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土佐市は市民病院リストラ、9校ある小学校を5校に半減の財政危機 - それなのに市の公金を・・

カンニング竹山のニュース番組に出演して、解説者としてぜひ話したかった論点は三つある。一つは、土佐市と新居をめぐる堤防の歴史であり、野中兼山による在郷町の建設と、それによって水害の犠牲を強いられる運命になった新居地区の苦難の物語である。この問題は、前回の記事で簡単に説明した。古代の続日本紀にまでさかのぼって、あるいは渋沢龍彦の小説に言及して講義したかったが、冗長な蘊蓄の披露になるので省いた。私自身は、土佐市の歴史を語らせたら上位30人に入る一人だという自負を持っている。誰にも負けない。土佐市に初めて来た人間に「現地の取材」がどうたらと、噴飯きわまりなく、論外もいいところだ。知者は言いがかりや誹謗中傷は相手にせず。大人が幼児を相手に喧嘩してはいけない。

二つ目の論点はもっと重要である。実はこの問題があったから、私はどうにも憤慨を抑えられずあの記事を書いた。それがなければ、傍観者の一人として第三者的な立場で軽くツイッターでコメントする程度に止まっていただろう。今、私はニールマーレ反対派の筆頭格である。あの店長の告発ツィートを厳しく糾弾する立場にある。大きな観点から、私はあの「告発マンガ」を一つの刑事犯罪だと捉えている。行為は過失かもしれないが、計り知れない巨大な被害を土佐市の社会に及ぼした。爆破予告・殺害予告・園児誘拐脅迫のテロの連鎖が惹起され、市民は恐怖に怯えた。全国からの苦情とアクセスで土佐市のサーバーは落ち、職員は嫌がらせ電話への対応に追われた。市の観光PR活動は停止し、市の移住事業は衝撃で麻痺した。

今週も、読売が6/1に記事を書き、ヤフコメ欄は土佐市とNPO法人への非難と怒号で埋まっている。「告発マンガ」の発信とライターの偏向記事の影響で、店長への同情と擁護が主流となり、増幅され、NPOと土佐市への憎悪が「正義」となっている。その結果、土佐市へのふるさと納税はやめろという声が多数となり、こんな市に協力隊で移住してはいけないという意見が「正論」となった。小さな市だ。市の経済的マイナス影響(風評被害)は想像を絶する。けれども、もっと重大なのは土佐市の名誉の問題であり、これから東京に出て暮す土佐市出身者に押された負の烙印だろう。履歴書には出身地を書く必要がある。お付き合いして結婚したいと思った相手には自分の出身地を言わないといけない。嘘は言えない。自嘲と羞恥以外に何があるのか。

私が竹山の番組で提起したかった論点の二つ目は、一つ目よりも深刻で本質的な問題だ。そしてそれは、私があの記事を上げた動機の核心をなすものでもある。正直に隠さず説明したい。そして、以下に記す情報はネットには一度も上がってない。土佐市の市民はみんな知っている事柄なのにネットには上がらない。どれほど市民が「面倒なことに関わりたくない」と逃げ、ここで迂闊に目立って市長選の後に累が及ぶ危険を怖れ、保身に徹しているかが察せられる。小さな田舎だ。無理もない。ネットで勇気を出して逆告発に出た者は、必ず新市長側から摘発されて報復されるだろう。指をさされて孤立する。子や孫への影響を恐がる。だから、静かに黙って、店長を礼賛する空気に追随し、フリーライターを持ち上げる世論に同調する態度をとっているのだ。

二つ目の問題とは、土佐市の財政事情と市政運営についてである。本当に憤りを覚える。まず、市内にある市立土佐市民病院は、県からリストラの宣告を突きつけられている。2年前に「高知県地域医療構想調整会議」が出した資料をご覧いただきたい。「会議」と銘打って専門家が協議し提言した形式を整えているが、要するに、県医政局の方針を中立表象化し権威づけた政策文書だ。政府や自治体が、国民・住民が嫌がる政策を上から押しつけるとき、お化粧して説得力をつける常套手段の方式である。その資料のPPTの4ページ目に、リストラ候補として5つの病院名が挙げられ、その一つに土佐市民病院が指定されている。早い話が、この5つの病院は採算が悪すぎて、現状の医療実績および将来の医療需要に鑑み、、ダウンサイジングするという宣告に他ならない。

