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前田正子『無子高齢化 - 出生数ゼロの恐怖』を読む

予想したとおり、出生数減少の問題はマスコミで特集企画されることなく、80万人割れを報じた3月1日の一発報道で終わった。TBSの報道1930は、相変わらず飽くことなくウクライナ情勢のプロパガンダを続けている。山田昌弘も柴田悠もテレビに呼ばれない。この問題の専門家が解説や提言を述べる機会がない。6月に骨太の方針を出した際に、消費増税とセットで大型キャンペーンを組む予定なのだろうか。国会の方も飽きたのか、野党が岸田文雄の中身カラッポの「異次元の少子化対策」を質疑で追及する場面がなくなった。お役御免で一旦フェイドアウトだろうか。 岸田文雄は目論見どおりに国会政局をドライブしていて、この後、尹錫悦と会談し、インドとウクライナを訪問し、参院で予算を上げ、統一地方選を乗り切って5月の広島サミットへ進行させる思惑だ。何の波乱もない。(写真は共同通信)

この問題を調べ始めて気になった点がある。それは、誰も日本の人口の将来推計を正確に計算していないことだ。ネット検索を試みると、常に国立社会保障・人口問題研の統計がベースになったところの、総務省統計局のグラフが出て来る。政府の公式の数字が出る。それ以外は出ない。例えば、民間のシンクタンク(三菱総研、日本総研、日本財団、野村総研、ニッセイ、etc)とか、東大京大の付属研究機関が独自に予測値を発表していない。オルタナティブがない。国難そのものの危機的事態の問題なのに、国内のアカデミーが社会科学の調査研究をしていない。政府官僚に丸投げでお任せ状態になっている。国立社会保障・人口問題研は厚労省の天下り法人で、内幸町の日比谷国際ビルに事務所が入っている。パンフレットを一瞥すると、天下り官僚たちがお仲間の大学教授たちといかにもちんたらやっている情景が浮かぶ。

■ 顔の見えない責任当局 - 国立社会保障・人口問題研究所

飲み食いや海外出張で予算を消化している日常が見える。国立社会保障・人口問題研の職員が、テレビに出てこの国難の窮状を解説する姿は一度も見たことがない。防衛研の人間はこれでもかとテレビに出演して、戦争プロパガンダの毒を吐きまくって国民を戦争に扇動しているのに、人口問題研の専門家は登場しない。顔を出して推計を説明しようとしない。そして、山田昌弘とか前田正子とか、数字の中身に厳密な検証を加える専門知識を持っているとは思えない社会学者が、評論家的にこの問題にコメントを並べている。国立社会保障・人口問題研が出す予測値は、政府の責任がかかった数字であり、すなわち各省の政策がローディングされた数値であり、政策が効果を上げた前提でシミュレーションされている。だから、常に甘くなり、「国立社会保障・人口問題研の推計よりもxx年早い少子化となりました」という結果になる。

本来、人口学とか人口統計学というのは、社会科学であるけれど、きわめて情報処理的な要素と性格を持ったサイエンスであり、コンピュータ・プログラムのアルゴリズムの世界であるように思われる。因子となる変数の分析と、関連し変化する膨大なデータを捕捉し更新し投入する演算処理のシステム工学の領域だ。社会学というより経済学の範疇だろう。おそらく、人口問題研にはその方面のエキスパートがいる。専門家がいるけれど、彼らは霞が関の政策が成功裏に反映された前提で因子の変数を調節し、プログラムを設計するため、実態と乖離した条件で数字が加工され出力されるのに違いない。そういうナンセンスな官僚仕事を彼らはやっている(緊張感なく、銀座で昵懇の大学教授と飲み食いしながら)。官僚の数字とはそうしたものだ。政治のバイアスがかかっていて、最初から科学的に正確にはならない。

