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小一プロブレムに物申したい!!

どうもこんばんはー
昨日の読売新聞の記事に出ていた幼児教育に関する文科省の取組にどーしても、一言物申したいがために投稿致します!

読売新聞で何が報じられていたかというと、文科省が小学校入学時点での学習態度、学力の均質化を図るため、幼稚園、保育園での新たな教育プログラムを検討している。という記事があったのです。背景には小一プロブレムと呼ばれる学校に馴染めない子供たちの存在があります。
https://www.google.co.jp/amp/s/www.yomiuri.co.jp/kyoiku/kyoiku/news/20210706-OYT1T50140/amp/

一見するとなんだか効果がありそうな気もします。が、学習態度と学力にバラつきがあることを許容しないという日本の教育のあり方がどうしても納得いかないのです。

なぜ、多様性(バラつき)を持つ子供たちを、学校側に合わせて均質化しないといけないのか。
なんで、みんなで同じことができないとダメなのか。人によって得手、不得手があって良いのではないでしょうか。

日本の学校教育は日本の高度成長期からずーっと変わらず、平均を底上げし、従順で似たような能力を持ったサラリーマンを量産することを第一義にして設計されていると私は思っています。その結果が私です。

多様性を認めず、刷り込みにより唯一の解のみを本能で追い求める私のようなサラリーマンでは、変化のスピードが加速するこれからの時代の荒波を乗り越えることはできないと思います。
(唯一無二の答えを追い求めていると、色々な仮説を立てて検証と改善を繰り返すという行動ができないのです)

障害の有無、年齢で区分し、なるべく均質な集団を形成して、平均に合わせた授業をする。一見、合理的なやり方に見えるのですが、この平均から外れた子供は学校がつまらなくてしょうがないと思います(勉強できすぎる子や、苦手な子)。

これは単に教育を提供する側が、なるべくローコストで教育を提供するにはどーするかという問題を解いた結果だと思います。平均=ボリュームゾーンをターゲットにした教育には、子供たちそれぞれの多様性や意思など入り込む隙間もありません。

ここらで、これまでの『国が教育を提供する』という前提条件を考え直してみてはどうでしょうか。提供しようとするからコストがかかるんです。セルフでやるのも手ではないでしょうか。

学年制を廃止して、年齢が上の子や、勉強が得意な子に先生をやってもらうことだってできると思うし、その方が能力が伸びると私は思います。
学校を卒業すれば、そこから先に学年はありません。早い段階で働く環境と同じような環境に対応する訓練もできます。

共に学び合い、その中でお互いの長所や個性を尊重しあう。そんな教育が実現出来れば理想的だなと思ってます。

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