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キリンが成田悠輔を広告起用した狙いは何か - 医療自由化のエバンジェリズム

前回、キリンが成田悠輔を広告起用して撤回した問題について、コンプライアンス(法令遵守)の観点から考察した。結論として、キリンの成田悠輔起用は、日本民間放送連盟の放送基準、日本広告業協会・広告倫理綱領、日本広告主協会・倫理綱領、すべてに違反している。これらの規範が「人権の尊重」を第一に掲げ、「人命の軽視」を厳重に禁止しているからである。おそらく、キリンの社内にもこの点への抵触を慮って、成田悠輔の起用に慎重な姿勢だった幹部もいたのだろう。常識的に考えれば、大企業による成田悠輔のCM起用は論外の反社会的行動であり、事業的に自滅に繋がる過失の意思決定と言える。企業のイメージを大きく傷つけ、消費者からの不信を買う大失敗だった。責めと罰を受けるのは当然で、マーケティングの教科書の「コンプライアンス」の章に反面教師として載るべきケースだろう。

今回は、なぜキリンが成田悠輔のCM起用を企画したのか、その動機と意味について分析を試みたい。まず第一に想定されるのは、若者層をターゲットにした「氷結」の商品戦略という設定で、若年層へのアピールを強調したい狙いがあっただろう。「氷結」そのものが本来的にそうした市場特性を持った製品だ。キリンの企業イメージを若年層に訴求して好反応を得たいと目的し、エッジの利いたシンボルキャラクターを採用したというブランドマーケティングの中身が看取される。市場全体を俯瞰した印象で、どちらかと言えば、競合他社と比較して、キリンは年配層に親近性の高いイメージがある。人口が減り市場が細って行く中で、何とか若者の心を掴みたいというのは、どの企業も同じ衝動で生理に違いない。高齢者を全員抹殺せよと唱える成田悠輔は、アンチ高齢者のシンボルであり、効果的だと考えたのに違いない。

キリンの一件で市民社会から反撃を受けて頓挫した感じだが、このところ、成田悠輔を復権させようという動きが活発に見えた。民放連盟の放送基準に照らせば、本来、TBSが成田悠輔をサンデージャポンに出演させるのは禁じ手のはずである。経団連・自民党・維新を含めたところの、新自由主義支配勢力による(見えざる)差配の契機を感じざるを得ない。現状、人権や人命の尊重という基本中の基本の原則は忘れられ、正視されず棚上げされ、高齢者集団自決や高齢者集団切腹の極論は「お笑い」の範疇に入れられ、「お笑い」工場でイデオロギー的改鋳が施されて、何やら市民権を回復させた表象になっている。高齢者叩きの言説と世代間対立の演出は、新自由主義者がマスコミやネットを使って長く刷り込んで固めてきた仕掛けであり、世論装置だった。ネガティブな意味で嘲笑的に言われる「昭和」という語が典型だ。

日本の若年層は多数において経済的基盤が脆弱である。安定した所得と保障と展望の下に生きてない。だが、その若年層ほど新自由主義の教育が脳に刷り込まれていて、強烈な反共主義・反社会主義思想の徒であり、ネオリベ思想にコミットする傾向が強い。中産階級の王国だった過去の日本社会に対する憎悪と否定を滾らせている。自分たちの不幸は高齢者の所為だという倒錯した観念あるいは気分で自己を成り立たせている。その思想環境の中で成田悠輔が出現し、東大・イエール大という学歴の威力で言論の立場が武装され、若年層の暴力的妄想を代弁するイデオローグとなった。実際、成田悠輔の支持者は非常に多い。ネットの中であちこち散見する。その平均像は、新自由主義の信念を持った者であり、ざっくり、資産があり余裕のある富裕な若い層と、無産で底辺にいる不満だらけのプロレタリアの若い層の二つの顔だ。

第二に、キリンが大きな経営方針として「医」の分野を戦略ドメインにしようという事業構想で動いていて、その関連で、新自由主義の政策思想を正面から正当化してキャンペーンしようという狙いが推察される。今回の件でキリンに対する不買運動が始まったとき、サントリーに対する掣肘も忘れるなという掛け声が左方面で飛び交っていた。何のことだろうと思って調べると、新浪剛史が、国民皆保険を崩して、民間主導の医療保険制度に変えて行こうと提唱している事実を知った。アメリカ型の民営方式にしょうという、新自由主義者念願の制度改定である。キリンと同じように、サントリーのサイトを見ても、新規事業として医療・健康の分野にフォーカスして儲けようという思惑が透けて見える。高齢化が進む現在、テレビCMにおける健康商品のシェアは高まる一方で、サプリやら何やらの宣伝が氾濫しまくっている。

サントリーやキリンにとって「医療・健康」は宝の山の世界で、将来の金の生る木で、ぜひとも現在の公的医療制度を切り崩して、そこを市場化し、暴利を貪りたい思惑なのだろう。昨年秋の新浪剛史の発言は、世間の批判の程度を探る観測気球(アドバルーン発信)であり、それを踏まえて、実践段階の第二弾として、キリンが成田悠輔を起用し投入したと考えられる。新浪剛史とも裏で腹を合わせ、タイミングを狙って投擲したのだと思われる。意思と目的は同じである。成田悠輔は人ぞ知る猛毒の新自由主義のイデオローグで、竹中平蔵をさらに過激にした若い後継者だ。この論者のCM登板を押し通し、世間の空気を突破できたなら、国民皆保険切り崩しへの重要な橋頭保を築けたという成果と達成が成立する。その意味で、今回の件は、一企業を越えた、重要な政治的意味を帯びた戦略コマンドだったし、それを迎撃できた点は意義深い。

それにしても、少し考えれば、キリンの今回の戦略は本来的に矛盾しているのが明らかだ。「医療・健康」をドメインとするなら、その顧客のメインボリュームは中高年であり、その中でもお金に余裕のある高齢者だろう。日本の人口は著しく高齢化が進み、消費のキャパシティを持っているのは高齢者層である。テレビのCMを見ていると、年を追う毎にその傾向が顕著で、日本の消費者とは70代の女性のことを言うのではないかと思うくらい、CMのターゲットがその方面に集中している。美容整形とか、カツラとか、美容・健康サプリメントとか、夢グループとかジャパネットとか。仮にその層が電通にとっての最大のお得意様でお客様であるとした場合、果たして、彼女たちはキリンの成田悠輔起用にどういう感想を持つだろう。その観点から考えれば、キリンの今回の行動は実に非合理的で、反論理的で、自滅的な愚挙と断定せざるを得ない。





 

 


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