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松本人志の性嗜好 - 同意と不同意のバランス

2/5 のNHKの番組で田中角栄の特集があり、持論を述べる演説の一部が放映されていた。「人間というものは生きている間は短いんです。せめてその短い生きている間、今よりもいい生活環境を作って、人生を楽しみながら、この世に生まれた喜びを感じながら..」。今週、ずっとこの言葉が頭から離れず、あれこれ思い廻らす時間を送っている。この言葉を松本人志問題に照らしてみよう。最初に告発したA子は2015年11月に、B子は同年8月に性被害に遭っている。いずれも泣き寝入り後に自己嫌悪に襲われ、ストレスを抱えて精神健康面の不全に悩み、B子はPTSD発症を診断されている。また、2014年2月の性被害で不安障害となったI子は、事件から10年経った先月、ようやく夫と共に警察の相談窓口に出向いた。3人とも苦痛を背負い込まされて10年を生きている。しかも、人生のとても大事な時期を。

そして、それは今後も続く。伊藤詩織や五ノ井里奈と同じ境遇を覚悟しなければいけない。松本人志を応援する信者方面からネットで誹謗中傷されるだけでなく、個人情報を探られ晒される心配があり、絶えざる不安と恐怖に怯える運命に耐え続けないといけない。3人とも、その人生は性加害の悪魔と戦い続けた人生という意義づけになるだろう。が、それはまだ始まったばかりだ。これからが試練の本番だ。3月に第一回口頭弁論があり、東京地裁の前に傍聴席を求める群衆が並び、マスコミに報道されて大きな騒ぎになる。訴状と答弁書の中身が詳しく開示・比較され、ワイドショーの視聴率の餌になる。またぞろ、タレント弁護士たちが無意味な「解説」をまくしたて、喜色満面で小銭稼ぎに奔走する日々が続く。そこから論点整理の応酬のプロセスがあり、1年ほど経った後に証人尋問が始まる。A子とB子は必ず出廷するし、I子も出るだろう。

松本人志は逃げているのであり、時間稼ぎしているのである。「人の噂も75日」のフェイドアウトの進行と着地を狙い、長期戦の世論の沈静化を窺いながら、静かにテレビに復活する思惑だ。春の番組改変では触らせず、代役等で現状のままにし、少しずつ姑息に出演して既成事実を作り、時間をかけて元どおりにする作戦だろう。しかしながら、3月に大騒ぎになるのは確実で、そこを起点にどうイベント・ドリブンが旋回するかは見通せない。2月の現在は、子分たちに性上納システムの否定を連呼させ、仲間を動員して世論工作の攻勢をかけているけれど、子分たちの反論は評判がよくない。被害女性が文春第6弾で子分芸人の嘘を暴いて迎撃した。時間が経ち、事実材料が出るほどに、性上納システムの蓋然性と信憑性は高まっている。そもそも、性上納システムの有無を一般が判断する決定的証拠は、博多華丸・大吉が残している動画証言だろう。これ以上の説得力はない。

今、松本人志側が戦略を迷っているのは、I子が告発に出た文春第5弾の記事を提訴するかどうかである。常識で考えれば提訴しないのは不自然で、しなければその性加害事実を認めたことになる。提訴すれば裁判は二つになり、技術的に複雑な訴訟工程になる。I子の事件については、渋谷署も相談受付番号を付与したぐらいだから、民事で係争となっても、裁判所の事実審理で不認定にはならないだろう。重要なのは、I子の事件は勤務するマッサージ店での施術中の被害で、他のように「飲み会」のホテルの部屋で発生した案件ではないという点だ。悪質性がヨリ高く、襲撃性と犯罪性が歴然である。同意(和姦)の要素はない。つまり、松本人志にとっては、A子の裁判以上に勝訴が難しい裁判となる。そのせいか、発売から一週間以上経っているにもかかわらず、松本人志から動きがなく沈黙が続いている。一方の文春側には、さらに被害者が接触して来ているらしい。

