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【群像】Mr. Heyとわたし

明日、Mr. Heyが会社を辞めてしまう。
寂しすぎる。

Mr. Heyはわたしの上司だ。
彼はオーストラリアのメルボルンにいて、Slackで話しかけてくる時にいつも「Hey」って飛ばしてくるので、わたしの中でMr. Heyと呼ばれている。

Mr. Heyの声を初めて聞いたのは、2017年が始まったばかりのことだった。
わたしの2番目の上司が、意味深に「オーストラリアの人が何か話しかけてくるかもしれないから」とわたしに告げた。何のことだかさっぱりわからなかった。

その頃のわたしは、留学で英語に挫折したのを機に金輪際英語と関わるものかと思っていたにもかかわらず海外との仕事を突然担当することになり、半分幽霊状態で電話会議に出席し始めた頃だった。多少日本語を勉強していたプロデューサーと、何故か日本で英会話講師のしごとをしていた経験のあるプロダクト・マネージャー、ホテル勤務の経験があって配慮をしてくれるアナリストの3人が定例メンバー。最初は全く何が何やらという感じで、何か声をかけられても固まることが何度もあり、気まずい無言タイムを何度も作っては腹痛に悩まされていたものの、温かく配慮あるメンバーのおかげで、ほんの少しずつ何か聞き取れるようになってきた。

しかし、ある日、不思議な訛りの聞き慣れない声が聞こえてきた。電話会議のメンバーの英語がやっとわかるようになった頃だったのに突然の新メンバー加入。容赦ない速度とカジュアルすぎて意味がわからない語彙。

それがMr. Heyだった。もう何を言ってるのかまったくわからなかったけれど、ものすごく訛っていることだけはわかった。

それからしばらく、Mr. Heyが電話会議に現れるようになった。
当時契約社員で入社1年を迎える手前、そもそも彼が何故突然現れたのかもわからなかったけれど、例の2番目の上司と裏でなにかやりとりをしているようだった。

彼から最初の「Hey」が来たのはもう少しした頃だった。

Mr. Heyは非ネイティブと話す経験があまりないようだったので、気さくな表現のつもりでスラングを多用したメッセージを送ってきた。結果として、わたしは毎メッセージごとにUrban Dictionaryを引く羽目になった。(彼がそのことに気づくのはしばらく先のことだった。)

何やら話をしたいと言うので、初めて1:1で電話をした。あの時は地獄だった。そもそも、この前まで突然インドからSkypeでメッセージが来ただけでビビり、電話会議で座敷わらしをしていた日本人だ。このスラングだらけのフランクなオーストラリア人と話ができるはずがない。彼は非常にやりにくそうに話をしながらも、ゆっくり話そうとしてくれたり、何度も繰り返してものを言ってくれたりした。どうやら、今困っていることや、今後やりたいことなどについて聞いてくれているようだった。わたしは拙いながらも思ってることを全部言った。その後は、Slackによるテキストチャットが中心になった。相変わらず容赦のないスラングのマシンガン状態だったけれど、わたしがあまりにも「○○ってどういう意味ですか」と聞いたので、段々教科書的な英語になっていった。

春、Mr. Heyが初めて日本に来た。

Mr. Heyはインド系の移民の両親に生まれたので、インド顔だった。
てっきりアングロサクソン的な容姿をしているのだろうと思っていたので、そんな自分が偏見の塊だったな、と恥ずかしかった。Mr. Heyはよく「Hahaha」と笑った。笑う顔がなんだか中学生みたいな感じで可愛くてなんだかいい人なんだな、と思った。何か困っていることはないか、という1:1があった時、アナリストとしての先輩社員的存在がいない中、ずっと手探りでやっていたので先輩アナリストに会えたことにとても安心した、自分がやっていることが正しいのかどうかわからなかった、と話していたら涙が出てきた。後でそのことを例のプロデューサーにいじられ、Mr. Heyになんでわたしが泣いた話したの!と怒ったら、Mr. Heyは「Haha」と笑った。

ちなみにその時、急に本社でカンファレンスがあるという話を受け、その3週間後ぐらいに急に初めて一人で海外出張に行くことになり、そこで沢山の人と出会った。そこはそこで生き残るのに必死だった。

その後、いろんな方の働きのお蔭でわたしは正社員になった。Mr. Heyの働きもとても大きかった。

Mr. HeyとのSlackのやりとりは続いた。
いろんな事を話した。会社のこと、他のスタジオのこと、家族のこと、他愛のない雑談、キャリアのこと。そのうち1:1の電話会議を定例で持つようになった。電話はいつも「How’s going?」というので始まった。ひとつひとつのアドバイスが的確だったし、何を相談してもすぐにアクション可能な提案をしてくれた。

