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言葉と想いと

ここの所、XのTLにはユンギさんの兵役に関してのたくさんの呟きが溢れ、皆の想いがたくさん。
ある方の言葉にとても荒れ、私もさすがにそこは
あんまりだと思い絶句してしまったが…

兵役に就くこと、軍隊に入隊するという事は、どれ程の事か。戦いに備える要員として、訓練する場。
もしかして、学校の部活動みたいな感覚で苦労や理不尽を乗り越えたら強くなる、みたいなスポーツ根性論、しかもかなり古い今どきならコンプラになるものと同義のように並べているのではないか、と思ってしまった。
それは世代によりまた感覚も違うだろうが、苦労したらその分だけ味のある男に、味のある曲をまた生み出すラッパーに…なんて、こちらファン側が考えるのは、ましてや生死に関わるほど精神に支障をきたし、並々ならぬ苦労をし、やっと乗り越えたユンギさんに、そんな事をまた言えるのは、あまりに酷い。

ファンがわざわざそこまで、は本当に大きなお世話だしましてや公共の場で宣言みたいに公言するのは…もしもこれを本人が知ったら、とは考えないのだろうか。そしてラッパーの女とか、〇〇の女、というのも、なんだかそれをバッジを胸に着けるかのようにドヤりながら言うのも、イケイケな自分、みたいで今ひとつ私はしっくりこない。私は、だけど。
この熱くて熾烈とも言えるソロ活動で、色々な感情が交差し、確かに勢いもあり、その勢いに更に勢い付いて満喫した故の、イキがっているというか、ラッパーの女、という一種の恍惚感から生み出されたような感覚にも感じられるが、なんだかそれも、私にはちょっとユンギさんに対する感覚とは違うのと、捉え方は好き好きとはいえ、やっぱり言って良い事と悪い事は、あると思う。
そして謝罪して削除されたが、その謝罪はそれを目にしたXユーザーに向けて不快にさせた、との謝罪だったけど、本当に謝るべきは肝心のユンギさん本人やそのご家族へで。不快に対しても必要だが。

自分の事と比べるのは烏滸がましいけれど
今年になって自分が心が壊れそうになって、こんな風に治療というか安静にしながらの日々には、色々な背景があるし、様々な理不尽や言葉の暴力、人間関係の悩みと、自己との葛藤に耐えられなくてこんなふうに病んだわけで。
それはもしかしたらこの先の私の未来では、最終的にはそれらが良い具合にスパイスのようになって活かされ、私という人間を成長させたり、多少は魅力の一つにでもなってくれるかも知れないけれど。

でも。今まだなお息苦しかったり動悸がしたりで
なかなか元気、とまで行かない日々を送りながら痛感するのは、彼はこんな私のようなしんどさよりも
もっとずっとずっと辛く、一時期は自傷や自ら消えたい程の、たくさんの深くて痛くて辛い傷を負いながら、それを今なんとか克服してきて。
でもだからといって、完全にもう元気元気、大丈夫です、ということでは無いのだから。

心というのは一度壊れたり崩れると、なかなか元に戻せない。いくらあんなふうに立派に大成したとしても、芯にある傷は全て消えた、なんて誰にも言えないし分からない。何年か前に、まだ時々鬱が顔を出す時もある、と言っていたし。

昨年は入院するほどに自身を追い込み、静養しなきゃなのに入院中にそこで書き上げたSnooze、本当に命を削って燃やしながら、音楽を生きている人。
お母様はそこまでする姿に泣いた、と。それは当然で。その話を聞いて私もまた泣いた。Snoozeはその歌詞に大きな慰めと癒しをもらうから毎日のルーティンなほど聴いているが、あの曲がそうやって生み出された事は深く心に刻まれて、ユンギさんをすぐ傍に、いつも自分の後ろに感じながら聴いている。
そうやって支えてもらい聴いている自分が、感覚としてだけで良いから、その一ファンの救われている想いが、ユンギさんのほんの一部をで良いから支えられていたら良いのに。
それだけで幸せだな、と思う。