お役所の文書に「ダウンサイジング」という文言を見つけ、私は苦笑してしまった。「リストラ」という単語を使えなかったので代用したのだろう。地方の医系技官らしいボキャブラリーの貧困。土佐市民病院は、17の診療科を有し、リハビリテーションセンターや透析センターを揃えた堂々たる総合病院である。地域中核病院であり、救急外来を備え、県の災害拠点病院にも指定されている。土佐市2万6000人の住民は、この公立病院に頼り切っている。この県の方針が高知新聞に載り、市民の間に衝撃が走った。市民は現在も怯えている。要するに、採算が悪すぎて、こんな田舎病院に県がこれ以上カネを注ぎ込めるか、厚労省も地方公立病院の再編を進めているのだから、お前らも抵抗せず言うこと聞け、それが嫌なら市がカネ出して自己責任で病院を支えろ、という非情な通告だ。

コロナ禍があり、水入りの猶予期間が若干続き、議論はやや立往生した状態にあるが、県は方針を撤回していない。土佐市は医療行政サービスにおいて高知県のお荷物なのである。病院を維持する財政資金がないのだ。困ったものだなと私は憂慮していた。だが、もっと大きなニュースが出て、眩暈がする衝撃を覚えた。昨年5月の高知新聞の報道によれば、何と、市内に9つある小学校を5つに統廃合するというのである。3つある中学校は1つに減らされる。1年前にその計画が告げられた。これは県の命令や指示ではなく、土佐市が自ら決定し推進している教育リストラ事業だ。開いた口が塞がらず、体内の血流が逆上して噴火した。あれほど、あれほど、都会から移住して下さい、土佐市で子育てして下さい、青い海と清流の自然があります、子どもをのびのび育てるのに絶好の環境です、とそう宣伝しながら。

若い移住者に子育てに来て下さいと誘いながら、市の小学校の半分を潰すのである。地域の小学校がなくなるのだ。バス通学にされるのである。保育所も減らすのだ。こんな欺瞞と矛盾があるだろうか。南海トラフに耐えられる耐震仕様の新校舎ができますから、などと巧妙に舌を回し、子育てで移住した若い家族に保育所と小学校の統廃合を言い訳するのだ。まるで詐欺ではないか。名産の文旦を生産して土佐市の稼ぎ頭をやっている戸波地区の小学校まで潰すのである。戸波地区は、市の西3分の1の面積を占める9集落の広い地域で、人口は2000人。独自の歴史もある。中世、市中心部とは別の荘園が独立していた。現在そこに小学校と中学校がある。中学校まで存在する戸波地区から小学校まで一気に廃止すると言う。何という暴挙だろう。よく地区の住民がこの計画を承認したものだ。

山を一つ越した北隣の日高村。地域おこしの模範的優等生で、全国の自治体からひっきりなしに視察団がやって来る。仁淀川の清流が流れ、『竜とそばかすの姫』に登場した沈下橋が近くにある。視察団の裏の目的は観光で、夜のひろめ市場の塩タタキとビールと冷酒の堪能だろう。日本橋コレド室町に出店している芋けんぴの店は、平日でも行列で並んで待たないと買えない大盛況ぶりだ。繁盛している。成功している。まさに地域おこしの鏡で、高知県の誇りである。センスがいい。商売を知っている。「オムライス街道」を企画し広報している山本主幹の抜群のブランド・マーケティング。教科書だ。彼女は、東京市場の女性の心をぐっと握って捕まえた。東京の女性層が彼女と日高村を支持する。日高村の繁栄は未来永劫に保証されたのも同然だ。拍手しかない。中小企業の夢を見せている。よくやったと絶賛したい。

