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「自分こそ正しい」を味わいきった先で、自分を信じる。

今日の午前中は歯列矯正で気になることがあり歯科へ向かった。

歯磨きはちゃんとしてる。できることはやっているはず。でもなんか上手くいってる感じがしない矯正治療。

なんかアドバイスもらえたらいいなくらいで向かった。



結局、私が頑張って歯を磨くことで逆にダメだったことを知った!歯茎的にはNGなことをしていたらしい。

半年間やってしまっていた……

たしかに教えてもらった磨き方ではなかったし、「私はこうした方がいいと思うんだ!」を相談せずに無意識に貫いていた。

自己流で解決しようとする自分が現れていることに気づいた。

完全に良いことをしているつもりだった。

「餅は餅屋…」と帰りの車の中で悲しくなったし悔しくなった。


完璧にしたいという自分がそうさせたのがひとつ。

そして、「自分こそ正しい」「自分の道を惑わされたくない」みたいなのが最近本当に無意識に増殖していた。気づけばわらわらと。

他者に私の主導権は握らせないぞと。

主導権を握られると苦しむ自分を想像するからだ。

痛みから、無意識に行動が生まれていた。

この1年、「自分こそ正しい」「他者に自分の主導権は握らせない」を味わいきることを私の心は望んでいた。


「私はこうしたいんだ!!!」をこの1年貫きまくった。

そしたら自分の素晴らしさを知ることができた。

でも衝突もたくさん起きた。

辛抱強く向き合ってくれた人もいた。

自分でもなぜこんなふうに「自分、自分」となっているのか不思議に思ったけれど、成長の段階のひとつだと認識して味わい尽くそうと決めた。

「私が正しい」を伝えたいだけ伝えまくった。





そして今週、「私は正しい」の限界を迎えた。


今私には大きな悩み事がいくつかある。

餅は餅屋ということで専門家に頼ってみた。

すると、「自分の願いもあるだろうけど、合わせていくことも大切だよ」と諭してもらい、すとんと腑に落ちた。


1年前の私は、自分の願いすら曖昧で、合わせていくこと自体身体が拒絶していた。

けれど、今は自分の願いや自分の持つ力が分かってきていて、その上で限界も感じてきつつあった。


合わせることは自分を失うようで怖かったけれど、今の私は自分の意見も考えもしっかり持てるし、自分のリソースも分かっている。意見も伝えられる。

私のリソースを存分に使ってほしい。

そして他者に合わせても私はなくなったりしないのだと、不幸になったりしないのだと強く思えてきている。

私には足りないところも弱いところもあるから、他者のリソースとともに進みたい。

願いが一人では叶えられないことを知った。

人と話す時間を大切にしたい。



振り返ると、私より私のことが見えている先輩たちが、「こういう道もあるよ」「こうした方がいいよ」と諭してくれているのに、もうコントロールされたくない!それはあなたの考えでしょ!と怒っていた。

支配されて自分がなくなりそうで怖かった。

今は、「私はこう思うんです。こうしたいんです。」を心の中で自分が認識しておくことと、いつでも言葉にできるよう準備をしておくことが大事だと思うようになった。

自分が思っていることを伝えることは怖いことでもなんでもない。

自分とまったく異なる考えを聞いても、合わせたり攻撃しなくてもいい。

他者がいることでむしろ向かいたい先の幅が広がり、手助けとなる。

自分も他者も同じくらい信じていたい。


不幸になることや騙されることは怖い。
けれど、そればかりではないはず。


勇気を持って循環を生みたい。

与える、もらう、大切にする。

とどこおるから濁るのだ。

偏るからバランスを崩すのだ。

大きな循環を生む。

私にはできる。

なぜなら周りにたくさんの人がいるから。

自分の限界を知り、自分の力を信じている。

もっとぶわっと大きくなれることをきっと私は知っている。


この1年、親身になって関わってくれた人の言葉や姿が思い浮かぶ。

好き勝手させてくれてありがとう!

おかげで自分を取り戻せたし、見つけられたものもたくさんあった。ワクワクをたくさん味わった。

これからも好き勝手するのだろうけど、少し方向性ややり方を変えていく。変わっていく。

もっと大きな循環の中でエネルギーを大きくして、与えて、もらって、大切にして、バランスを取りながら生きていきたい。

「中庸」と「思いやり」。

自分の本音も、他者の思いも大切に。

先を歩む人を尊敬する心を持ち、感謝の気持ちで明るく過ごしていきたい。

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