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ガザ虐殺だ - 「ガザ戦争」でも「軍事衝突」でも「イスラエル・ハマス戦争」でもない

NHKは「ガザでの戦闘」と報道している。「ガザで戦闘が行われている」とニュース原稿を読んでいる。この表現と認識に違和感を覚え、強い抵抗を感じる。ガザで行われているのは「戦闘」なのだろうか。そうではなく、イスラエル軍によるガザ住民に対する一方的な虐殺ではないのか。NHKはまた「ガザでの軍事衝突」という呼び方もしている。この説明にも納得できない。ガザの現実を「軍事衝突」の言葉で言い表すのは、あまりにも不正確であり、イスラエル目線の一方的な見方に過ぎる。イスラエル軍が武力行使して殺害している標的は、無抵抗の民間人であり、何の罪もない子どもだ。爆撃して破壊しているのは、病院であり、学校であり、難民キャンプだ。イスラエル軍の「戦闘」とは、子どもを大量殺戮し、病院と学校を破壊することだ。それが攻撃目標であり、皆殺しが真の軍事目的である。

ハマスの軍事部門はそれに抵抗しているかもしれないが、およそ「軍事衝突」などと呼べる内容と実態ではない。イスラエル軍は 11/9 に「ハマスはガザ北部の支配権を喪失した」と発表している。この時点で、ガザ北部でハマスは無力化され戦闘行動は不能になっている。イスラエル軍による北部制圧は物理的に終了していて、市街戦の発生もない。にもかかわらず、イスラエル軍は 11/14 にシャティ難民キャンプを陸と空から攻撃して破壊、11/18 にはシャバリヤ難民キャンプを再び爆撃して80人以上を殺戮した。11/15 にはシファ病院に突入した。11/21 も北部で病院と難民キャンプが攻撃を受け、数十人が殺され、医師3人が死亡している。これら一連のイスラエル軍の行動とガザの現場の状況を目撃し、正視して、われわれは、それを「戦闘」や「軍事衝突」の語で表象化してよいのだろうか。

その認識と理解は果たして妥当だろうか。マスコミは、ガザの問題について様々な呼び方を散乱させている。ニューズウィークは「ガザ戦争」とか「ガザ危機」と書き、BBCは「イスラエル・ガザ戦争」と呼んでいる。ロイターとTBSは「ガザ紛争」。APやブルームバーグは「イスラエル・ハマス戦争」と書いている。事態は 10/7 から始まって7週間を超えたが、未だに一つの名称に収斂しない。呼称が定まっておらず、定義づけが迷走している。立場によってバラバラな表現を用いている。おそらく、暫くこの混迷状態が続くだろう。報道する側も何が起きているのか判然とできぬまま、アメリカとイスラエルに忖度したり、グテレスや国際世論に斟酌したり、中途半端な日和見の態度を続けるだろう。事態を表現する言葉は揺れ動き、決定版の語が与えられず、そのまま暴力と流血の時間が続くに違いない。

私はこう考える。歴史は、ガザでの 2023/10/7 からの出来事を「ガザ虐殺」と定義して書き記すだろうと。この現実は「ガザ虐殺」という語で総括され、歴史認識されるところとなる。「ガザ戦争」でも「ガザ紛争」でもない。「南京大虐殺」と同じカテゴリーに入る歴史として記憶されるはずだ。ガザ保健省の報告では、11/25 までの死者数は1万4854人に及んでいて、うち子どもが5850人。イスラエル軍の無差別攻撃によってガザ保健省の機能が不全になり、死者数の把握・計上も困難になっている。こんなに短期間にこれほどの大量殺戮が、それも先進国の正規軍の手で、先端兵器を駆使して集中的に行われた例はない。しかも国際社会が注視する中、国連事務総長が半泣きで「停戦」を懇願する中で、テレビで毎日子どもの虐殺ショーが放送されるという、異常きわまる劇場殺戮が続いてきた。

