「台湾有事など起きない」と言う田岡俊次と内田樹 - 9条左派を眠らす権威の安心理論
台湾有事について、左派・護憲派の内部であまりに危機感が薄い問題を前回指摘した。左派・護憲派に、中国との戦争が間もなく始まるという認識がない。それは右派と自民党政権が撒いている大袈裟な吹き込みと煽りであり、真の狙いは9条改憲と軍備拡張であって、その政治を正当化するための世論工作の脅し材料に過ぎない、という意識が支配的だ。日米同盟と中国との間で本格的な戦争が勃発する、自衛隊が交戦する、しかも2、3年後に始まるというリアルな感覚と想像力が全くない。多くの左派・護憲派は台湾有事をフェイクだと観念し、虚構の言説だと決め込んでいて、そんな妄論に騙されてはいけないという姿勢で凝り固まっている。私のような無名の素浪人が、自分を目立たせたい思惑で、根拠のない陰謀論を騒いでいるんだろうと黙殺している。なので、台湾有事の危機は左翼界隈で等閑されたままだ。
左派の中で、台湾有事について真剣な関心が惹起されない要因として、影響力のある著名論者が「台湾有事などない」と唱え続けている問題がある。具体的に名前を挙げると、田岡俊次と内田樹だ。この二人に「台湾有事などない」と断定され、政府側の宣伝と演出に踊らされるんじゃないと窘められると、普通の左派はその説教に頷いてしまい、台湾での軍事衝突を確信して憂慮した自己を反省し、態度を改悛させてしまうだろう。台湾有事について、それをリアルに説法しているのは悉く右翼の側で、左派の側でその真相を正しく検証し解説している論者はいない。左派は左派の論者の言説を信用するから、田岡俊次や内田樹の認識が左派の判断として一般定着してしまう。が、田岡俊次と内田樹には誤解と誤謬がある。田岡俊次の場合は耄碌と言っていい。内田樹については陰険で危険なマヌーバーの臭気を感じる。
田岡俊次から見ていこう。今年6月に公開されたデモクラシータイムスの動画がある。「台湾有事は幻に? アメリカに余力はない」のタイトルだ。最新のものだが、これ以前にも、田岡俊次はデモクラシータイムスで何度も同じ主張を言い放ってきた。視聴すると分かるとおり、「中国の軍隊が攻め込んで、台湾にせっかく築いた工場を潰すとか、そんなバカなことをするはずがない」とか、「アメリカも(シミュレーションしたら)こりゃ無理じゃなということになった」とか言っている。頭から論外だと否定している。田岡俊次の場合、一見した印象として、先に司会者の升味佐江子の台湾有事否定論があり、それに説得力をつけるために田岡俊次が引っ張り出されて、専門家としてお墨付きを与えている気配が察せられる。升味佐江子が、巷に横溢している台湾有事の言説に反発し、それを否定する対抗言論を試みているのだ。
升味佐江子の動機と主観はそれなりに分からないでもない。彼女には、台湾有事という国際情勢の表象が、9条改憲と軍備拡張を実現する槓桿に見え、すなわち口実に見え、本気で戦争などする気もないのに、いかにも戦争が始まるぞという空気を醸成して、体制側が大衆を操縦しているように映るのだろう。それゆえに、その政治に対抗すべく、台湾有事など欺瞞であると暴露し、左派を説得して、体制側の"世論工作"を無効化しようとしているのだ。客観的に見れば、升味佐江子は盲目というほかないが、問題はその誤認をエンドースしている軍事評論家の田岡俊次である。専門的知見を持ちながら、田岡俊次は一体何を見ているのだろう。中国と台湾の経済的結びつきの強さなど、戦争の決断を抑止する理由にはならない。1940年の時点で、日本はどの国と最も経済的に緊密な関係だったか。どこから石油を輸入していたのか。
田岡俊次の台湾有事ナンセンス論の根拠の一つに、アメリカが「一つの中国」を認めているからという指摘がある。が、その原則を次々と狡猾かつ強引に踏み破り、「二つの中国」へと方向を進めているのが最近のアメリカで、着々と台湾独立への地歩を踏み固めているではないか。台湾にはウクライナと同様、米軍の特殊部隊と軍事顧問団が常駐を始め、台湾軍を訓練して開戦に備えている。田岡俊次の目には、台湾の米特殊部隊と米軍事顧問団も紙芝居だと解釈され、壮大なフェイント・プロモーションに映るのだろうか。耄碌して勘違いしているとしか思えない。中台間で戦争などあり得ないという、自分の主観的判断(希望的観測)が先にあり、なまじ専門家だから、その見方を補強する材料を幾らでも並べられ、論理的に整合性のある主張に構成できるのだ。反論を論破する自信があるから、持説に執着して頑迷に変えないのである。
