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追い込まれ提訴 - 松本擁護と文春叩きのプロパガンダを流しまくるテレビとスポーツ紙

松本人志は提訴を見送るだろうと書いてきたが、予想が外れる展開となった。不面目で赤面する次第だ。だが、これは追い込まれ提訴である。何もせずに黙ったままだと、文春側に次々と矢を放たれ、外堀を埋められて立場がなくなるため、世論戦の主導権を握り返そうとして反撃に出たものだ。戦略的に計算した上での周到な行動ではない。その証拠が弁護士の人選である。ネットで話題になっているように、代理人の田代政弘は陸山会事件のときに石川知宏を取り調べた検事で、捜査報告書に虚偽記載をして告発された経歴を持つ。懲戒処分を受けて検察官を辞職した。その程度の弁護士を据えざるを得なかったところに、松本人志側の苦境が端的に示されている。吉本興業が弁護に回らず、単独で訴訟を起こすという情報が出た際に、弁護士が未だ決まってないという意外な噂が流れていた。

松本人志に弁護を頼まれても、普通の弁護士は引き受けないだろう。どういう裁判になるか進行が見えていて、結果もほぼ分かっていて、職歴に傷がつき汚名が残るからである。裁判は確実にジェンダーの裁判になる。松本人志(お笑い吉本)対ジェンダーの戦いになり、女性の人権をめぐる闘争になる。海外からも注目される。被害女性は法廷の証言台に立つと宣言している。被害者として告発する者はどんどん増えている。法曹のプロなら、今後半年先から一年先の状況がどうなるか簡単に見通せるはずで、松本人志からの依頼を受任するのはリスクの高い選択となる。社会全体を敵に回す立場になる。松本人志の提訴断念を私が予想したのは、この悪条件があったからだ。したがって客観的観点から言えば、今回の提訴は追い込まれ提訴であり、勝ち目のある戦いに出たとは言えない。

先週(1/15-21)にかけて、明石家さんまや西川のりおや上沼恵美子やビートたけしなど、松本人志の先輩筋に当たる大御所方面が口を開き、記者会見を開けとか、陳謝と反省の上で現場に戻って活動を続けろと指導していた。松本人志としては、当然、記者会見はできない(逆効果になって自分の首を絞めるから)のだが、沈黙したままでいると、松本人志を擁護する側の世論が上沼恵美子やビートたけしの方向に流され、表に出て来ざるを得なくなる。その流れを阻止するため、提訴という判断と行動になったのだろう。1/22(月)に提訴したことで、世論の流れを自分の側に引き戻すことができ、ビートたけしらの声(雑音)を消すことができた。主導権を握り返せた。現状、12/27 の文春第一弾(告発した被害女性は東京の2名)に絞って名誉毀損の裁判を戦い、性加害の潔白を訴える推移になる。

それにしても、テレビでこの問題を取り上げるワイドショーや芸能ネタ番組は、どれもこれも問題を相対化し、松本人志を擁護する議論ばかり流している。コメンテーターたちの発言は悉く文春批判ばかりで、弁護士も松本人志側に寄り添った見解が多い。菊間千乃と野村修也がそうだ。公平で説得的な専門家の解説は、細野敦のみが発している。滅茶苦茶だ。例えばサンジャポの太田光。茶化しながら事件の意味をスリカエていて、1/21 の放送で「これは犯罪ではない」と強調した。生番組全体を仕切る司会の位置からそう断言した。お笑い芸人という無責任な立場だから何を言ってもいいと思っているのか。不同意性交は刑法違反の犯罪である。懲役5年以上の重罪だ。文春第一弾記事に登場する被害者は、松本人志に口腔性交を強いられている。口腔性交は刑法177条1項で不同意性交の一つとして明記されている。

全体に、テレビのコメンテーターたちは、この問題を単なる芸能醜聞に描き捉えていて、性犯罪への告発が行われたという認識に立っていない。重大事件として受け止めず、松本人志の度を過ぎた女遊びが悶着に発展し、週刊誌にスク―プされた案件だという構図で矮小化している。密室で起きた男女のトラブルであり、真相は当事者しか分からず、裁判所が判断するだろうと言っている。菊間千乃と野村修也もそうだし、紀藤正樹ですらそうした認識で収めている。弁護士たちのこの姿勢には呆れ驚かされる。深刻さがない。文春の記事には、闇社会的な性上納システムの存在が暴露されていて、被害者たちがその餌食になった真相が証拠を元に具体的に説明されている。組織的犯罪的な罠と狩りのスキームが動いていて、実態は集団による恒常的な性加害なのだ。その点に着目してコメントしたのは、細野敦ただ一人だけだ。