■ 誰も本気で考えていない - 在野の対論となる数字の不在

だからこそ、シンクタンクやアカデミーで政府の推計を補正する作業が必要で、民間と学界にその責任と使命があるはずなのだ。だが、残念なことに日本では誰もその役割を果たしていない。社会学者やマスコミは、人口問題研の推計が不正確でした、実態はもっと厳しい少子化と人口減ですと言うけれど、それならば本当に正しいシミュレーション・モデルはこうだという対論を出さない。軽薄な冷笑的批判の言辞で終わっている。こうしたお寒い全体の構図と状況を見て、私は、誰も本気で日本の少子化の問題を考えてないなと嘆息する。本当なら、東大社研がスパコンをリアルタイムに駆使し、政府とは独立に予測の速報を出し、マスコミに警告の発表をしないといけない問題だ。現在の社会学者による評論では、とても有意味な批判とならないし、政府の政策を変える学術的説得力を持てない。

政府以外の機関が算出した日本の将来人口推計を知りたいと私が思うのは、最もリアルで悲観的な数字を確認したいからである。政府によって楽観的に歪められた数字をベースに議論しても、何もまともな検討や考察などできないし、政府のこれまでの政策の失敗の積み重ねも証明されない。誰かが本気になれば、各年度の出生数と死亡数を精緻に予測し、人口全体と各世代別・地域別の人口推移を10年後、20年後、30年後と算出することができるはずだ。具体的なモデルを問題提起できるはずだ。まともにシミュレーションすれば、絶望的としか言いようがない日本の経済社会像が描かれ、GDP、所得、税収、社会保障、教育、農林水産業、限界集落、等々の面で想像力の限界が試されるような残酷な未来図が出現するだろう。それを経済学者が正面から提示することが必要で、滅亡の黙示録から目を背けるのではなく、正視と悟性的認識こそが必要だと思う。

■ 元凶は若者の非正規化と低賃金

前田正子の『無子高齢化-出生数ゼロの恐怖』はいい本だ。図表やグラフも適度に掲載されていて、(岩波のブランド料も含めて)定価1870円の価値は十分にある。少子化を分析する視角もよくメッセージも当を得ている。まさに少子化問題の一般知が整理され提供されていると評価できる。こう要点を書いている。

団塊ジュニアは、各年齢で100万人前後の出産可能年齢の女性がいる最後の世代であった。この世代の未婚率が高く、あまり子どもが生まれなかったことが、少子化の進展をいっそう早めることとなった。これは日本にとって不運なめぐり合わせだった。かれらが就職・結婚・出産などを迎える年代である二〇代から四〇代にかけての二〇年間は、まさに日本にとっての失われた二〇年でもあった。それは日本が経済的な勢いを失ったというだけでなく、目先を乗り切るために若者を犠牲にした二〇年だった。若者の雇用の安定を脅かし、未婚率を上昇させて少子化をいっそう促進し、日本社会の持続可能性の土台を崩した二〇年でもあった。

(岩波書店 P.108 - 109)  

このとおりだ。前田正子は、何より男性の賃金が低下し続けてきた事実に着目し、団塊ジュニアやポスト団塊ジュニアが世帯を形成する時期に男性の所得が甚だしく落ち込んだことが未婚率の上昇に繋がったと指摘している(P.136-137)。 また、奨学金返済が結婚に影響している状況にも目を配り、少子化の要因の一つだと焦点を当てている(P.139)。1997年の金融危機以降、親の世代がリストラに遭い、子どもの大学の入学金と授業料を払えなくなり、奨学金の名の借金を抱えて子どもが大学に進学するようになった。借金を抱えている若者は、男性でも女性でも結婚相手として敬遠される。対象として除外される。まして非正規ならなおさらだ。学費ローンの返済負担の重圧が未婚率と少子化の原因になっている弊害は、山田昌弘の『日本の少子化対策はなぜ失敗したのか?』でも論及されていて、まさに政策課題の中心に位置づけられるべき問題だと頷ける。

