趣味を共有したくない私
私の趣味
コーチング、思いを文字に起こすこと、散歩、写真を撮ること、家族と過ごすこと、
音楽だと、
Aqua Timez、Mrs. GREEN APPLEの楽曲を聴くことが好きです。
ライブに行くことも好き。
同じ趣味を持つ人とは趣味を一緒に楽しみますが、私の好きなことについて知らない人には基本的に勧めることはありません。
また、子どもの頃から1人遊びが好きで、好きなおもちゃで人のいないところで遊ぶのが好きでした。(幼少期の『成長の記録』にも、“1人遊びが好きみたいだ”と書かれていました)
1人の世界で、現実であったら面白いなと思うストーリーを作って遊ぶのが特に好きだった記憶があります。
ライブも私が楽しめればいいので、高校生の頃から1人でライブ会場に赴き、SNSで繋がった友人と現地で会うのが定番でした。
人の趣味に対して
人の趣味に対しては、「それが好きなんですね」と、好きなことをただ好きなんだなと捉える。深く興味を持つこともなく、否定もしません。子どもの頃からそうでした。
なので、趣味で繋がっていないけれど、なんだか波長が合うなという人と長くともにいることが多いです。
交友関係を見ると、趣味で繋がっている人の方が少ないかもしれません。
趣味を話してみた過去
しかし、趣味を共有してみた過去はありました。
中学生の頃にAqua Timezが好きになり、それ以来、「私、Aqua Timezが好きなんだよね」と言うようになりました。
その後、相手がAqua Timezを知っている前提で話すのと、知らない前提で話すのに大きな差があることに気が付きます。
知っていると思っていたのに知らなかった時、私はどう話したらいいか分からなくなってしまいました。
私の中で好きは溢れているのに、どこからどう説明したら伝わるのか分かりません。
そこで私は、「〇〇って曲知ってる?〇〇って映画の主題歌の!」と、一番好きで一番有名であろう楽曲名を挙げました。
「うーん、知らないなぁ…」
「そっかぁ…(こんなに有名なのに知らないなんて…!)」
私の中で、Aqua Timezは大体の人が知っているはずという決めつけのようなものがありました。
また、私がAqua Timezが大好きだからこそ感じている良さと、Aqua Timezを何となく知っている人が感じている良さの違いにも気づいていきます。
「私、Aqua Timezが好きなんだよね」と私が話し始めると、
「あ〜昔BLEACHの主題歌とか歌ってたよね!なんだっけ?千の夜をこえて?だっけ?」と返してくれました。
「そうそう!」と、私は嬉しくなります。
「今あんまり見ないけど何してるんだろうね?」と聞かれました。
「今もツアー毎年やってて曲も出してるよ」と答える私。
「へぇ〜知らなかった(驚)!そうなんだ〜」
この返答に、少し憤りを感じたのを覚えています。昔のアーティストじゃなくて今も素敵なんだよ!と。
なんだか遅れている場所にいるような感覚と、素晴らしさを分かってもらえなかったことに虚しさを感じました。今もAqua Timezが好きな私は恥ずかしいのかなとも思うようになりました。
何度かこのような会話になることが続き、“私が好きであればそれでいい”と思うようになりました。
趣味を共有したくない理由
自分の好きが誰かに脅かされることへの不安。
虚しさや恥ずかしさを感じるかもしれない。
好きなことを知ってもらうメリットが分からない。
次第に、
自分が好きであればそれでいい。
という思いが固まっていきました。
趣味を上手く共有できる人
その後社会人になり、ビリヤードをやっている友人と初めてビリヤード場に行くことになりました。
私は楽しめるように動画で予習はしてきたものの、楽しめるだろうか?上手くできるだろうか?と不安な気持ちで向かいました。
友人は、私の様子を見ながら、どのような教え方がいいのか模索しつつ、ゆっくり教えてくれました。その時間がとても心地よかったのを今でも覚えています。
嫌な顔一つせず、私が気持ちよくビリヤードができるよう細かな気配りもしながら、ときに休憩を挟みながらゆっくり教えてくれました。
私はとてもビリヤードが好きになりました。
その友人とビリヤードをする日は、ビリヤードができる喜びと、また上達できるのではないかという期待でワクワクしていました。
後日その友人に、何が好きなのか聞かれました。私は久々にAqua Timezが好きだということを伝えてみようと思いました。
しかし内心、どうせ良さは分かってはもらえないのだから、さらっと伝えるだけにしておこうと思っていました。
友人はどの曲が好きなのか聞いてくれたので、私は楽曲との思い出に浸りながら好きな曲について話しました。
すると後日、友人はAqua Timezの気に入った楽曲を教えてくれました。しかし友人の好きな楽曲が私のお気に入りの曲ではなかったため、思いを共有できなかったように感じ、「そうなんだね」とだけ答えました。
それからまた後日、「もっと分かるように教えてほしい」と言われました。
私は好きだという思いが溢れるのか、私だけ熱くなり、思い出に浸り、相手を置いてけぼりにしていることに初めて気づきました。
友人のように、ゆっくり、時間をかけて丁寧に、おもてなしするつもりで共有できたらよかったなと反省しました。
CDを一緒に聴いたりしても良かったかもしれません。
趣味を知ってもらう・共有するメリットは何か
ビリヤードを通じて感じたことは、“楽しいの世界が広がった!”ことでした。
私はビリヤード自体にすごくワクワクしましたし、ビリヤード場の友人の知り合いともお話しし、新しい世界に対し“おもしろいな〜!楽しいな〜!”と感じていました。
そして、友人がどのような人なのかも、言葉や行動、友人関係から知ることができました。
趣味を知ってもらう・共有するメリットは、その人のキャラクターや良さを深く知ることができること。そして、楽しさを分かち合う時間そのものだと感じました。
私が望んでいることは?《ありたい姿》
しかしながら、私が1人で楽しむことが好きなことには今のところ変わりはありません。
好きな気持ちが伝わらない虚しさも恐れとして存在しています。
ですが、私を知って欲しいと心から思える人や、私を深く知りたいと思ってくれる人に対して、心を開いていきたいとも少しずつ思えてきています。
この記事は今晩、私が解決したい悩みをとにかく文字に起こしておこうと書き始めたものでした。
気づき、ありたい私、トライしてみたいこと…続々と見つかりました。
今、この記事を書きながら、少しワクワクしている私がいます。
書きながら悩みを解決していくのもいいですね。
答えは案外見つかっているのかもしれないと思う今日でした。
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