見出し画像

小3くらいまでを振り返ってみる②

前回の記事はこちら

小学校3年生は、人生の最初のターニングポイントだったかもしれない。
一つはクラス替え。
私の通っていた小学校は、2年に1回クラス替えがあった。
新しい担任のT先生は、1年生・2年生と同じクラスを受け持ち、そのまま3年生の担任に上がってきた。
つまり同じクラスの1/6は、M先生が3年連続で担任、ということになる。
2年生の時の先生は、縄跳びでも何でも褒めて乗せるタイプだったが、これが全く真逆で、叱る・追い込むことでクラス運営をしていくタイプだったのだろう。
印象的な出来事は、クラスで何か反省しないといけないことが起きた時、全員が連帯責任で家に帰らせてもらえない、ということ。放課後のクラブ活動からT先生が戻るまで、ずっと教室で反省させられるということが、時折発生した。
あとは、1・2年生の時に受け持っていた生徒と、それ以外の生徒への扱いが違っていたのも覚えている。自分のやり方を知っている生徒の方が扱いやすいということだろうか。

もう一つはファミコン。
この頃、ファミコンが大ブームになった。
持っている友達の家に放課後に集まるようになるわけだが、当然1台のファミコンに対して、何人も集まるわけで、自分がやりたいゲームは出来ないし、技が磨かれるわけでもない。
やらえてもらえないストレスと、いざやっても上手にならないストレス。
当時の自分は、やりたいから友達の家に行くのだが、結局は切ない思いをして帰ってくる、ような感じだっただろうと想像する。
自宅で買ってもらえれば問題解決なのだが、これは許してもらえなかった。
「欲しいものを買ってもらえなかった」ことは、今にも通じているトラウマの一つかもしれない。

あとはイジメ、を目の当たりにしたこと。
東北から転校してきた女の子。当然方言が出るので、これがイジメにつながっていく。多様性の尊重とは程遠い世界の話だが、こういうことは必ず発生するわけでなく、その地域や学校が持つ環境が影響していると思う。
この話は4年生以降の話でもう一度書きたい。

そして最後は親父の転勤。
1月だったと思うが、「九州に転校する」ことを聞かされた。
これを聞いたときに思ったことは、「いじめへの恐怖」。
転校生はイジメられる、ということが自分の中で常識化していたので、今度は自分がその転校生になるんだ、、という底知ぬ恐怖。

終業式も終わり、家族5人で羽田から福岡へ飛行機で向かう。
同居していた祖母も一緒に行くのかと思っていたが、一人で残るらしい。
人生で初めて乗った飛行機は、旋回する時に傾いたりして少し怖かったが、空から景色を見ることは新鮮で楽しかった。
イジメの恐怖より、ワクワク感が上回っていっていたのかもしれない。

生まれてから8年間住んでいた、千葉県松戸市を離れることになった。
この先、何回も何回も引越しを経験することになるのだが、今のところ、引越しは大変だがワクワクする。
性格的に変化志向、未来志向なのだろう。
今のしがらみを一気にリセットできて、ああしていこう、こうしていこうを創造することは今でも楽しい。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?