■ 得べかりし利益の収奪 - 中産階級社会の破壊と消滅

山本太郎の「奨学金チャラ」は、暴論でも冗談でもネタでもなく、まさに正鵠を射た喫緊の案件で、即刻に決断して実行すべき政策課題だった。一方、前田正子は、外国人労働者(移民)の導入は問題解決にはならないと書いていて、この見解と立場も私と共通している(P.164-173)。この本が出た頃は、左翼とネオリベが声を合わせて「門戸開放」「鎖国打破」を唱えていた時期だった。とにかく何よりも、若者の貧困化対策が先決だと言い、若者の雇用安定化を図れとこの本は熱弁している。納得できるし共感できる主張だ。だが、しかし、議論はそこで終わっていて、なぜ若者が貧困化したのかについての追跡と解明がない。経済学的な掘り下げがない。内部留保への照射がない。一般論で撫でて済ませていて、ここに限界がある。小泉構造改革からアベノミクスの20年間は、資本が右肩上がりの高度成長を遂げて大繁栄を謳歌した時代なのである。団塊ジュニアが非正規になったのは決して自然現象ではないのだ。

2021年度の統計で日本の企業の内部留保は516兆円となっている。この内部留保が、本来ならば団塊ジュニアとポスト団塊ジュニアの大学入学金と授業料となり、彼らの結婚生活と子育ての原資となり、マイホーム資金となり、彼らの貯金となる家計の財源だったのである。労働者の所得として入らなければいけないお金だったのだ。30年前の日本は中産階級の国だった。ぶ厚い中間層が国民の主体を成す社会だった。高卒でも大卒でも、大企業でも中小企業でも、働く者が夢を持ち、家族を持ち、人生に希望を持てる社会だった。年収の5倍から6倍でマイホームを買える社会であり、購入対象者は高卒だろうが大卒だろうが関係なかった。基本的に、新卒者は正社員として就職し、年2回ボーナスをもらい、年功序列で給料が上がった。会社の福利厚生が充実し、企業内自然お見合いシステム(職場結婚)が結婚をサポートした。

■ 松下政経塾出身者が岩波文化人 !?

今でも、格差社会化した今日でも、パワーカップルとなってタワマンに優雅に暮らす男女は、大学教授やら大企業社員やらの職場結婚が多いではないか。私はこれまでの20年間のブロガー人生で、何度同じことを言ってきただろう。内部留保500兆円は、格差社会となって貧困層となった労働者たちの得べかりし利益なのだ。それが、P/Lの当期純利益に回らず、配当金に回らず、労働者の人件費に回っていれば、すなわち過去のままの仕組みであれば、団塊ジュニア・ポスト団塊ジュニアは嘗てと同じ中産階級だったのである。小泉竹中の構造改革で法律と制度を変えたから、製造業の派遣労働を解禁し、企業間の株式持ち合い制を廃止したから、現在のようになったのだ。前田正子はその内実と経過について何も触れない。前田正子の見方によれば、企業はバブル崩壊後の厳しい経済環境を乗り切るため、やむを得ず非正規雇用に転換し、企業を何とか生き残らせたのだと言う。

私の認識は違うし、その前田正子の所論は間違っている。こんないいかげんで皮相的な説を岩波の解説本(標準読本)で垂れてもらっては困る。前田正子の説では、内部留保500兆円の宝の山がどうやって蓄積されたかが全く語られない。捨象され無視されている。これがリストラされた者と非正規労働者の血と汗と涙の結晶だという社会科学的真実が説明されない。社会学者だから、経済学的な視圏と方法を持てないのだろうかと訝しんだが、前田正子の経歴情報を見て、さもありなんと合点がいった。何と松下政経塾卒で、中田横浜市政の副市長を務めた人物ではないか。この思想的背景では、およそ内部留保論などという批判的視角は持ち得ないだろうし、小泉竹中構造改革の制度改悪を直視する観点も持てないだろう。だから、若者の非正規化と低賃金を不可抗力の自然現象のごとく認識するのである。それにしても、今では松下政経塾卒の論客を岩波書店は起用するのかと正直驚いた。

そこは反共ネオリベのリーダーを養成する面妖な教育拠点ではないか。反動の巣窟ではないか。どれほど過去40年の日本の政治と経済に悪影響を与えてきたことか。日本を衰退と不幸に導いた戦犯機関の一つである。世の中何もかも変わってしまい、浦島太郎の気分で呆然とする。



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