テレビのワイドショー等では誰も話題にせず、注目を当てないが、吉本興業の内部調査はどう進展しているのか。ガバナンス委員会を開き、関係者の事情聴取を始めると表明したのは、2週間以上前(1/24)のことである。その後、何の中間報告もない。いずれそのうち、東京新聞弁護士ドットコムが、社内調査の結果はどうなったのだと疑問を向けるだろう。外部アドバイザーとは誰なのか、報告はいつ出す予定なのか、何も情報がない。おそらく、吉本の 1/24 の発表は嘘八百に違いない。調査など一切しておらず、関係者の聴取など行っていない。その証拠に、たむらけんじや渡邊センスが松本人志の了承の下で「証言」を吠えている。通常、会社で内部調査を進めているときは、当事者の個人は外部に対して口を噤むものであり、会社広報が窓口となって公式発表を仕切るのが原則だ。だが、吉本興業については全く逆で、会社が口を閉ざし、関係者個人が好き勝手喚いている。

われわれが考えるべき問題の第一として、この性加害事件の全体像と規模感がある。一体、どれほどの人数の被害者がいるのか。現在まで告発者は11人を数える。第6弾(2/15号)では大阪のJ子が新規に登場し、女性を欺いて罠に嵌める性上納システムの狡猾な手口を体験から証言した。性上納システムが関与したところの 、すなわち、女衒芸人が口八丁で手回しして発生させた被害例で、最も古いのは、沖縄で起きた05年8月の事件と東京での元タレントの06年8月の事件がある。約20年前からこのシステムによって全国で獲物が狩られていた。最近のネットの情報と議論では、同様のシステムが島田紳助の時代から稼働していて、性上納システムが吉本ローグ集団の伝統的悪習で組織慣行であった真相が発覚している。同じ手口と被害。途方もない数の女性が、このシステムでトラップオンされ、累々と、松本人志の欲望の充足に供されてきた過程が想像される。全体で数百人か。

考えるべき二つ目は、和姦と強姦のバランスというクリティカルな問題である。システムで上納される女性のうち、同意ではなく不同意の確率が高くなる傾向がシステムに本来的に内在する。その法則性が看取される。博多大吉の証言では、松本人志の性上納の悪い噂が広まっていて、福岡での女性の調達が難しくなっていたという内情が暴露されていた。トラブルの実例が伝聞で広まった影響だろう。松本人志の性嗜好の特質に焦点を当てる必要がある。文春の連載で説明されているのは、松本人志が、中流階級的な雰囲気の真面目な素人タイプの女性を好み、逆に、業界ズレした気配の漂う、すぐに松本人志に身体を許容しそうな属性と表象の女性を排除していた点である。この事実は重要だ。子分に指示する上納女性には注文があった。選り好みがあった。文春第3弾の「女性セレクト指示書」の具体要件項目が、その事実を端的に証明している。「高校や中学の先生」とか「べんごし」とか。

告発した女性たちは、その松本人志の性嗜好に適合した者が多く、当該現場で拒否や抵抗をした上で、性被害に遭った者と危機一髪免れた者に分かれる。いずれも、友人から機会を紹介されたり、口達者な女衒芸人の口車に乗せられて、単なる芸能人の飲み会だと油断して参加した者たちである。松本人志との地獄の修羅場は想定していなかった。松本人志の欲望の中身はそこにあり、性的関係を想定しておらず不本意で嫌がる女性を、半ば強引に籠絡することが目的であり、それが至上の快楽と満足なのだ。だから、そうした対象の上納を子分に指定していて、子分芸人は必死で条件に適う候補を集めている。「飲み会」の目的と性格がこうだったので、最後の場面では必然的に強制性が伴い、性被害の事故につながる女性が少なくなった。そう考えられる。松本人志の性加害は、そもそも、狙う標的が性加害リスクの高い相手という特徴があり、犯罪の危険度の高いスリリングな「遊び」だったのだ。

文春の連載を見ると、女衒子分たちが苦心して親分に快適な一夜を与えるべく、その場に揃える女性も一つの類型に統一していない工夫が窺える。つまり、3人揃えたときは、3人とも真面目な素人タイプにせず、1人はリスクヘッジのため玄人系の女優とかを含めていて、2人が「生理」で修羅場を脱出したときは、安牌たるスペアの1人をあてがってその場を凌いでいるのである。以上の、第一のスケールと第二の性嗜好の二つの問題を考えると、頭をよぎるのは、実際に妊娠させられたケースがあったのではないかという想像だ。松本人志は、A子に「俺の子ども産めや」と迫っていて、行為の際に避妊をしていない。また、日本の一夫一婦制の廃止と政策転換を真剣に求めていて、(有能で資力のある)自分は多妻であるべしという信念の下に実践している。好みの清楚なタイプの女性に、本気で自分の子どもを何人も産ませようと妄想したのだろう。過去の人数規模を考えると、隠し子がいておかしくない。

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