そうこうしている間に、次の年の4月になり、組織再編があって、Mr. Heyはわたしの上司の上司になった。しかし、わたしの上司が2ヶ月で産休に入ったため、そこからMr. Heyはついにわたしの上司になった。Mr. Heyと産休に入った上司が外からよく見ていてくれたこともあり、わたしは昇進した。

昇進と同時に、たくさんのことを任せてくれた。アジアのアナリストが集まるワークショップでプレゼンをしたし、上海に新しく配属になったアナリストの研修も担当した。各地のアナリストからいろんな質問が来るのを対応するようにもなった。比較的大事な会議に参加させてもらえるようになったものの、時折ついていけなかったりうまく行かず、時々泣きながらいろんなことを相談すると、その度に励ましてくれた。一方で責任を持つ立場になるのだから、と諌めてくれた。技術力も確かで、変な話ではあるけど政治もできて、コーチングのスキルに長けていて、それでもいつも冗談は知的で、世界中のスタジオの人が彼のことを知っていた。みんなMr. Heyのことが大好きだった。ちなみにMr. Heyは上司になって2ヶ月で育休を取得した。会社の規定が変わって追加の育休が取れるようになったので、Mrs. Heyに「育休いつとったら良い?」と聞いたら「今すぐ取りなさい」と言われたとか。素敵な父親でもあった。どこを切り取っても尊敬できる、わたしにとっては、もったいないぐらいのロールモデルだった。そんなにしっかりしてるのに、実はわたしと2つしか歳が変わらないことが飲み会で判明してびっくりした。

そのMr. Heyから「今週の金曜日が最終日」というメールが来たのは、昨日の朝のことだった。

まさに青天の霹靂だった。

その日は、例の大事な会議で初めてプレゼンをする日だった。

バンクーバーの先輩アナリストにレビューをしてもらって、プレゼンをした。いつか、「英語力が足りないからもう少ししてから参加したい」と進言をした会議だった。困り果てたわたしに「言葉のことで時間を使うよりも、分析に時間を使うべきだ」とMr. Heyがアドバイスしてくれ、プレゼンはバンクーバーのアナリストにお願いしていた。自分でプレゼンすることもチャンスだったのに、モノにできない自分が悔しくてその日も泣いた。本当に悔しい日だった。

その会議で初めてプレゼンした。

バンクーバーのアナリストも大変な人格者で、よくよく練習に付き合ってくれたので、プレゼンはつつがなく終わった。まだまだ未熟だけど、大事な一歩を踏んだと思えた。0歩の状態でいることよりも、1歩だけでも歩みを進めることには大変な価値がある。1歩を踏み出せば、2歩目は1歩目よりも遥かに簡単に踏み出せるから。そのことを、わたしは知っている。だから、本当に嬉しかった。そんな日の朝なのに、Mr. Heyがいなくなるという連絡が来た。

午後、最後の1:1をした。
Mr. Heyは午前の会議にはいなかったので、遂にあの会議でプレゼンをしたんだ、と話した。少し言葉をつまらせた後、Mr. Heyは「See? (ほらね)」と言って話を続けた。

「最初に会った時から考えて、今どれだけ違うか考えてみろよ。ものすごく変わっただろ。今日妻とも話してたんだよ。契約社員から始まって、給料をうんと上げた子がいるんだけどすごいことだよね、ほんとに、と。君自身が頑張ったからだよ。そして、みんながそれを見てて、認めたからだよ。自信持てよ。君は自分が思ったよりよくやってるし、みんな知ってるんだよ。」

だから、自信を持つんだよ、と。繰り返し。

すぐに自信をなくすわたしをいつも励ましてくれて、昇進やいろんなことについて本当に手を尽くしてくれたMr. Heyに対して、ありがとう、と言うと「well-desrved (君が頑張ったからさ)」と声をかけてくれた。わたしのちょっとした夢は、結婚式で新婦上司の挨拶としてSkypeかなんかでMr. Heyにつないで参列者のみなさんに生「Hey」を聞いてもらうことだった。式の予定はまだないけど。

別にFacebookでもつながっているし、世界は小さい、Stay in touch(連絡取り合おう)と言ってくれたけれど、やはり寂しいものは寂しい。

でも、そんな彼にも、やあやっぱりあいつはすごいんだ、と誇ってもらえるような人になりたいし、今度はわたしが誰かの「Ms. Hey」になる番なんだろうなって、思う。

ありがとうMr. Hey。心からの、Good luck。

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