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ふきだまり穴の空き方空かせ方

「いま持っている服を50%手放してもいい」と心の底から思えたときにハッとしました。


それは、これまでこの家に移り住んでから、物を半分以下にしないと身動きが取れないことを頭ではわかっているのに、さまざまな人から同じアドバイスをもらっているのに、「ちっとも分かっていなかったじゃないかっ」という気づきです。腹の底からわかるというのは、頭でわかるのとは違う。

もともと服が捨てられないのです。

いや、捨てられないというよりも手放せないのです。


布フェチですからね、まず「布」を気に入って「服」として購入しているんじゃないかと思うくらいで「服」として着られなくても「布」として価値があると手放せないのです。

時間がゆったりあれば裁縫をするのも好きで、趣味の範囲でワンピースやバッグを作れます。自分用なら浴衣も縫えます。要は、ダメになった服は「材料」だと思ってしまう。資源です。いつか何かにできると思う。だから、捨てる捨てないの話になると、最後まで使えるものとしてストックしようとする習性が発動してしまう。枝を見えれば、巣に溜め込むビーバーみたいに。

だけれど、先日。
ハッとしたわけです。

そのきっかけは、ポストで半額セールの葉書を手にしたこと。服のセールではなく、いくつかあるクリーニング店の一つから、届きました。

有効条件は、

期限:月末まで
仕様:1回だけ

その1回だけ。
で、眠っている服が格安で蘇るかもしれないという期待が、むくむく沸きました。

店に持っていけるだけ持って行っても、全て半額にしてくれるというワンチャンス。なんとタイムリーなお誘いでしょう。ちょうど姉に「素敵なスカートあるけど、いる?」と声をかけたところでした。

そう姉は、引っ越しの手伝いをした時から、

あそこに素敵なスカートが使われずにある
埃をかぶっている

というのを見つけていました。
自称「もらい運」が強いそうです(なんだ、もらい運って!)。そのパターンを知っている妹は妹で、その運気に抗うように巻き込まれないように気をつけます。そんな姉妹の攻防も、もっと大きな運命には抗えず、私はクリーニング店からの半額セールハガキをきっかけに、まんまと「素敵なスカート」をまだ欲しいかどうか姉に打診をしてしまうのです。洗脳されている上に、店の販売戦略に背中を押され、運命論的に片付けは前へ前へと進んでいくのでした。

だけれど、

やっぱり素敵だと思ってもらえるにはクリーニングに出さないとなぁ。
万が一、素敵すぎたらメルカリデビューさせてみようかなぁ。
いや、お腹もサイズダウンしてきてるし自分で着る?

と、ここらあたりで「布を手放せない負のスパイラル」に絡みとられて、家から布が一歩も外へ出ていかない方へ舵が切られているではないか。


それでも、半額セールが月末までというタイムリミットがあったので、油を売っている場合ではないと、クリーニングへ出すものの選別を進めました。お尻が叩かれてちょうどいい感じでした。思考停止にならないで循環しながら前へ。

そこから、スカートを履いたり脱いだり。

ファスナーが壊れたり。。。。

あっ



さて、終わらない片付けの主成分に「服」があります。

服は、片付けの本を見ると、最初に手をつけるアイテム。しかし、スペースがないと一気に処理することはできません。全部を広げられないから。私の場合は「布フェチ」という特殊事情もあいまって、服の片付けがさらに難航します。

ところが、部屋に少しスペースを確保できつつある頃から、家の中で服がソワソワ動き始めたのです。いや、右のものが左へ行ったり、吊るされていたものがベッドに寝かされたり。住所は決まらないまま、動き始めたのです。

片付けをしていて思うのは、物が片付く時は先に「流れ」が生まれているということ。一種の「物流」でしょうか。先にパス(経路)があるから物が流れに乗ったりするし、結果、利益が生まれたとかそういう感じです。

逆に、「物」が鉄壁のスクラムを組んで流れを拒絶しているエリアなんて、そこをなんとかすればスムーズに事が運ぶのにと思っても、まず手がつけられません。事情が事情をよんで、ゴリゴリにネゴネゴしていて。

