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アオハルレボリューション

ハーレムだと思ってた。

僕は高校生のとき演劇部に所属していたのだけど、同学年の部員13名のうち男性部員は僕だけだった。

それは僕にとっては「僕と12名の女子部員たち」であって、ハーレムアニメとして市場を席捲してもいいくらいにはセンセーショナルな環境といえた。

まったくもって稚拙な思考である。若気のなんとやら。

ところで演劇部というと適当に発声練習してたまにお遊戯会する、みたいな印象の人もいるだろう(ひねくれた妄想かもしれない)。

ところがどっこい、夜遅くまで練習するし朝練はあるし土日もほとんどないわで、同じ文化部で言えば吹奏楽部と張るくらいには体育会系ではなかろうか。

僕は挫けそうになりながら泣いたり怒ったり喚き散らしたりしながら、どうにかこうにか部活を続けた。

二年生になって、さらに4名の女子部員が入部した。ハーレム色が一層濃くなり、調子に乗った僕は風速50メートルくらいの先輩風を吹かせた。

それから一人の後輩とお付き合いすることに。僕にとって人生はじめての彼女というやつだ。

そんな感じで青春を謳歌する気まんまんだったけど、大会が近く部活が忙しくなる時期でもあった。

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ところで演劇部というと適当に発声練習してたまにお遊戯会する、みたいな印象の人もいるだろう(二回目)。

ところがどっこい、「全国高等学校演劇大会」という由緒ある大会もあるし、「演劇甲子園」というハッシュタグもあるほどには汗と涙と友情に溢れている。

大会が近付くと本当に忙しい。

朝7時から早朝練習がはじまり、お昼休みはミーティング、放課後はもちろん夜遅くまで練習。土日も朝から晩まで練習しているし、合宿所に泊まることだってある。

そして演劇というのは役者一人が欠けてしまえば、その役者が登場するシーンは満足に練習できない。つまり、練習には全員参加することが前提であり必須。

ところが僕は、練習日に寝坊してしまった。祝日で学校は休みだったけど、大会間近ということで練習は追い込み。

三時間遅刻した僕は、顧問の先生と部員みんなに取り囲まれた。誇張していない。本当に取り囲まれて「性根の腐ったやつ」的な言葉を浴びせられた記憶が残っている。

その翌日、彼女にフラれた。

遅刻したことが原因かと思いきや「練習中にヘソが出ていた」という、よくわからない理由だった。

当時の僕は役者として教師を演じていて、「浴衣姿で生徒を説教する」というシーンがある。その時に浴衣がはだけてヘソが出ていたらしい。

そんな理由ないだろ、と思ってさらに追及したら、「あと、なで肩だから」と追い打ちをかけられてしまった。

どうしても納得がいかなくて、彼女に電話しまくった。WebとかSNSとかまだない時代だったから、とにかく電話した。鬼電というやつ。でも取り付く島などありもせず、僕は電話を片手に両膝をついて放心した。

僕は男の子だが部屋にこもってわんわん泣いた。

そのとき父は本を片手に詰将棋をしていたし、母は友人と電話しながらお酒を飲んでいたし、姉は自室で新選組か何かの時代小説を読んでいた。家族は総じて人に干渉するタイプではなく、僕は彼女にフラれるというはじめての絶望を吐き出す相手がいなかった。

ところが後日、ある人に話を聞いてもらえた。

その当時、母はとある男性(妻子持ちの既婚者)と心をかよわせていた時期があって(プラトニックな関係だったそうで断じて不倫ではないとのこと)、僕は母に連れられてその男性と会う機会が頻繁にあった。

ナイスミドルな男性で俳優の岩城滉一さんに似ているので、ここでは滉一さんと呼ばせていただく。

僕はその日、滉一さんに連れられて場末の居酒屋に来ていた。ウーロン茶片手に山芋マグロとか鶏皮串なんかをつまみながら、僕は「女性の考えることがわからない」などと愚痴ってみた。

失恋して以来、僕はやる気が失せていた。部活も、勉強も、遊びも、何もかも。

子曰く。

「さあねぇ。女性の考えてることなんてこの歳になってもとんとわからん。ただ春を寝過ごすとあっという間に冬が訪れるよ」

とのこと。

この春とは「青春」のことで、人生の春をちゃんと味わっておきなさい、ということらしい。

その夜、兵庫から埼玉のうちに泊まりに来ていたおじいちゃんと一緒に『ローマの休日』を観た。「お前なんかにはまだわからないだろ」と言われたのでムキになって観た。

一介の新聞記者が小国の王女と甘く切ない恋をする、といった映画の内容に僕はすっかり興奮していた。

滉一さんの話も相まって謎の精神エネルギーがグツグツとたぎり、失恋という経験を栄養に変えてのし上がってやると野望に燃えた。

「学びて時にこれを習う、また悦ばしからずや」である。

……ちょっと違うか。

当時の僕は窒息しそうなほど欲に溺れていて、崇高さの欠片もないシンプルな承認欲求に満たされ、それはそれは鼻をつまむくらいには青臭かったと思う。

そして、なんだかんだで大会当日を迎える。

舞台の前にマクドナルドで昼食をとった。熱を帯びたままの僕は「やってやろうじゃねぇか」と意気込み、ハンバーガー3つとポテト2つとナゲットを注文した。レジの可愛いお姉さんに「すごい食べるね~」と言われて赤面した。

そんなこんなで油っこい若者となった僕は、意気揚々と会場入りする。その勇ましさたるや若者のアオハルここに極まれり、だ。

舞台に出た僕は勢いあまって台詞を噛むし、演技で転ぶ場面では本当に膝をすりむくし、生徒を怒るシーンではやはりヘソが出ていた。

ところが勢いだけは通じたのか舞台は好評で、僕はこの日、他校の女子生徒にねだられて人生最初で最後のサインを書いた。

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後日、そのことを滉一さんに話した。滉一さんは目尻にシワを寄せつつ笑いながら、青臭さを取り戻した僕をめいっぱい褒めてくれた。

子曰く。

「ちなみに僕は今もなお人生の春だよ」

とのこと。

恥ずかしげもなくそう話す滉一さんの顔は、ビールと焼酎により赤く火照っていた。

そうそう。

ヘソを理由に僕を振った彼女とはその後すぐに復縁して、そしてすぐにまた別れた。

やがて僕ら演劇部員は高校を卒業して、それぞれの人生の舞台を作っていった。

僕は僕でこんなだし、みんなはみんなでお好み焼き屋の女将になったり、芸能事務所でグラビアをしてみたり、自転車屋さんの店番をしていたり、まあ色々。

バカみたいにポジティブでバカみたいにネガティブでバカみたいにエモーショナルなあのころ。大人になってもそのタマシイを成仏させることなく抱えたままでいる。

青々としたまま見果てぬ夢を追い、赤ん坊のようにミルクの匂いを漂わせながら、意気揚々とマイワールドを闊歩する。

僕は今もなお人生の春なのだ。

すいもあまいもひっひっふー。

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