母娘関係

最近毒親という言葉や母との関係に関する書籍や発信が多く見受けられるようになった気がする。

それは自分が「母」の立場になって「毒」になることを恐れているから目についているだけかもしれない。

そして私は他人の母との関係について書かれた分を読むのが好きである。好きと言うと語弊があるかもしれない、興味がある。

理想の母親像を体現していると思われた他人の母が、当の子供から見ると違う見え方になっていることが往々にしてあると気付いたからでもある。

優しくて
家庭的で
一緒に遊んでくれる
一緒に宿題をみてくれる

そんな理想のお母さん

その点私の母は分かりやすかった。

厳しい母

そのままだった。
それは他人からみてもそうで、つまり見た目もきつそうなのだ。「プラダを着た悪魔」に出てくるメリル・ストリープの日本版みたいな母である。
友人に何度似てると言われたかわからない。

ちなみに、母は料理において完璧な人だった。
でも私は興味がなかった、それより遊んでほしかった。

手先もそれなりに器用で色々手作りしてくた。
嬉しかったけど私の趣味が反映されることは少なかったので、そこに喜びを感じたことはあまりなかった。

娘のために

という気持ちが求めていないことで、母もなんだか不器用だなと今になって思う

特に小学生の頃は友人の母達が羨ましかった。

それぞれに思うことがあったとは知らずに。

厳しい母ではあったけど、幼少期を過ぎた後、実はその関係に苦悩していたわけではなかったと今になって思う。

厳しさに反発し続けていただけで、関係は悪くなかったし、怖い怖いと思いながら反抗していたので抗えないもどかしさもなかった。

一人暮らしが許されなかった20代前半。
家から出てみたいという理由で(それだけではないけど)さっさと結婚した位である。
子供だけで出かけることも当分許されなかった。

そんな過保護さはありつつ、勉強に関しては放任だった。
一緒に勉強をみてくれる他の母達の優しさを羨ましいと思うものの、見てくれていたらきっとウザくなっていた自分も想像できる。

つくづく干渉と放任の間、「ちょうどいい」をとることがどれだけ難しいのかと思う。

幼き日の自分がして欲しかった一緒にをなるべく体現しようとしているが、今の娘達にとってはまだ足りないようである。
保育園に行ってるのもあるだろうが…

その分料理が手抜きになっているし
裁縫なんてしてない
髪の毛だってただのポニーテール
あそぼー!って言われて待って!ということだって多い
怒鳴ってしまうこともある
朝起きるのだって遅いことも多い

もしかしたら将来
「何も母らしいことしてくれなかった。一緒にはいようとしてくれていたけど」
という感想になっている可能性は多いにある。
一緒にいようとしたなんて気付いてくれないかもしれないな。

それでも
今は大好きと言ってくれている娘たちに
たくさんの愛を伝えて
なるべく一緒の時間を過ごそうと思う。


娘の心の栄養になるために。
「私のママがママで良かった」
と思ってほしい、それだけ。

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