもいいの?)」とオラついていた。嗚呼、こじらせ女子よ……。

アラサーにしてようやく気づいたのは、好意を抱かれてもそれがある時突然なくならないってこと。もしその気持ちがなくなったとしても、そこまでの関係だということだし、好意を抱いてくれる人は他にもたくさんいるってこと。最後の恋(4年前)にズタズタになって経験豊富なお姉さんに話を聞いてもらった時、「その人とはそこまでのご縁だったのよ。もえちゃんを好きだと言ってくる人はたくさんいるから大丈夫だよ」と励ましてもらった。その当時は「私なんてそんな人間じゃない」と意固地になってたけど、4年越しにしてようやくお姉さんの言葉が身体に馴染んできたんだなと思う。

ここまで自己肯定感と口うるさかったけども、「自己肯定感は高いほうがいい」という現代の風潮は実はあまり好きじゃない。多分、自己肯定感は高いか低いか、なんじゃなくて、どれだけ等身大の自分を受け入れることができてるかなんだと思う。妙なこだわりや偏屈な考えを捨てることこそが、生きやすさのカギなんじゃないかなーと思ったり。

今日は久々に長いnoteを書きました。最近の私の生活の中での妙なこだわりは「寝る前にニコニコ動画で加持リョウジの詰め合わせ動画を見ながらマッサージすること」です。翌朝お肌がつやつやになります。お試しあれ!

今日も読んでくれてありがとうございます。

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