田岡俊次の盲点は、戦争を軍事のスコープでしか捉えていない限界性にある。戦争には軍事だけでなく外交の要素がある。国家は軍事と外交の両方の手段を使って戦争を行う。田岡俊次には外交の地平が見えておらず、アメリカの対中外交戦略を正視・分析できていない。アメリカが覇権国の地位から陥落することを恐怖し、それを絶対に阻止すべく動いている真実が理解できていない。われわれは、大国間の核戦争は起きない、国連G5体制が崩壊するような破局は起きない、第三次世界大戦など起きるはずがないと常識で思っている。だが、それが錯覚であることは、G.アリソンの『米中戦争前夜』を読めば分かる。アメリカにとって、第三次世界大戦の惨禍や犠牲よりも、覇権国の地位を守り抜く国益の方が重要で優先なのだ。中国からの米本土への核攻撃さえ阻止できれば、米中戦争(WW3)もありなのである。アリソンはこう言っていた。勇気を出せと。ソ連との全面戦争すら覚悟して戦略を立て、冷戦に勝利した先人を見倣えと。
アリソンは2017年の本の中で、台湾を戦略的に活用せよと指南していた。空恐ろしい話だが、アリソンの弟子たちはこの指導に忠実に従って台湾外交を進め、中国に対して挑発に挑発を重ね、最早、一触即発という地点までキャリーした。米中間に対話はなく、中国側はアメリカの真意を理解している。習近平は(胡錦涛と違って)外交の能力が全くない。近代国際外交の基本的素養と前提がまるでなく、清帝国の三跪九叩頭の世界しか発想と概念がない。なので、やすやすと、最初に豪州を、次にEUを、さらにインドを、挙句にフィリピンまで日米同盟側に送り出す失敗を犯し続けた。アメリカの対中包囲網の完成に手を貸す自滅を演じた。ここまで孤立し、外交反撃する能力がないと、台湾有事を米軍CIA側の謀略(トンキン湾事件のような)で仕掛けられ、先制攻撃すなわち侵略の濡れ衣を着せられても、それを外交力で払拭して切り返す政治展開ができないだろう。
内田樹の考察に移ろう。内田樹の台湾有事の認識は、2022年12月に投稿されたXポストに典型的に示されていて、私はそれを即座に記事で取り上げて批判した。看過できなかったのである。内田樹は、現在まで所論を変更した様子はない。ご覧いただくと分かるように、升味佐江子と同じ認識であり、台湾有事は政府によるプリテンドでありトリックだと言っている。
升味佐江子の台湾有事の認識も、他の左翼のそれも、この内田樹の結論が基礎になっているのであり、これを核に左翼の共通認識が形成されている。内田樹の影響力恐るべしであり、左翼世界の日常の議論と関心は内田樹を中心に回っている。権威の内田樹にかく断言されると、誰もそれに表立って反論などできず、内田樹の言説を丸ごと信じ込み、内田樹の見解をコモンセンスにして左翼コミュニティの言論と活動が続くのである。誰も異論を挙げない。つまり、左翼リベラル界隈の公論として、台湾有事は起きないのであり、その話は信じてはいけない謀略情報であり、騙されて誘導されてはいけない体制側のフィクションなのだ。内田樹先生は森羅万象の真実を見抜く知の巨人様であり、先生の御説はミネルヴァの託宣であり、リベラルの最高指導者の教説に間違いはないのだ。左翼の現在の「戦争ができる国」反対のアジェンダとスローガンは、この内田樹のテーゼが基本になっている。
だが、その後、内田樹の台湾有事幻想論はさらに毒性を深め、厄介で面妖な中身に変質していて、単なる迂闊とか事実誤認とは呼べない領域に至っている。問題の本質を、脅威の元凶を、日米同盟の側ではなく、中国の側にあるとする認識を示し始めた。中国の方が思いとどまれば、台湾有事は未然に防がれるという趣旨の説明を語り始めた。昨年12月に出した『街場の米中論』の要旨が東洋経済OLのサイトに上がっていて、気味の悪い主張を書いている。高原明生や阿古智子や鈴木一人と同じ偏向した中国脅威論であり、読んで背筋が寒くなる感を禁じ得ない。
