しゅうしょくかつどうきろく

日本の通過儀礼、就活を経験した。
多くの人が経験することだから、こうやって言葉にするのは大袈裟で恥ずかしいことだと思う。
でも、noteは
①初めて経験したこと
②自分に大きな変化をもたらした出来事
③忘れたくない感情
について書いているので、どれにも当てはまるこの経験をnoteに書くことは私にとっては自然なことだった。経験は買えないしある日突然手に入れられるものじゃない。だから価値があると私は思う。この経験は神さまからもらった財産だ。自分のために書く。就活がどうとかではなく、これは私ががかけた時間と労力の話。

約半年間、「期待」と「絶望」という矛盾を抱えて過ごした。今日を生きるために期待をして、未来の自分を守るために絶望しておく。
絶望は保険だ。ありがたい。弱い私は予め絶望するようにしていた。でも、期待しないとあんなのやっていけない。期待のように明るくて素晴らしいものを抱いていない人間には、笑顔なんて作れない。そしてこの世界は、未来に期待する人間が選ばれる世界だった。滑稽だった。
嘘、その時はそれに縋りついていた。
私は選ばれたかった。

私の就活は客観的に見たら、たぶん全然辛くない。
友達が30回以上面接を受けたと聞いてひっくり返った。
夏のインターンは行かず、サークル運営の傍ら、オタクライフのために月150時間くらいバイトした。(ガクチカこれにさせてほしかった)直感で(×N×P型仕草)業界を2つに絞って、秋の合説で直感で(×N×P型仕草2)選んだ企業の選考に進んだ。迷いが生じると死ぬ病なので、直近の企業を第1志望にしてなるべく猪突猛進した。免許を持っていないのにタクシー会社の内定を貰った。(持ちネタ)1人で合説に行ったらあまりにも病んで、会場にドデカ爆弾が落ちてくることをひたすら妄想していた。行きもしない遠い地方の企業を調べて「全部めんどくせーからもうここで生まれ変わりたい」とか現実逃避していた。間違えて(間違えて)デカ企業の座談会に行ったら、コール未履修の他グルライブに参戦した気分を味わった。第1志望(仮)の二次面接後の面談で、えらいひとになぜか他の業種を勧められてめっちゃメンブレした。病む度にキャリアセンターの無口なおじさんにマシンガン愚痴を聞いてもらいストレス発散していた。(chu 本当にごめん。)最終面接で自分の学科名を噛んだのに内定が出た。3月の一般解禁でガス欠になったので、4月末に内定承諾書を提出して、強制終了させた。ざっとこんな感じ。


渦中にいたときは、未来の自分に抱きしめて欲しいと何度も思った。すべてはあなたのためだし、あなたの笑顔が見られたら私はどんな道でもいいのにって。意味の無い涙もたくさん流した。逃げたりもした。体当たりしてみたりもした。事故にもあった。地図をなくしたりもした。何度も首にナイフを突きつけられた。海に飛び込んだ方が楽だと分かっているのに毎日崖に立たされた。帰り道に泣いたのは靴擦れだけのせいじゃなかった。「こんな価値観バカげてる」と嘲笑していたくせに毎回ちゃんとスーツを着て笑顔を作った。葛藤なんてそんなカッコイイものじゃなかった。昨日信じていたものが信じられなくなる今日が怖かった。私の大事な価値観が揺らぐのが身に染みてわかった。でもそれを貫き通すのはマジョリティーに反することで、マジョリティーを無視する勇気もない小心者なのに、マジョリティーにも染まれなかった。膨大な数の情報の取捨選択をしなければならなかった。いっその事あみだくじで決めたかった。必要なものを自分で見極めないといけなかった。だれもなにも参考にならなかった。今まで見なくて済んだ自分の面をこれでもかと言うほど突きつけられた。自分くらいしか信じられないのに自分を信じるのがすごく怖かった。やっとの思いで貰った内定も数日後には灰色に見えてくる。いわゆる内定ブルー(という名の蛙化現象)。就活中の私に知られたら絶対殴られる贅沢な悩み。でも、頂上の見えない山をひたすらロッククライミングしているような感じだった。到達しても実感がなかった。もっと頂上はお花が咲いていて、緑でいっぱいで、晴れてるんだと思った。実際は霧が立ち込めていて景色は見えなかったし、いままでと変わらないゴツゴツの岩肌だった。それでも周りからは到達おめでとうとひたすら祝福された。そうか、そんなものなのか。


