教えてもらえない恐怖ー教えてもらえる喜び?-

(駄文注意)

みなさんは今誰かに何かを教えてもらったことがあるだろうか?

中学生・高校生であれば国語や数学,英語,理科,社会などの勉強や部活動,大学生であれば物理学や社会学などの専門科目やサークル・部活動,大学院生であれば,研究に関する専門分野,社会人であればその会社の仕事など教わるのではないだろうか.

それと同時に教わることに億劫になる方も一定数いらっしゃるのではないだろうか.例えばおもしろくない授業ばっかりする先生やいちいち口をはさむ上司など.

一方で私は今現在大学院修士2年として感じることがある.それはタイトルの通りの教わらない恐怖である.

具体例として3つ挙げたいと思う.

1つ目は,研究内容.学部4年生や修士1年生のころは,手取り足取りというほどではないが,発表の仕方や専門分野に関して色々指導教官から教わったと思う.だが,修士2年となると調べ物や作業においても自分で考えて実行することが求められ(少なくとも自分はそう思う),あまり誰かに聞くことや教わることが少なくなってきた.

2つ目は,アルバイト.アルバイトで個別指導の講師をしているが,別の塾の講師をしていた経験などもあり,講師歴は結構長い方でかつ,学年も修士2年ということで基本塾内で誰かに教わることはない.

3つ目は,サークル活動.サークルでは3年でほぼ引退みたいな形(普通の学生なら4年は就活・卒論があるから参加できない)ではあるが,自分はサークル活動が好きだったのと大学院行くのは決めていたので4年になってもサークル活動をしていた.もちろんサークル内では最高学年(一応修士の人もいるがほぼ参加していない)であるので,教えることはしても教わることはあまりない.顧問がいたので,唯一顧問からは学ぶことは少しあった.

上の3つの例で感じていたことが,果たして自分のやっていることは正しいのだろうかという疑問である.それが究極の形に行くと,本当に合っているか疑心暗鬼になり,恐怖に陥る.

なので,アルバイトにおいてたまに新入講師が授業見学をすることがあり,その際のレポートを見させてもらい,自分の授業スタイルとはどんな風に見えているのか興味津々で読んでいる.自分のことをわかっているのは自分だと言う人もいるが,自分のことを客観的に全部分かるのは神では?と思う.自分のことを把握するためにも誰かに聞く・教えてもらう機会が大事であると年々感じる.

みなさんもあまり意識したことないかもしれないが,教わることというのはとても貴重なので,その機会を大事にしてもらった方が良いと思う.

私も社会人になった際には,若手の頃はもちろんたくさん教わることもあるだろうが,中堅・ベテランになったとしても教わる精神を忘れない,教わる態度を見せるということを大事にしたい.


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