喩えばだが、大越健介がテレ朝の部下を連れてどこか地方に出張取材に行き、そこで性加害事件を惹き起こしたとしよう。下請け制作会社の若い男性社員たちを女衒として使い、現地で取材をサポートする女性が上納品として標的にされたとしよう。高級ホテルで被害が発生し、告発があり、週刊誌で記事が出たとしよう。そういう仮定の事例をアナロジー設定して想像しよう。当然、大越健介は瞬時に降板となり社会的に糾弾されるだろう。テレ朝は即座に外部の専門家を入れた調査委員会を作って調査を始めざるを得ない。ワイドショーは連日この問題にフォーカスし、弁護士が出演料を稼ぐ。週末の芸能ネタ番組も低俗な井戸端放談に興じるだろう。だが、まさか大越健介を擁護する者はおるまい。「本人がそんなことをするはずがない」とか、「週刊誌が一方的に世論を作り上げている」とか言う者はいないだろう。

よく考えれば、松本人志は大越健介よりよっぽど影響力の大きな社会的要人である。公共の電波に登場する機会が多く、電波を使用する頻度が高く、政治的主張や社会的持論を発信・散布して世間に浸透させる量が多かったマスコミ界の大物だ。安倍支持者であり、維新と癒着結合した超大型のインフルエンサーである。そんな権力者が、性加害で被害者から告発を受け、週刊誌が爆発的に売れて読まれているのに、どうしてテレビが一方的に松本人志を擁護し防衛するコメントばかり撒き散らしているのだろう。不思議に思う。そして気づくのは、この問題を取り上げて意見発信するテレビ番組の出演者たちが、吉本興業の芸人とか、お笑いの業界人とか、松本人志と親近関係にあって公私で世話になったとか、そういう人物ばかりだという異様な光景だ。今田耕司、東野幸治、和田アキ子、カンニング竹山、山里亮太、ヒロミ、、。

すべて松本人志の仲間ばかりで番組が放送されている。いわゆる芸人が中心でメッセージが発信されている。お笑い芸人が異常に多い。当然、彼らに松本人志を批判することは無理だし、週刊文春の記事を読んで理解し納得し同意することも困難だろう。松本人志は彼らの"上司"の地位にあり、業界での生殺与奪の権利を持っている。松本人志が業界にカムバックしたとき、彼らの前言(言質)が問われる事態になる。すなわち、濃厚な利害関係者であり、松本人志が絶対的支配者として君臨するお笑い世界の住人だ。番組のキャストがお笑いムラの芸人同族であるだけでなく、番組を制作するスタッフも、番組を編成する局幹部も、松本人志の身内であり、吉本興業と癒着した一族一家の人間に他ならない。松本人志の同志か、心酔する崇拝者か、あるいは媚びを売って生きている者たちだ。彼らがワイドショーやバラエティ番組を作っている。

今週(1/22‐28)、テレビに出演するお笑い業界の仲間たちが、一斉に始めたのは、週刊文春の「性上納システム」と「女衒」という言葉への攻撃で、その語への違和感や不当性を印象づける言説の発信だった。そこに目標を絞って一点集中の砲撃を浴びせ、世論を靡かせ、週刊文春の報道の説得力を低下、無力化させようと躍起になっている状況が見える。「性上納システム」と「女衒」のキーワードは、この問題の告発において、構造的本質を暴くべく文春が造語したもので、正鵠を射た表現に違いないのだが、同時に耳に刺激的に響く修辞でもある。松本人志の擁護派には拒絶的気分を催させるネガティブなパワーワードだろう。まさしく、性上納システムこそがこの問題の核心だし、裁判で問われるべき焦点に他ならない。これが最重要のポイントだと分かっているから、松本人志の仲間たちは、この語の妥当性と真実性を切り崩すべく動いているのだ。

さらに気づくのは、スポーツ紙が松本人志を擁護する世論作りに精を出している事実である。テレビのワイドショーで人気芸人が文春記事を矮小化する発言を行う。すかさず、それをスポーツ紙がフォローして、ネット記事にして配信し、ヤフーニュースやMSNニュースの主要トピックスにして流す。ネット利用者のホーム画面で目に入るように仕組む。何もかも松本人志と吉本興業に都合よく出来ている。私は、以前から、ヤフーニュースはNHKの7時のニュースと同程度の影響力があると言い、その選定と掲示には公的規制をかけるべきだという持論を言っている。昼間、仕事で働いている者はテレビのワイドショーを見ていない。だが、こうして、スポーツ紙とヤフーが連携して、吉本一族の芸能軍団が放擲するプロパガンダを、漏れなく矢継ぎ早に大衆全体に撒いて洗脳してしまう。スポーツ新聞の芸能記者は、テレビと同様、吉本興業と一心同体なのだ。松本人志の信奉者なのだ。

昔、野崎靖博が久米宏のニュースステーションに出て解説していた頃のスポーツ新聞は、こうではなかった。悄然とさせられる。

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