見出し画像

好き

なんで好きなんだろう。

そう思うことがよくある。
恋の話ではない。

私は廃墟が好きだ。
山が好きだ。
給水塔が好きだ。
夜が好きだ。

かなり偏った「好き」ではあるが
これらの「好き」の理由を考える時
いつもいつも言葉にできない。

始めて会う人にはやっぱり聞いてしまうし、聞かれてしまう。
「好きなことってなんですか?」
私はいつも正直に偏った自分の好きを伝える。
「廃墟とか山が好きだね~」
「へぇ~、なんで好きなんですか?」と、聞き返される。
好きに理由なんているのかね。
本当にこのやりとりやめたいな…といつも思うのだけど
ここで説明できないとすんごく浅い「好き」だと思われている気がする。

ただただ好きなだけなのだ。
給水塔の写真集も持ってるし、廃墟の写真集だって愛読してる。
山を眺めてはうっとりしているのだ。

いつだって、もやもやっとこの会話は終わる。


今年の年始は年始を感じる暇もなく慌ただしかった。
気持ちの余裕がなかった、といった方が正しいのかもしれない。
慣れない環境、慣れない仕事。
凡人の私には当然てきぱきこなせる仕事ではなく
毎日いろんなことを指摘されながら
ばたばたと過ごしていた。
脳内では常に「オラはにんきもの」が流れている状態といえば
分かりやすいだろうか。

しかも私は今、この年齢にして
車の免許を取ろうとしている。
仕事が休みの日は教習所に通い
てやんでぃ口調の先生に指摘をくらい
いつもなんとなくしょんぼりした気持ちで休日を過ごす。

どうだろうか。
自分で選択したこととはいえ、忙しすぎないか。
自問自答の日々を過ごしていた。

今日もいつものように教習所に向かうバスに揺られていた。
車窓からなんとなく山を見ていて、感じた音があった。


葉っぱが風に吹かれてさわさわと鳴る音。
ざくざくざく、と山道を歩く音。

あー、私の好きな理由はこれかもしれないと、思ったのだ。

そこにあるべき音しか存在しない。
人知れず鳴っている音。
音は鳴っているけれど
それは静かで、ひっそりと鳴っている。

最近はうるさい、と感じることが多かった。
私はもともと静かであることを好む傾向ではある。
コミュニケーションも得意ではないので
出来る限り人ととの会話は簡潔に終わらせたい派。
脳内は自分の独り言でパンク寸前だし
音には結構敏感に反応してしまう。

いつも何かを考えて頑張って気を使って
泣いて笑って怒って本当に目まぐるしい。

廃墟が人知れず朽ちていく音や
役目を終えた給水塔が佇む道の静けさ。

その音や風景を想像することは
どの感情にも振り回されない「無」の時間なのだ。

軍艦島の壁に作者不明の詩が書いてあって
その詩の中の
「この町には耳をふさぎたくなるほどの静けさがある」
という言葉がずっと心に残っている。
良い意味なのか、もしかしたら悲しい詩なのかもしれないけど
この言葉を思い出すとき
私は「無」の時間を過ごす。

私にはこの時間が必要で
これこそが私の偏った「好き」の理由なのかもしれない。


今度からはこう答えよう、と思う。
「静かだから」


でも、待てよ。
「なんで、静かなのが好きなんですか?」
と、切り返されたらどうしよう。


「好き」って迷宮である。


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?