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道がひらいている

どこかへ続く道がひらいているとして、それがどこへ続くのかわからないとしたら、どうしますか?

それは、ゴールを決めて突き進むのとは異なります。

それを受け入れることで何かがあるなら、私は、なんとなくですが、わからなくても進んでみたくなります。好奇心から、あとそうする以外にない気がするから。直感で。それでも根拠がない場合は、迷いながらになるから、足が止まるときもあるけれど。

そういう状況になると、それを持っているから、それをしたからって、何になるの?といった類の言葉を浴びたり、自問したりした経験はこれまで山ほどあります。たとえば卒業を意識し進学を考えたときなんて、そうでした。

みんなはどうしているんだろう? と周りを見回してはいけない時があるということを、自分から気づかなければやってしまいます。周りを見回さなければならない時だってあるのだから、その区別をつけるのは難しい。

目印は扉とか、灯りとか。そういうのはなくて、映画「もののけ姫」に出てきたシシ神様の足元みたいに、何気なくある方向へ歩き出すとそのときに極めてぽぽぽっと草木が生えていくような感じになるのです。先は見えないけれど、足元に芽吹きが生命がわく感じになります。

それは信じていい道じゃないかなあと、足元だけしか見えないけれど、思う春の夜。眠いですね。


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