今回のガザ虐殺は規模が大きい。過去の虐殺の歴史を wiki が一覧にしているので確認しよう。「虐殺」の名が付された歴史で、世界史に登場して有名な例として、1572年にフランスで起きた「セントバーソロミューの虐殺」が思い浮かぶ。新旧の宗教戦争であるユグノー戦争の一環をなす陰惨な事件であり、映画にもなっている。この虐殺(Massacre)での死者数は、パリで4000人、フランス全土で数万人とされている。ガザでの死者数は、子どもだけで「セントバーソロミューの虐殺」のパリでの死者数を越えてしまった。wiki が丹念に拾って作成した史上名高い虐殺事件のリストを眺めても、規模でガザの虐殺に匹敵する例はそれほど多くない。1995年のボスニア紛争で起きた「スレブレニツァの虐殺」も、死者数は8732人とある。スレブレニツァの虐殺を「戦闘」や「戦争」と呼ぶ者はいないだろう。

1948年に国連が制定したジェノサイド条約には5項目の定義要件があり、5要件のいずれかの行為に該当すればジェノサイドと認定される。この定義は、国際刑事裁判所(ICC)規程第6条の ジェノサイド罪 の定義にも引き継がれている。岡真理も講演で言っていたが、イスラエルの行為は十分にジェノサイドであり、絵に描いた如き典型的なジェノサイドで、これをジェノサイドと認定しなければジェノサイド条約の意味はない。西側の政府とマスコミが、国際法の法規定を捻じ曲げ、イスラエルの犯罪(人道に対する罪)を正当化し、恰もハマス軍とイスラエル軍が交戦しているような構図に歪曲している。佞悪な解釈を言説化して固めている。世界のメディア体制は西側資本が支配する領域であるため、その不当な言説が一般化してマスコミ装置から流されている。彼らは眼前の現実を「ガザ虐殺」と呼ばない。

けれども、この惨劇の始終が歴史となるとき、人は必ず「ガザ虐殺」と名付けて呼ぶだろう。「ガザ戦争」だの「イスラエル・ハマス戦争」ではなく、ジェノサイドとして認識が確立し、「ガザ虐殺」と歴史に刻まれるだろう。そのことはまた、イスラエル・アメリカ・EUの認知戦(テロとの戦いの大義)が敗北することを意味し、西側の国家とマスコミのソフトパワーが信頼性を喪失し、影響力を低下後退させることを意味する。西側の価値観(自由と民主主義)が相対化され、西側のイデオロギー的求心力が没落することを意味する。伊勢崎賢治は、11/10 の時点で「ハマスはすでに勝利しているのだ」と喝破したが、その具体的で政治的な意味はこうしたソフトパワーの説得力の攻防と勝敗にあるだろう。簡単に言えば、世界の多数がパレスチナとハマスを支持し、アメリカ・EUとイスラエルを支持しないという帰結だ。

この政治的情景はいつか見た記憶がある。ベトナム戦争の解放側の戦いだ。当時はソフトパワーなる概念はなかった。認知戦という言葉もなかった(と思われる)。だが、政治の戦いは古今不変のもので、新語などどうでもいい問題にすぎない。北ベトナムと南ベトナム民族解放戦線は、夥しい犠牲を出しながら、世界のジャーナリズムと視聴者の感想と判断のところで勝利を収め、結果的にアメリカ帝国主義(冬眠中の言葉だが)の侵略を撃退することに成功した。伊勢崎賢治が断じているのは、早い話がそういう結論と展望だ。ベトナムの人々は犠牲と辛酸に耐え、ホーチミンの「民族の自由と独立ほど尊いものはない」の指導に従って最後まで戦い抜いた。そのテーゼに殉教した。民族の自由と独立ほど尊いものはない。この半世紀前の言葉を再び、再びハマスとパレスチナの抵抗の言葉として仰ぎたい。過去のものではないのだ。

本当は、今、日本人こそが、このホーチミンの言葉を嚙みしめて思わなければいけないのではないのか。


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