一読して分かるとおり、完全にアメリカ寄りの視角からの台湾有事論になっている。この時点で、内田樹において、台湾有事とは中国側が一方的に台湾に侵攻する戦争なのだ。アメリカが仕掛けて台湾で始める対中戦争という視点が寸毫もない。愕然としてしまう。2022年12月の時点では、台湾有事なんて虚構で幻想だから信じるなと言っていたのだが、2023年12月には、アメリカには台湾介入(対中戦争)の意思はないが、中国が台湾に侵攻するかもしれないから、そのときはアメリカも応戦するかもしれないと言っている。一年の間にずいぶん変わった。台湾有事を中国側が台湾を武力統一するための不当な侵攻として捉える見方は、右翼や政府自民党やマスコミのそれと変わらない。今の日本の大勢の認識であり、中国悪魔視の情勢認識と固定観念である。そしてそれは誤った認識であり、自衛隊を対中戦争に導く危険な認識に他ならない。左派への悪影響が恐ろしい。
問題は、この言説が内田樹のストレートな状況認識なのか、それとも、何か歪んだ政治的意図が潜んでいるのかという点である。日本の左翼リベラルの世論を、台湾有事(中国との戦争)を正当化する方向へと導こうとする目的を含んだ議論の発信ではないかという懐疑だ。左派に影響力絶大な内田樹だから、この主張は左派の標準の一般知になり通念に化ける。この見方が通念になることによって、台湾有事は中国の一方的武力侵攻の図として解釈され、それと戦闘して台湾を防衛する日米同盟は正義となる。戦争は正当化される。9条などどうでもよくなる。左翼が9条を棄てる。左翼が右翼と一体化して防支膺懲の気炎で国民が一つになる。米軍司令官の「証言」では、台湾有事は3年以内に始まるのであり、あと僅かの時間だ。トマホーク配備といい、拡大核抑止(核武装)の共同文書といい、先島諸島住民の本土避難訓練計画といい、民間施設の軍事利用といい、全ては着々と進んでいる。
内田樹は左翼リベラルの指導者様だが、同時に一般社会で知の巨人と仰がれる売れっ子文化人である。マスコミに人脈があり、刻一刻と最新情報が入手できる身だ。その情報網があって市場的に意味のあるジャーナリズムが可能となる。われわれとは比較にならないほど、内外の重要情報が大量に入っているに違いない。米軍や防衛省やDCの動きも把握しているだろう。情報は、情報を持つ者のところに吸い寄せられるように入って来る。また、情報は、情報処理の有能な解析ができる者のところに入って来る。例えば、丸山真男がそうだった。60年安保時の運動で日高六郎が丸山真男に講演依頼したとき、丸山真男が恐ろしいほど多くの、誰も知らない政局の最新情報を持っており、刻一刻の動きを的確に分析していて、そのことに驚かされたと証言している。各社の新聞記者たちが、丸山真男に情報を入れ、丸山真男から情報を得ていたのだ。
分析が正確で完璧なので、丸山真男と最新情報のやり取りをしながら、記者たちは丸山真男から今後の予測を聞いていたのである。丸山真男は、その過程を通じて記者を動かし、紙面すなわち世論に影響を与えていた。三木武夫を動かそうと行動した。同じことをやっていたのが瀬戸内寂聴である。寂聴のカリスマ的政治力は、彼女の頭脳の優秀さもあるけれど、いわば配下たる(主に女性の)記者や編集者の情報ネットワークの賜物だったと言える。記者・編集者たちは、政治の緊張のとき、寂聴に情報を上げて意見を聞き、寂聴の持っている情報を得ていたのだ。センターの寂聴には誰よりも情報が入り、それを瞬時に分析して説明を与え、記者たちを動かし、自分も動いたのである。だから寂聴は有力な政治家だった。今、その位置にいると思われるのが、新幹線往復で多忙な内田樹である。他の人間は思い浮かばない。マスコミ記者・編集者たちから、われわれ一般市民の知らない極秘情報が次々と届いているだろう。
そのような情報環境の中にいるであろう内田樹が、アメリカ寄りの台湾有事論を述べて左翼世界に撒いていることは、私には、非常に胡乱に思われる厳重警戒の事態である。要注意と言わざるを得ない。