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「書く習慣」1ヶ月チャレンジ #5昔はどんな子どもだったのか

「書く習慣」1ヶ月チャレンジ5日目。今日のテーマは「昔はどんな子どもだったのか」。小学校の教員をしている私にとって、自分自身がどのような発達過程を歩んできたのか、改めて考えるきっかけとなりそうな、いい問いだなぁと思いました。

さっそく、書き進めていきたいと思いますが、子どもという定義は曖昧なものであるため、この記事では一旦義務教育が終了する15歳までの自分について振り返ってみようと思います。

幼少期

4兄弟の末っ子として育った自分は、いつも兄や姉に可愛がられて育ちます。(色んな意味で…)
兄弟を通した友達も増え、いつも外に出て近所の友達と遊んでいたように思います。活発でコミュニケーション能力もある程度あったはず…

家の中では当時流行っていた「マツケンサンバ」を全力で踊りながら熱唱するなど、お調子者の子どもだったように思います。

そして、幼稚園の友達の誘いで5歳ごろに始めたサッカーがこの後の人生を大きく変えることになります。(どのようにクラブチームに入ったのかは全く覚えてないのですが、本当は父や兄が野球をしていたこともあって、ずっと野球をやりたいと思っていました。)

思春期

お調子者だった私が少しずつ変わっていったと自覚しているのが、小学3・4年生あたりからです。異性に対する意識が芽生えてきたのか、少しずつ女子との関わりが下手になっていきます。
なんだかいつもツンツンしていて、喋りかけるなよオーラを出しているかのような感じ。中学校に上がったときに何人からも「小学校のとき、めっちゃ怖かった〜」と言われるほどでした。

5・6年生あたりでは、学年でほぼ一番背が高かったので、周りと比べると身体的な発達は早い方だったんだと思います。同じく、心の面も少しずつ成長していったことで、周りの友達の幼さ(と当時は捉えていた)に苦しめられることもありました。
おそらく向こうは構ってほしいと思ってやっているんだろうけど、当時の自分にとっては、面倒だと思う案件で、担任の先生から「困っていることない?」と聞かれたときに、真っ先にそのことを取り上げた記憶もあります。

捻くれ期

思春期と並行して、自分の中で「捻くれ期」なるものが到来します。
エピソードも色々とあるのですが、思い出すと自分でも相当めんどくさい子どもだったなぁと感じます。

印象に残っているものとして、小学生のとき、授業中手を挙げないクラスのみんなに対して、当時の担任の先生が「どうして手を挙げないのか」と聞いていました。
「わからないから」、「恥ずかしいから」という真っ当な理由が出される中で、堂々と「手を上げるのがめんどくさいからです」と言うような子どもでした。

この話には続きがあって、それらの解決策を一人ずつ考えていく時間だったのでしょう。クイズ番組でボタンを押すと札が上がるような仕組みをどうにか取り入れられないかと考え、厚紙を使って肘から手までの形を切り取り、擬似的に手を挙げる仕組みを導入しました。(画像はイメージです…笑)

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こんな馬鹿馬鹿しい取り組みを許容してくださった当時の担任の先生には、感謝しかありません。そして、その器の広さを見習いたいと思います。


ほかにも中学校の授業中、「寝てただろ!」と言われ、「寝てません」と答えると、「目を閉じてたから寝てるはずだ」と言われたので「だったらまばたきする時は目を一瞬閉じるので、毎回寝てるってことですか?」と訳のわからない理論で言い返し、見事「めんどくさいやつ」という称号をいただきました。

それでも、部活などを通して、しっかりと頑張っていたという自覚もあります。サッカー部に入っていながらも、借り出された陸上では4×100mリレーで県大会を優勝したり、同じく助っ人として活動していた合唱部でも県大会で金賞を受賞し、九州大会に出場するなど、いろんな活動に熱心に取り組んでいました。(サッカー部も2年生の時に県大会優勝経験があります。)

おわりに

ここまで、自分の子ども時代を振り返ってみました。

一つ言えるのは、「子どもの頃の自分がクラスにいたら、めんどくさかっただろうなぁ」ということ。笑

教員である自分にとって、定期的に振り返る視点となるのは「自分が子どもだったとして、このクラスは楽しいだろうか、成長できるだろうか」という視点です。

いつの時代もいろんな子どもがいますが、そんな自分が今、こうやって過ごしているように、目の前の子どもたちも、それぞれの未来が待っていることを肝に銘じて関わっていけたらなと思います。

今日もここまでお読みいただきありがとうございました。

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