その日高村は人口4800人。3つの小学校がある。日高村のHPを見ると、どの小学校も移住歓迎のページでよく紹介していて、統廃合などという話はない。立派だなあと感心する。心打たれて感動する。村の子どもたちが目に浮かぶ。村と地域は、小学校を守るために、一生懸命芋けんぴを製造し販売しているのだ。東京で稼いでいるのだ。小学校がなくなったら地域の灯が消えるから。一気に活気がなくなるから。住人が去り始め、限界集落になるから。小学校は地域の命だ。移住事業の前提がなくなる。だから、絶対に潰してはいけないのだ。それなのに、それなのに、土佐市は、人口2000人の地区から小学校を消そうとしている。文旦出荷して市の稼ぎ頭をやっている戸波地区から小学校を奪おうとしている。緊縮財政のために。人口減だから当たり前と言い張って。何という彼我のコントラストだろう。

市民病院はリストラ、小学校は9つを半分の5つに。ああ、土佐市は金がないんだなあ、仕方ないんだなあと、医療・教育のコストカットの話を耳にして私は観念していた。そしたら、店長の告発ツィートの事件が起き、東京から来た県の観光アドバイザーがどうたらとか、その部下が店のプロデュースやって市の地域おこし活動を何たらとか、いわゆる「電通」的なコンサル事業が行われている面妖な事実を知った。「電通」みたいな会社が蠢いていた。・・え、そんな金はあるんだ・・・病院はリストラ、学校は統廃合と言いながら。金がないから、人が減るから、医療と教育は縮小削減の政策を強行しながら、市民のなけなしの予算を、そういう無駄なコンサル事業に流す分はあったんだ。・・しかも、高知新聞を呼んで記事を書かせ「美談」に仕立てて。・・私は腹が立ち、もう我慢ができなくなった。堤防が決壊した。

勤皇党の志士の如き慷慨と憂憤に燃え、リスクを覚悟して筆をとった。ふざけるんじゃないと言いたい。

高知県に移住を希望される若い方には、ぜひ日高村を選んでいただきたい。きっと学べることが多いだろう。勉強になるだろう。啓発されるだろう。生き生き活躍している若い仲間に出会え、刺激を受けることだろう。事業を立ち上げて挑戦するヒントを得られるだろう。リーダーシップとは何かを知るだろう。若い人間は、自分をインプルーブさせられる職場に行かなきゃいけない。クオリティの高さのある前向きなコミュニティ環境を生活の場に選ばないといけない。

上に書いた内容は、すべて、カンニング竹山の番組打ち合わせ時(5/30)に、アベマタワー11階フロアでスタッフに懇々と語った内容である。土佐市の歴史に続いて、この財政の危機的現状を説明した。渾身で熱弁した。土佐市の病院と学校のリストラの問題は、5ch含めてネット上には今回一切浮上していない。したがって、カンニング竹山の番組で公表すれば大きなスクープとなる特ダネだっただろう。その情報提供と解説に努め、竹山の新番組に価値をもたらす役割を演ずるつもりだった。

ネットというのは不思議なもので、何でも匿名で漏れ出るようで、実際には真相に迫る肝心な情報は出ない。悪意を持った連中の誹謗中傷の扇動と揶揄罵倒の怒号のみである。感情的カタルシスを求めた暴力の発散だけであり、意味のない軽薄なゲームの勝利に狂奔する群衆行動だけだ。店長は「小保方さん」である。どれほど優秀な科学者たちが精密な証拠と論理を示し、「小保方さん」の誤りを証明しても、いちど「小保方さん」の涙を信じ、センチメントに流れて擁護派の立場を決め、彼女の「正義」を守る闘士となった愚かな者は、最後まで態度を変えなかった。なぜか。「小保方さん」は自分自身であり、自分は絶対に正しいからだ。自分が信じたものは必ず正しいのだ。態度を変えることは自分の失敗と敗北だから、できないのだ。敵を攻撃し罵倒して黙らせればよいのだ。



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