最近、どうしてその鉄壁スクラムが形成されるのか、なんとなくわかってきたので、同時にその堅牢さを溶かす方法もわかってきました。溶かすポイントは、やはり「じわじわ」です。鉄壁のスクラムは一朝一夕にできるわけではないので、逆手にとれば、それを崩すコツも時間をかければスムーズということ焦っても仕方ない。そうすると、ホコロビのような亀裂が出てくる。その合図が、家の中で「服」がソワソワ動き始める感じです。

今だなと思って。
それで、履いたり脱いだり。

ファスナーが壊れたり。。。

あっ

の、後に。

こんなにも着ていない服が、家の中に10年単位で置きっぱなしであるのは、不自然すぎたと、気づくわけですね。

裁縫をしたくてしたくてという時期に、仕事が忙しすぎて我慢したり。着物をきたくて着たくてという時期に、黒のスーツと白のブラウスしか許されなかったり。

そうやって我慢することで麻痺してしまった感覚を、癒していくと、時間があっても裁縫はしないし、何を着てもいいのに同じものしか着ていないのです。自粛生活なんて、お色直しみたいに、一日に3回着替えてもよかったじゃないかと、今なら思います。

それで本当にしたいことは、もうできるんだという気分になってきました。

自分にとって悪影響のある環境(自分にとってふさわしくない環境)に長らくいると何が良くないかというと、変な、生産的とは言えないような、そこを耐え忍ぶためだけの「癖」が染み付いてしまうからです。後遺症や副作用があるし、一生付きあう系の「傷」が残ります。


少し話は変わるのですが。
私は、この片付けが終結を迎える前に、照明を買いました。

普通は、新居に引っ越す時とか、模様替えをした後とか。そこにふさわしい灯りを、後から用意するイメージがあったのですが、引っ越しもまだしないし、片付けもまだまだだけど、照明を先に買ってしまいました。

もともとは、靴が下駄箱からはみ出ている問題を解決するために、画像ではサイズ感がつかめなくて、プラスチックケースを店舗へ見に行ったのです。

店内をクルクルっと5分かそこら歩いていたら、セール品の照明を見つけました。こんなに安いの?という値段で、好きなタイプの照明がふた揃え。一揃えではなく、ふた揃え分です。割安感が2倍です。「あの死んでいる部屋が片付いたら、照明のことは考えなくちゃな」というのはあったけれど、先に照明ありきで物事が進むのか?という流れですよ。

去年、家にずっと居ることで気がついたのですが、天井からの眩しい灯りに圧迫感があって、ちょっと苦手になっていました。それにずっと気づかなかったことが怖いくらい影響を受けていました。

だから、年明けくらいにシェードランプを、試しにいくつか買って、少し片付いてスペースができた時から天井に直につけて吊るしたりしてました。後々、ライティングレールを買ったら、3灯とか4灯で吊るしダウンライトにしたくて。もしも思ったような心地よさがなくて、失敗だと感じたら、片付かない部屋につけてもいいかと思って。でも、これを買えば部屋全体の新しい灯り(灯りのインテリア)が完成する!というのが、急に目の前にまとめて現れたので、即決購入したのです。

まだ形のない、理想のアイテムが揃う時というのは、何も、自分が思った通りの順番じゃなくていいようです。そこは柔軟でよくて。直感の勢いに急かされるときは、考えを無視して。

「流れ」を意識すると線になって順番が出てきちゃうようなら「ホコロビ」を作るイメージの方がいいかもしれません。今回は脈略なしのランダムで、ボスっボスっと風穴が開くのに似てました。

後で、一瞬ですべてがつながり一つの風景になるのでしょう。

同じ部屋なのに、物もそんなに整理されていないのに、部屋の入り口に立って「へぇー」って足が止まるほど、居心地の印象が変わりました。


そういう感覚をもっともっとつかめたら、不可能に思えた、もっと大きなことも動く気がしたんですよね。

買えないものも含めて、いっぱい欲しいものがあります。


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