就活はトランプだと思う。
自分が20年間ランダムで引いてきた手持ちのカードで戦う。その場でのみ成立する支配的ルールがある。ババ抜きだと言われれば、ババに指定されたカードを引かないように注意する。駆け引き上手が勝ち残っていく世界。七並べと言われれば秩序を守ることが最優先事項になる。大富豪で革命が起これば、いままで信じて疑わなかった"強いカード"は何も意味を持たない。スピードのように、判断の遅い人には出る幕がない。

でもすべてを否定している訳じゃない。私が会った大人たちは悪い人ばかりじゃなかった。目がキラキラしている大人を見て、私もあんな風になりたいと思った。企業に入った理想の自分に夢見ることは、大きなモチベーションだった。いままでの人生で築き上げてきた点同士が、線で結ばれていくのは快感だった。気を張ったらちゃんとそれっぽくもなれた。最初は"染まっていく自分"が嫌で仕方なかったけど、"染まれる"のも才能だと思うことにした。大切なことを忘れないように気をつけた。あの時の私は何者でもなかったけど、何者にでもなれる可能性を持っていた。選択肢が沢山あることは幸せな事だった。"向こう側の価値観"も、案外理にかなっていた。ほんの数分で私の何がわかるんだよと思いつつも、ちゃんと私が伝えたい私が伝わるように頑張っていた。人と関わることは本当に楽しいと思った。"私"を武器に仕事をしたいと思った。大事な人がいつも応援してくれた。秋のインターンで(私には無理だ)と思った憧れの会社が、内定先になった。面接のときは、ちゃんと全部私の本心だった。ドPなのに計画的に頑張っていた。推しの笑顔がより涙腺にくるようになった。久しぶりに生きてる実感が湧いた。負けず嫌いの私にとって、負けたくないことはエンジンだった。

就活を終えてみて、これから就活をする人たちに色々聞かれる機会が増えた。でも、終わったからって正解を知ってるわけじゃない。私は正直まだあの会社が正解だったかなんてわからない。答え合わせは数年後だ。
というか、正解なんてない。あの会社を選んだ過去の私の選択を、これからの私が正解にしていくんだと思う。残りの学生生活で、私が過去の私の選択を正解にしていく。

残りの学生生活。私はこの言葉にすごく重みを感じる。
学生としてすごす呑気な7/21は、もう一生来ない。この前思いつきでフラッと見に行った映画。学割で1500円になるムビチケ。未来の私が喉から手が出るほどほしいものなんだろう。ものじゃなくて、そういう心的状況。そんなことを考えたら、なんだか背筋が伸びる。


小説の主人公みたいに、終わったら"何者"かになれると思っていた。すっきり晴れやかな気持ちになれるのだと思っていた。あの頃は就活と卒論を終わらせた先輩をひたすら羨望の眼差しで見ていた。でも、その先輩たちが言ったように"大したことなかった"。"おままごと"だった。"ショートコント:就活"だった。
だけど、私の大事な半年と気力を使ったのは"おままごと"だったなんて今の私が言ったら、あの時の私が可哀想だ。あれはちゃんと立派な経験だったと、今の私が褒めてあげないと、あの頃の私が報われない。

最近、就活期の自分の日記に返事を書いている。就活期の私は、今の私によく話しかけてくる。「よく眠れるようになる?」「明日の面接この質問聞されるかな」「私の代わりにピューロ行ってきて」
全部に返事を書く。「よく眠れるようになるよ」「その質問は聞かれないけど軸掘られたから気をつけて」「いいよ たくさん行ってあげる」

私があの時本当に欲しかったもの。

面接官からの褒め言葉でも素晴らしいESの見本でも社会的地位でもSPIの解答集でもためになる体験談でもガクチカでも選考通過通知でも内定でも"正解"でもない。

未来の自分からの励ましの言葉だった。それだけがどうしてもほしくて、どうしても手に入らなかった。だから、届かないけど、あげたい。



毎日たくさん頑張ってくれてありがとう。
お疲れ様。
全部大丈夫だから、自分をちゃんと信頼してあげてください。
次は私の番だね。
あなたの選択を、私が必ず正解にするよ。

この記事が参加している募集

この経験に学べ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?