D-Dayコンサートで流れたあの幾人もの自分を表したコンテンツも、凄くカッコ良くて凝って素晴らしく創られていたけれど、あんなに痩せて細くて、私は細くてスラリとしたユンギさんがどちらかというと好みだけど、そして撮影に向け体型コントロールしていたのだとしても、あれは体調を崩し入院した時期とおそらく同時期なのではないかと、あの姿には観ていて胸が潰れる思いだった。

ライブの時は最初の頃の風邪は心配したけど
ソウルコン、ファイナルと回復していき、
最後は少しぷくぷくした可愛いユンギさんで安心したし、喉はだいぶ辛そうだったけど、まさに完遂した!というあの姿には心底心が震えた。

これからの日々は毎日大変で忙しく、初めての事や沢山の事に追われて行くだろうからこそ、ユンギさんの心が毎日、1分、1秒でもこの瞬間にも、どうかなるべく穏やかに、幸せに囲まれていて欲しいと祈る。

そして戦争というものに関して。
私自身は、昨年ウクライナの避難民の子供達を数ヶ月職場で預かった事があり、簡単に話題にはしたくないし出来ないが、
そしてバンタンやユンギさんを好きな事と絡めるのは兵役の事がなければ違うのだが、
戦争は遠い国の事柄なんかではない。
私の仕事の性質上、災害地や貧困国、開発途上国への支援に関わるが、戦地へ、には今回が直接だったので多くを感じながら深く考え、自身として捉える機会となった。

ウクライナの子供達は柔道の少年団で、ウクライナは日本と柔道だけでなく日本語教育等でも様々な国際交流を行って来た。
彼らの親御さんは救命士、医師、看護師などのエッセンシャルワーカーだ。戦禍の中家族で居る事も、子供の世話も難しく安全も保証されない中、
短期間とはいえ子供達だけ日本に避難し、柔道交流もしながら過ごした。親御さんも見知らぬ土地へ行かせ、大切な子供と一旦は離れ離れになる事、その間に自分達の命の補償さえ無い中、断腸の思いで送り出した事だろう。

一番下は10歳の子から15、6歳迄の男の子、女の子達、全部で15名程。同行のコーチも22歳位の女子で、皆初めの頃は当然だが不安定で、おそらく自身の国との落差に戸惑っていたのではと思う。それでも小さい子達の朗らかさ、人懐っこさには皆救われていたと思う。
小さな彼らは特にまだまだ親に甘えたい歳頃だったから、私達の元に来てはあれこれと楽しくジェスチャーで話したりしていた。そして上の子達が下の子達の世話を自然にしていて。
その上の子達も、もしかしたらある程度の年齢になれば兵に取られて行くのかも知れない、と今も終わらぬ長い戦いに日々心痛い。

彼らの故郷は多くの船が寄港する港がある地域で、ここ半年程は立て続けに爆撃に遭い街は酷い惨状だ。帰国した当初はまだそこまで侵攻が及んでいなかったが、皆の無表情な、家族とは会いたいがまた戦地に戻らねばならない、あの沈痛さ、小さな子達が真っ赤な顔で、必死に泣くのを堪える故に高くなった体温、じっと拳を握り座りながら迎えのバスを待っていた姿が、ずっと胸に焼き付いている。
思わず抱きしめた。今にも泣きそうに燃えるように熱い、小さな体で耐えている。愛しい。言葉が通じずとも、ちゃんと食べて、良く寝てね、と身振りで伝え、泣かないようにか目を見てもらえないまま、何度も頷いたあの横顔。バスの窓からやっと、こちらを見て手を振って。胸の前で手を交差して「いつも祈ってるよ」と心で伝えた。送り出した時のあの引き裂かれるような辛さは忘れられない。

あれから毎日、どうか、どうにか生きていて欲しいとただ祈るしかできない。いつかまた柔道をしに来日して、大きくなったね、って言いたいよ。
早く、とにかく一刻も早く戦争を終わらせなければ。

そしてユンギさん達の兵役期間に。
ニュースで米国との合同演習があった、と聞いても
これまでは韓国は軍事国家だから、とあまり感想も持たなかった。でもいざ、家族や友人のような近さではなくとも、ここまで彼らの兵役に心がざわつき
その無事を祈る日々になってから、そういうニュースにも彼らの顔が浮かんでしまうようになって。
特に先に行ったジンくんとホビさんの事を思う。
そしてユンギさんが。

世界がとても不安定になって、戦争が誘発される事のないように、彼らが絶対に、前線に出る事のないように、と胸がキリキリとする。
ユンギさんのお母様の悲しみと心配な気持ちを思う。うちは娘だけだが私もまた母なので、
もし息子が、だったらと締め付けられる。
たとえ韓国男子が生まれながらにそれが義務だったとしても。

肩の事で社会服務の任務に就いたとしても、どちらでも、大変である事には変わりない。
それはそれでプライバシーが、パーソナルスペースがちゃんと守られるか、寧ろそれがとても心配でもある。
常軌を逸したファンに迷惑をかけられる事のないように、しっかり護られて欲しい。

どうかとにかく無事に、心も体も健康にその期間を終え、愛する音楽を、音楽だけをまた生きる毎日に戻れるように。それだけを祈って、心は共に、
自分は自分の精一杯を生きていたい、なんて思う。

戦争は遠い国の事柄ではない。人と人の争いが、全ての起点だ。争いも小さなものから大きなものまであり、戦争に至るまでには、領土とかお金とか国益とか権威とかもっともっと大きな要因が動くにせよ、結局憎しみを生むという所は同じだ。

そして公の場で、世界に発信され瞬くスピードで拡散されてゆくSNSという場で、想いを発信するには
相当な冷静さを持ち、また思慮深くならなければならない。

件の投稿の方の事は、言葉の力をもっと考えるべききっかけとなったし、ただ思う事をバッ、と言ったり書いたりする前に受け取る相手や聞いたり見たりした相手の思いに一度立ってみてから発信しなければ、と自分への戒めにもなった。
『言葉は届ける』もので、『贈る』ものでもあると思うから。

日本語は特に、一字が変わるだけでニュアンスがガラリと変わる繊細な言語だけに細心の注意も必要で。
その発言に怒り、傷ついたとしても、そこにまた返す言葉もまた、威力を持ち、ちょっとした感想だとか不満とか、文句も、引用したりいいねする事で
更に拡がる。そしてたとえ削除したとしても多くの所に保存されたり、実際には本当に消す事は不可能だという。とても怖いのだから。

手軽に気持ちや思いの発信や、感想を日々書き込み、そのコミュニティにずっととどまると、
皆で一緒に居るような楽しさや安心感も感じるが、実際には私達が存在しているのはそこだけではなく、全世界に存在している。このネットの上に。
この無数の電波飛び交う膨大な世界に拡散し、自分の放つ言葉は記憶として残っていく。

ファンダムの中の、誰々のファンの自分、として居場所があると思っているようで、
実は本当は自分の立ち位置を見失っている。そんな気がする。
私達ファンダムの中では常識な事も、世間からしたら違う事も相当あるだろうし、でもそんなしょっぱい(しょっぱい?辛気臭い?)事ばかり言うのもつまらないかもだが…
でも。それでも。
一般の感覚を忘れる事なく、一言一言発信をする時にもう少し意識して行こう、なんて考えている。

私のように、想いのたけを詩のように発する者もまた、嫌だと捉える人からしたら嫌だと思うが、
皆が良く話しているように、本人の目に万一触れても見せられるような言葉を選びたい。

とても長い話になってしまって、ここまで読んでくださった方、ありがとうございます。

私の一意見として、そんな考えもあるかもね、と捉えて頂けたら。

ユンギさん、バンタンの皆、とにかく貴方達の幸せが一番の願いです。
そしてまた、その彼らを大好きな私達ファンダムの皆も又、同じ。
誰も傷ついたり、悲しまないで欲しい。

幸せになる為に、推すのだから。

2023.9.16


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